「言葉を選ぶ」ことは、時に相手への思いやりにもなると思う。
これ、思ってはいたけど文字にして公開するとキツいかなと思って、引っ込めていた。
今日息子が8ヶ月になったし、今日じゃなくてもいいかなとも思った。
だけど、昨晩夫と話していて思うことがあったので、書きます。
言葉は相手に正しく届かないことがある。
言葉は聞く人の状態によって、言葉を発した人の意図した通りに届かないことがある。
例えば私の場合。
息子を産んだとき。
自然分娩の予定だったけど、緊急帝王切開になって、泣いた。
「それでもよかった」と思えるまでに、私は4ヶ月半かかった。
色んな人から励まされたし、
複数の人に『どんなお産も尊いよ』って言われたけど、
それを言う人は、だいたいが帝王切開を経験したことがない人だ。
(経験者も少しはいるけれど)
だからね、それ言われても、正直
「経験したことないくせに(私の気持ちなんかわからないでしょ)」としか思わない。
励ましてくれようとする、労ってくれる気持ちは嬉しいんだよ。
だけどね、その言葉を聞くと、私は出産の時の悲しみや怖さを思い出してしまって、悔しくなるんだ。
妊娠中にもっとできることはなかったかな、とかそんなことがよぎるんだ。
言葉を選ぶことの大切さ。
安易に「わかるよ」ということは、相手を傷つけることになりかねない。
使う言葉を選ぶって大事だし、
言われる相手や受け取る自分の状況によっても
聞こえ方って変わるなと思う。
『そんなの、相手の受け取り方次第だ』といってしまえば、それまでだ。
「言葉を選ぶ」ということは、時に、お互い思いやりを持って接することになるんじゃないかなと思う。
相手の立場になって考える。
表面的な言葉は響かないし、安易に寄り添うことは人を傷つけかねない。
もしあなたが相手の立場なら、どう考える?どうして欲しい?
それを考えて、言葉を紡いでみよう。
それでも相手が噛み付いてくるようなら、それはその人の問題なんだから、仕方がない。
そっとしておいてあげて。
SNSでのやりとり。
SNSでのコメントは、顔が見えない。
つまり、相手がその言葉を書いているときの表情が見えない。
だからこそ、いつも以上に言葉に気をつけよう。
その一言が、あなたの信頼を落としたり、相手との永遠のさよならにならないとも限らないから。
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