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奇跡を感じた瞬間。神様に呼ばれた「夏越の大祓」。

今日は「奇跡」としかいいようのないタイミングで物事が進んだ日だった。

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今日は仕事もなく完全オフ。

「トゥルーノース」という、
北朝鮮の収容所のを描いたアニメーション映画を観にいこうと思っていたのだが、

6月29日、1年の半分。

神社では半年分の穢れを払う「夏越の大祓」のご神事が行われる時期だ。できれば神社も行きたいと、みなとみらいに神社がないかググってみたら、なんと思いっきり見落としていた「伊勢山皇大神宮」という伊勢神宮の姉妹宮があった。

みなとみらいの駅とは反対側なので、訪れたことさえない。
これはお導きだと思い、映画が昼過ぎだったので、行く前に寄ろうと思ったが、思い立った時には時すでに遅し、映画に間に合わない。

まあ、そこまで気合が入っていたわけでもないので、お参りはあきらめようと思って直接みなとみらいの映画館に向かい、「トゥルーノース」を観た。

この映画については、あまりに衝撃が大きくてまだ言葉にならないので、じっくりと感想を書こうと思うが、

理不尽極まりなく、悲惨な状況で暮らす人々の中に、ひとすじの光を感じさせる作品だった。

人間の愚かさと優しさ、強さと弱さががごっちゃになって、結局人間て自然の一部なんだな、と思ったら、無性に自然の神々に祈りたくなった。

予告編はこちら。

映画を観る前に寄れない時点で、お参りはナシと思っていたのだが、映画を観たら15時ちょうど。まだ少し時間があると気づき、みなとみらいから桜木町駅に向かい、駅の反対側の紅葉坂を上ったところにある「伊勢山皇大神宮」に走った。朝の雨模様はどこへやら、ピーカンの天気で汗だくだ。

でもどうしてもお参りしたくて、鳥居の前まで来た。

汗だくで到着したのが3時15分。
なんと、3時30分から大祓の儀式が行われるという。

驚いた。

これはもう、奇跡じゃないか?

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神社に詳しい人なら、大祓の儀式がだいたい15時半から16時に始まるのは当たり前のことらしいのだが、わたしはそんなことノーマークな事案である。

なぜか神社は16時以降は行ってはいけないと聞いたことがあり、夕方は行ってはいけないと思い込んでいたのだが、全然違った。その誤情報はいったいどこから拾ったのだろう。

まあ、それはさておき、自分にとってかなりいろいろと考えさせられる映画を観た後に、無性に神社に行きたくなり、走れメロスのごとくアラフォーの重たい身体で炎天下の中、紅葉坂を上ったわたしには、自分がこのご神事に呼ばれたとしか思えない感覚だった。

というか、呼ばれたことにしておいてくれ。

滝のように流れる汗を拭きながら、せっかくなので大祓に参加しようと受け付け用紙を書いて、家族分の形代もつくる。家族の映画を観たのだから、ここはやはり自分だけでなく家族の分もお祓いしたい。

大祓の儀式が始まるまでにあと10分ほどあったので、慌てて御朱印とおみくじをいただいた。

これがまた大吉で、内容も今までやってきたことが報われるとある。
ここ最近は、自分でも出来る限りの努力と、立ち回りをしてきた自負があるので、このおみくじからのメッセージはひときわ嬉しかった。

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大祓の儀式では、祝詞をあげ、茅の輪という輪を順番通りにくぐってお参りする。祝詞の前に、美しいうぐいすが「ホーホケキョ」と鳴いた。ウソみたいにきれいに「ホーホケキョ」と鳴いた。

朝は暴風雨、そして神社に向かう時にはすっかりピーカンで汗だくだったのに、神社に着いたらなぜか曇り空でひんやりとした風が吹いていた。

祝詞の最中はこうべを垂れてお祓いをいただくのだが、お辞儀をしたまま静かに祝詞をいただいている最中にわたしの身体をふわっと通り過ぎる涼しい風もまたたまらなく心地よかった。すべてがこの瞬間のためにセットされたような気持ちだった。

そして、お辞儀をして地面を見ている間、砂利を這うアリもまたいとおしかった。

こう感じるのは映画「トゥルーノース」を観た影響もあるので、映画の詳細を語らないまま、この気持ちをお伝えすることが難しいのだが、北朝鮮の収容所の劣悪な環境でなんとか生き延びている人たちの姿を見た後だと、自分の立つ「ここ」がものすごく美しく大事に思えるし、目に入る自然のすべてが美しく見えたのだ。

この映画を観て、ここに来て、この大祓を受けているのが必然だと感じた。

大祓の時期には「水無月」というお菓子を食べて邪気を払う風習があるというので、帰りに家族の分も買って帰った。

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実は甘いものが苦手なわたしだが、お店の人に聞くと、昔ながらのお菓子で、上新粉と砂糖と小豆しか使ってないらしく、割とさっぱりいただけますよ、とのことで私の分も買った。自分のために甘いものを買うのはめったにないが、ここまで偶然が重なったので今日は食べるべし、といただいた。


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パッケージのままの写真で味気ないが、なんともシンプルで素朴な味を美味しくいただいた。

観た映画も意図したわけではなく、たまたまオフの日だから観たい映画を観ようと思っただけで、それに紐づいて近くの神社にお参りしようと思っただけなのだが、その思い付きでさえ、神様の取り計らいのような気がしてしまうほど、この半年やってきたことの「まとめ」のような1日だったな、と感じた。

偶然なのか必然なのか、それを信じるか信じないかは自由なのだが、そんな「必然だったのかもしれない」と感じる瞬間がわたしには結構ある。ふっと頭をよぎって行動したことが意外な結果につながることも多々あるし、ふと思い出した友達に連絡を取って急な展開になることもある。

その「ふと思いだす」「ふと頭をよぎる」とは、実は天からのメッセージなのかもしれない、と感じるときがあるので、最近はその「ふと頭をよぎったこと」をなるべく行動に移すようにしている。

大がかりでリスクがあることは当然慎重になるが、長いこと連絡を取っていない友人をふと思い出しコンタクトを取る、とかにはリスクがほとんどない。けれどそれがジャストのタイミングで何かの事案が持ち上がったりするのだ。

ちなみにわたしは、目に見えない「何か」があるとは思っているが、「見える」とかなんとかスピリチュアルに傾倒しているわけではなく、やりすぎは胡散臭いと思っている割とリアリストだ。

それでもやはり、「なんでこの瞬間にこんなことが?」と思うことが多々あるし、この謎めいていて目に見えない何か、も含めたこの世も楽しいなと思う。

夜はいつもお世話になっている、くれや萌絵さんの未来予知の会で、今月の振り返りをする。

毎月必ず、振り返りを行うことで、自分を俯瞰し、来月の目標設定することが出来るありがたい会だ。

がむしゃらに出来ることをやってきて、あっという間の半年、かなり濃かったので記憶も薄れている状態だが、それだけ充実していた、ということだ。しっかり振り返りをして、これからの半年もまたじゃんじゃん進んでいこうと思う。

過去の自分が未来を創っている。だから、どんな未来が待っているのか楽しみでいられるよう、今の自分をめいっぱい活かしていきたいと思う。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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