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東京ボヘミアンサマー

自由が丘ワインスクールを卒業します

突然のご報告で大変申し訳ありません。

本日5月31日をもって、柳田由香は自由が丘ワインスクールを卒業することになりました。

契約などの手続きがギリギリまでかかってしまったためにとつぜんのご報告となってしまいましたこと、大変心苦しく、みなさまにお詫び申し上げます。

本当なら直接お会いしてみなさまにご挨拶申し上げたかったのですが時間がなくなってしまったためにそれもかなわず、書面でのご報告で大変申し訳ございません。

明日からの自由が丘ワインスクールはわたしが抜けるだけで、実はほぼ何も変わりありません。真理子も残るし、スタッフたちも講師のみなさまも変わりません。

一点だけ、運営会社が株式会社スーリール・ド・シュシュに変更となります。

ワインスクールでいつもお世話になっているレガラードや、最近話題のアサヒナ・ガストロノームなどを運営している会社です。今後の自由が丘ワインスクールはレストランやソムリエとの連帯がさらに強くなるに違いありません。

それに伴い、長年講師としてもお世話になり、これまで自由が丘ワインスクールの取締役にも入ってくださっていた長田照彦さんが校長になります。めちゃくちゃ頼もしいです。


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少し昔話を。

1984年、わたしが10歳の頃に夜な夜な我が家でワインの勉強会が開かれ、それが「森田屋塾」と呼ばれるようになり、数々のワイン関係者の皆さまがご参加くださいました。

わたしが年頃になって小生意気な口を聞いても笑って対応してくれていたあの頃の皆さんは気づけばワイン業界のそうそうたる重鎮たちに。ワインの世界で働くようになって初めて「あの頃のお兄さん、お姉さんたちはすごいひとだった!」と知りました。

まだ世界大会に出場する前の田崎真也さんに「添い寝してあげようか?」と言ってた高校生のわたし、ちょっとそこに正座して。

学生時代から多くのワイン関係者の皆さまにかわいがっていただき、それは大人になってワインの世界に飛び込んでからも変わらず、今思い返しても「なんて恵まれた環境だったんだろう」と思います。

田崎さんが世界一になったタイミングで「自由が丘ワインスクール」は生まれました。そこから数年続いたワインブームの影響もあり、祖父母の和室から始まったワインの勉強会はあっという間に日本全国からワインの勉強をする受講生でいっぱいのワインスクールになっていきました。

わたしが稼業に参画したのもちょうどこの頃で、アナログ管理されていたデータベースをデータ化していくことが最初のわたしの仕事だったように思います。

その後、楽天市場やAmazonが誕生したタイミングで、ワインのネットショップ「イーエックス・ワイン」を立ち上げました。仕事の仕方やワインに対する考え方、人生に対する姿勢などは、イーエックス・ワインに関わってくださった先輩たちから教えていただきました。

ネットショップと卸業務はご縁をいただき、現在は弟がバーガンディ株式会社としてがんばって続けてくれています。

ネットショップを運営しながら身につけたネットマーケティングや広報のスキルを役に立てることができれば、と、自由が丘ワインスクールに戻ったのは2008年。

リーマンショックで打撃を受けていたワインスクールの運営立て直しが一番最初の仕事でした。とにかくひたすらにコストカット。1年で赤字を黒字化に戻したものの、駅から遠く、建物も古く、ワインショップへの導線も悪い。

「これ以上伸ばすには移転するしかない」と思ったのは2014年ごろだったでしょうか。あちこち物件を探しまわるなか、現在の月瀬ビルと出会いました。

2015年にワインショップとワインスクールを自由が丘駅から徒歩1分の場所に移転し、現在に至ります。

20歳そこそこでワインの世界に飛び込んで、気がつけば44歳。人生の半分以上をワインの世界で過ごしていました。

祖父が立ち上げた酒屋の三代目として生まれ、両親がワイン専門店に変え、母がネットショップとワインスクールを立ち上げ、それを継ぐ形で、今日まで一度も止まることなく、走り続けてきた気がします。

長年、家族経営で続けてきたものの、規模が大きくなるに連れ無理が生じることが増え、多くの方にご迷惑をおかけしてしまうことも増えました。

さんざん読み漁ったビジネス書にはどれも「継承にはタイミングがある」「家族経営はどこかで企業に生まれ変わらなければならない」とありました。今がそういうタイミングに違いないと信じ、今回のことに繋がります。

長い昔話終わり。


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先述しました通り、急なことでご挨拶もせず卒業していくことが心残りです。お礼を直接お伝えしたかった方たちに何も言えないままで、本当に申し訳ありません。

末尾ながら、多くの方に支えていただいたワイン人生に感謝申し上げます。

生意気な小学生のわたしがオバサンになるまで変わらずかわいがってくれた森田屋塾メンバーの皆さま、ありがとうございました。共働きの商人の家に生まれても寂しくなかったのは、皆さんが家族のように接してくださっていたからです。

学生になると、学校から帰ると誰かしらワインの営業さんが店にいることが多かったです。当時のワインの営業さんは女性が多く、みんなとにかくかっこいい。重村さんや宇田ちゃん、なごちゃん、福井さん、まほちゃん、横井ちゃん。

ずっと掲げていた「かっこいい女になる」という目標は、この頃のお姉さんたちのようになりたいという思いからでした。本当にみんなキラキラと輝いていてステキだったのがとても眩しかったです。

八芳園では短い期間だったけど、人生で唯一の「同期」「先輩」「後輩」という存在をつくることができました。20年たったいまも会うことがあって、Facebookでも繋がれて、八芳園に行くといまでも実家に帰ったような気持ちにさせてくれます。

稼業を継いでからは仕事相手として、以前からお世話になっていた先輩たちとつきあう形になりました。ソムリエの資格をとってもワインの売り方を知らないわたしに多くのことを教えてくれたインポーターの皆さま、本当にありがとうございました。

ワインスクールの「校長」という肩書を背負って一番変わったのは、講師の皆さまとの関係でした。小生意気な時代から知っていたのに、対等なビジネスパートナーとして接してくださった情野さん、谷さん、本当にありがとうございます。

わたしが校長になったばかりの頼りない自由が丘ワインスクールで講師を引き受けてくれた長谷川さん、工藤さん、藤谷さん、ありがとう。これからもよろしくお願いします。

他にもたくさんの方に講師をしていただいたのに、書ききれずにごめんなさい。時間はかかるけれど、個別に連絡させていただければと思います。


最後に、遅刻魔でズボラで一番末っ子のようなわたしを支えてくれたスタッフたちに感謝を。現役だと夏海、ななちゃん。卒業したトモさんにマキ、しのくん、ばっしー、まきさん、えみちゃん、ああもう書ききれない。毎日笑顔で支えてくれてありがとう。

家族にもたくさんの負担をかけました。泣いて帰ればなぐさめてくれて、家事しなくても文句言わずに支えてくれてぐちを聞いてくれて励ましてくれたあっくん、ありがとう。これからも末永くよろしくです。

「ふつうのお母さん」ができなくて寂しい思いをさせたはずの娘っ子は神様からの贈りもので、よく笑う元気で健やかな中学生になりました。これからはもう少し家にいられるようになると思うから、少しずつ「お母さん」をしていくね。


そして、わたしのワイン人生は、真理子なしではありえませんでした。公私ともにわたしを支えてきてくれた頼もしい右腕です。2001年から2019年まで、18年間わたしを支えてきてくれました。わたしのいちばんの自慢は真理子です。

お互い20代で独身だったはずが、気づけばふたりしてお母さん。ふたりで一緒にふたりの娘を育てて。わたしに自分の娘と、もうひとりの娘の存在をありがとう。

なんど一緒に泣いて、笑って、悔しがって、ハイタッチして、ここまで来たか。辛い時もしんどい時も、必ず隣にいてくれてありがとう。真理子がいたから、わたしはここまでこれました。感謝してもしきれない。

ひとつ嬉しいのは、仕事の立場がなくなるから「由香さん」じゃなく「ゆかっち」って呼んでくれるに違いない。これからは友だちとして、改めて、よろしくお願いします。

ほかにも書ききれないお礼がたくさんありますが、それは個別にさせていただくことにして、いったんここで文章を閉じさせていただきます。

こういう時、どういう顔をすればいいかわからないの(By 綾波)。


わたし個人のこれからのことは何も決まっていません。ワインの仕事をするのか、ほかの世界に挑戦するのか、本当に何も。ゼロ。

まずは無職になってから考えてみたいと思いますが、お仕事ないと生きていけないので、単発のお仕事などありましたらぜひよろしくおねがいします。案外使えるコなので。

そろそろ時間がきてしまいました。
わたしらしく笑って、笑顔で卒業していきたいと思います。

これまでわたしと出会ってご一緒してくださったすべてのみなさまに、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

これからの新・自由が丘ワインスクールも引き続き何卒ご愛顧くださいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。


2019年5月31日
柳田由香


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