見出し画像

挨拶しないマネージャーの謎

・47歳の、初体験


47歳にして、初めての経験をした。
 
仕事の上司に無視される。という経験だ。
 
とはいえ、よくある女子同士のイジメの類ではない。
蝋人形のように「動かない上司」に出会ってしまったのだ。
 
わたしは現在主婦で、育児の傍ら、
自宅から徒歩3分のリユースショップでパートをしている。

店長は私よりかなり年下だけれど、穏やかで優しくて仕事がしやすいし、パート仲間は似たような環境の主婦が多く、とても居心地がよいため働き始めてそろそろ2年になる。

けれど、楽しい職場ながらも、ときどき独身時代に働いていたオフィスの常識では考えられないようことが起こり、なかなか刺激的である。今日はそんなパート先で、あまりにも驚いたことがあったので書いてみようと思う。

・無言の刺客現る


仕事は接客がメインなので、当然大きな声で
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
などというのは基本である。

当然、そのように指導もされるが、 
別にわざわざ指導されなくたって、接客業ならなるべく明るく大きな声で接客したほうが良いことくらい当たり前にわかるし、自分ではできる限り実践しているのだが、ある日この店に、無言の刺客が現れた。
 
この住宅地には似つかわしくない、「ヒゲ・メガネ・ロン毛」のオシャレ男子3点セットを身にまとい、こじゃれた格好の見た目30代ほどの男性が来店し、わき目もふらず、無言で裏の事務所に向かっていく。

何者ぞ??といぶかしく思ったその人物は、
この店を狙った刺客ではなく、「視察に来たマネージャーさん」だったのだ。

私の仕事先は全国規模で店舗展開しているため、お店は店長と社員、そしてパートで構成されている。普段は店長以下のスタッフが店を切り盛りしていて、ときどき県内にある数店舗のエリアを統括するマネージャーが巡回し、ノートパソコンを抱えてやってきては、店長に店づくりなどを指導している。 

その無言の刺客は、新任の地域マネージャーだったのだ。

接客業のマネージャーともあろう人が、スタッフに挨拶をしないなんてことがあるんだと驚いたが、
 
マネージャーさんだとわかり、いちおう事務所で顔を合わせたときにでも自己紹介とあいさつをしておこうと思い、自分の休憩時間に事務所のドアを開け、パソコンに向かっている彼に、「おつかれさまです」と声をかけてみた。

「・・・」

「・・・」

こちらを見ることもなく、パソコンの画面を見つめる彼。

あれ?聞こえてなかったかな。
わたしが見えないのかな。
 
そんなわけはない。3畳ほどしかないごく狭い事務所だ。
 
とりあえず、なんか作業してるっぽいし、邪魔したら悪いから自己紹介は後回しにしておこう。でも私のお弁当が入っているロッカーに行くには、彼の近くを通らなければならない。

「失礼します」
と通りすがりに言った。
 
「・・・」
やはり無言のエリアマネージャー。
 
メデューサににらまれて石になったのか?
はたまた時が止まっているのか?
実は蝋人形なのか?
 
いろいろ考えたけどそんなはずはなく、
これ以上話しかけるのはやめようと思った。
 
しかし、挨拶をこちらからして、挨拶をされ返されなかったことは
中学時代に集団で無視されたとき以来ない。
 
しかも、ピクリとも動かない。
反応しない。
 
もうビックリ仰天で逆に気になって仕方がない。

だって、だって。

もし通りすがりの人にいきなり「ごきげんよう」と挨拶をされても
なんとなく反応してしまうというのに、
 
もし嫌いな人だったとしても、仕事上の付き合いがあれば、「おはようございます」くらいは言うだろうに

相手が確実に自分の仕事の関係者だとしたら、そして百歩譲って、
もし万が一、エリアマネージャーから見て、私のようなパートは「挨拶するに値しないコマ」だと思って、あちらから挨拶しなかったとしても、
こちらから挨拶したら、返事くらいするのが「世界の常識」であろう。
と思っていた。この日までは。
 
あまりにも衝撃で、何が正しいか分からず、自分の中でゲシュタルト崩壊が起きて、自分が頭おかしくなったのかと思った。
 
ずっとそんなことを考えながら、パソコン画面を見つめ続ける彼と狭い空間をともにし、休みにならない休憩時間に、もはや味もしないお弁当を食べて休憩を終えた。
 
もしかして、もしかすると、私の何かがとてつもなく気に入らなくて、わたしだけに挨拶しないのかと思い、その後パート主婦仲間にそのことを話したところ、誰もが口をそろえて

「動かない」

という。

主婦仲間とひとしきり驚きを共有し、場が沸いた。 


・ろう人形の館


わたしはそのマネージャーを心の中で
「蝋人形の彼」と呼ぶことにした。
 
数週間に一度程度、「ろう人形の彼」はやってくるが、
相変わらずの蝋人形っぷりでこちらをスルーする。
 
初めの頃は挨拶をしていたが、あまりの無視っぷりに、話しかけられるのも嫌なのではないかと気を使い、挨拶は気持ちよくしたい私も、彼を見るとついつい小さな声で「おつかれさまです・・・」というようになってしまった。
 
さらにその狭い事務所でほかのパートさんと2名休憩に入るとき、昼ごはんを広げる場所はそのマネージャーがパソコンをいじっている小さな机しかないのに、そして、私たちが限られた休憩時間の中でお昼ご飯を食べる場所が必要なのは明らかなのに、彼はピクリとも動かずにその場を離れない。
 
ちなみに社員用の作業デスクは事務所内の別の場所に用意されている。通常、店舗の社員はそこで作業をしているし、店舗の社員は店に出ているのだから、彼がそこで作業をすれば解決するのである。しかし動かない。

腹が減っては戦ができぬ。
そしてやすい時給を削って休憩時間を取っているのである。

動かぬろう人形にしびれを切らせて
「ここを使わせていただけませんか?」と詰め寄ると、


「あ」

と小さくつぶやいて席を立った。


・ろう人形のルーツに思いをはせる


挨拶というか、ここまでコミュニケーションを取らない人に出会ったのは初めてで、怒りよりも疑問がわいてしまう。

冷静に考えて、接客が命の店舗業界で、今でこそマネージャーとして管理職をやっているが、彼だってきっと社員になりたての頃は1スタッフから始めて、店長に昇格して、だんだん偉くなって今の位置にいるのだと想像する。店員から店長になるには、店を切り盛りするなり、売り上げの実績を上げるなり、それなりのことがないと昇格できないはずだ。さらに店長から地域統括のマネージャーになるには、またそれなりの実績がないとなれないはずなのだ。
 
それとも何か、わたしたちの前以外ではとんでもなくおしゃべりというような二面性を持っている人なのか?

疑問は尽きないが、ある日店長とろう人形の彼が話しているのを小耳にはさんだ。しゃべるんだ。と驚いた。内容を聞いていると、ほぼ「俺の話」だ。経営上どうかというよりは、「俺がしたいこと」的なことをブツブツと話し、店長はひたすら相槌を打っていた。

というか、それだけ話せるなら挨拶もできるだろうと、その日の帰りにろう人形の彼に「おつかれさまでした」と言ったら、無言でこちらを見て頭をかすかに会釈のように動かしたように見えた。

動いた。

もはや人間に対するリアクションではないが、そのくらい動かないのだ。
なにしろ「ろう人形」である。
 
定点観測していると、彼は当たり前だが社員には仕事のことについて話しているようだ。けれど私たちには相変わらずの塩対応だ。
 
それがなぜかをあれこれ考えて、状況から判断して導いたひとつの回答は

「偉いやつはパートごときに挨拶する必要はない」

という価値観からなのではないかということである。
 
もちろん照れ屋とかシャイとか、持って生まれた性格はあるかもしれない。しかし、いっちょ前にマネージャーの給料をもらっている人間なのだ。シャイだから挨拶しませんという言い訳は通用しないのではないか。それで通用する接客業があれば教えてもらいたいくらいだ。


これはひとつの想像でしかないが、
もし私たちパートを
「挨拶するほどでもない、取るに足りない存在」
だと思っているのなら、それは大きな間違いだと言いたい。


なぜ私たちが安い時給で働いているのか。
それは補償のなさであったり、責任の範囲の狭さだったり、就業日数の自由度だったりであり、それを自ら選んでいるわけだが、


その賃金で雇われたパートの生産性が低いかというとそういうわけでもない。現に店舗は数少ない社員と、多くのパートで回っている。

 
要は、その「ただのコマ」のパートがいなければ、マネージャーの給料もボーナスも生まれないわけだ。

 
もしそのことが少しでも頭の片隅にある人であれば、どんなに恥ずかしがり屋でも自分の給料の一端を担っている人に「おつかれさま」の一言くらいいおうという気にならないものか、と思う。


若いころにありがちなことだが、昇進を自分「だけ」の実力と勘違いして、イキリ散らかしている痛い人を見かける。わたしも若いころは自分のことばかり考えて、周りのことを考えずに仕事していたなぁと思い返すこともある。

でもやはり、それでも最低限
守りたいラインというのがあるなと思う。


・そして、ろう人形は去った


結局、ろう人形の彼は、他エリアに異動が決まったらしく、知らない間に消えていなくなってしまった。


なので、ろう人形の彼が実際どんな気持ちでこんな態度をとったのかは謎のまま解決せずじまいで、悪者扱いしたままこの文章を閉じるのは、彼にも申し訳ない気もする。


だが、この47歳の初体験で思ったことは、やはりどんなに成果をあげていても、自分「だけ」の力で出来上がったものではないし、自分は、それを支えてくれている周りあっての自分であることに気づき、少しでも心を配れる人間でいたいなと改めて思った。


ブログチャレンジ9日目達成!
今日もお読みいただきありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?