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ほんとうの言葉で語ってみる

今日、仕事を納品してから、interiorlifestyle Tokyoへ行った。展示されている布、紙、陶、ガラス、漆など、生活に寄り添うものがうつくしくレイアウトされている様子に心が躍った。

お話をするためにうかがったブースで1時間くらい立ち話していたように思うのだけど、相手の方がわたしの絵の中の闇の部分をさして、「僕はここがいいなと思うんです」と言ってくださった。

絵を描く上で、その絵はなんのために描くのか、どんな用途に使うかが大前提だと思っている。その用途にあわせて、よりよい配色やモチーフなどを模索するのが自分の仕事だと。

ただ、個人の制作をする場合は違っていて。

光と闇を重ねた、重層的な絵が描きたいと思うんです、そこに心が震えるんですとお伝えしたら、すごく理解してくださった感覚があった。

自分の言葉がどういうふうに理解されるのかは、自分でコントロールできない。わたしにとってそれはこわいことだ。伝えたいひとにありったけの言葉を尽くしても、どうにも伝わらないときのあの気持ち。あまりに悔しくて、文字通り地団駄を踏んだこともある。恥ずかしい。でもきっと、「それ、わかる」と共感してくださる方はたくさんいると信じている。

それでも、理解してほしいひとに、てらいのない言葉を伝え続けて、伝わった!と感じられたときの安堵感。

暗い海に出て、遠くにたゆたう船の灯りを見つけたときのように、「あ、なんかいま、生きてる」と、たしかめられらような気がする。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。