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般若心経(宇宙の法則)

新しい世界へと導くこころのガイドマップ


ある方が宇宙の真理を知りたいと願い、深い瞑想に入り囚われのない心でこの世界を観てみました。
するとこの世界のすべては移り変わっていく実体のない幻であり、それは夜空にきらめくオーロラのように、現れては消えて行くとらえどころのないものであることに気づきました。
そのことからこの世界はフィクションの様なものであり肉体を持った自分は役を演じる役者に過ぎず、肉体の自分を含めた世界全体を体験している意識(生命体)が本当の我であることに気づき、その視点から現実を見直してみました。
すると自分というものに対する執着が薄れ、心は軽くなり、一切の苦しみや悲しみは消えてゆき、やがて健気にも真剣に役割を演じている者たちに対し愛しいという思いがこみ上げてきて新たな世界が見えてきたのです。
あなたも常識や思い込みを外してもう一度観察してみてください。
例えば蛍光灯の灯りは切れ目なく照らしていると人の目には映っていますが実はついたり消えたりを繰り返しています。これと同じように形あるモノも量子物理の世界(物質の最小単位・見えない世界)では絶えず変化しているのだそうです。
今我々は動画を楽しんだりしますが、これもパラパラ漫画と同じで一瞬ごとの静止画を連続で見ているだけで、本当の連続などないのですがそのことには気が付きません。
人間の感覚では一瞬一瞬の変化を感じられなくても、実際には確実に変わっています。
人間の体でさえ半年でほとんどの細胞が入れ替わっていて、半年前とは別人と言ってもおかしくないのです。
つまり一瞬一瞬変わっているということはある意味幻であり、別の言い方をするとあやふやで実体がないということです。
そこから現実は幻(あやふやなもの)と考えることができるのです。
また一瞬一瞬変わっているということは、一瞬一瞬物事は完結していると考えることもできます。
ということは今の場面を次の場面に引きずらなくてもいいということです。
また別の点から見ても、現実は私たちのとらえ方次第で変わります。
例えば良いところを探せばよいと思える現実が、悪いところを探せば悪いと思える現実が現れます。
また慎重と優柔不断、チャンスとピンチなどのように、物事はとらえ方ひとつで、どちらとも言えるものです。
このように現実と言っているものの正体は、私たちの考え方ひとつでひっくり返る、あやふやなものであり、思っているほど確かなものではありません。
また私たちは誰もが同じ一つの世界を観ていると思い込んでいますが、そのことを誰も確認することはできません。
何故なら違う人間が同じ時間に同じ場所、同じ機能、同じ考え方で存在することはできないからです。
そして今の科学でも物体は観察者つまり見ている者の影響を受けて変化することが報告されています。
さらに驚くことに、今までの常識では考えられないことですが、観られていないとき、物はモノとして存在していないとさえ考えられています(量子物理)
ということは、あなたがいるから、あなたの見ている世界は存在しているということになりませんか。
どうやら私たちは一つの世界で生きていると思っていたけど、実際はそれぞれが見たい様に見、聞きたい様に聞き、感じたい様に感じた個人仕様の現実世界を生きているらしいのです。
さあ、あなたの常識を外してイマジン想像してみてください。
この世界はそれぞれの心を映し出したファンタジーなのだと。
一瞬一瞬すこしずつ違う絵が現れては消え、消えては現れるその残像をつないで、現実と呼び主人公になりきって喜怒哀楽など様々な思いを創り出して遊んでいる。
また記憶することで自分と他人、過去と現在などを比較や評価するようになり、増えた減った、美しい汚い、正しい間違い、などと本気で考え、そのことに振り回されている。
比べることが当たり前と思い込み、比べても意味のないものを比べて自分で勝手に困っている。
また消えていったものを過去、現れ来るものを未来として時間という概念を発明しました。
でも実際は過去や未来があるわけではなくて、今が変化して見えているだけで、その今もまたあやふやなものなのです。
そのようなあやふやな過去に縛られる必要はありません。
そのようなあやふやな未来を心配する必要もありません。
過去にとらわれず、未来を心配しないで、一瞬一瞬を丁寧に生きることが人生を楽しみ、今を生きることなのです。
本来この世界は無限の可能性に満ちた空間。
空(くう)とは何もないからなんにでもなれる、無限の可能性を秘めた存在なのです。
在るといえばある、無いといえばない、しかし在るわけでもなく、無いわけでもない。
どのようにでも自在にとらえることができるのが空なのです。
現実を否定する必要はありません。
在るといえばあるのですから。
現実に縛られる必要もありません。
在るわけでもないのですから。
そうです、この世界はいつでも可能性にあふれたファンタジーの世界。
今までも私たちは自由にこの世界を遊んできました。
何故なら不自由と思える世界を自由に作り出したのですから。
私たちはいつでも自由に考え方を変えることができるのです。

開眼世界観
一瞬一瞬とらえ方次第で変わってゆく当てにならない現実にとらわれることなく、あるがままに今を感じて生きるとき新たな運命が動き出し新たな世界が現れます。
宇宙とは無限の世界です。
人間の心では理解しずらいのですが、始まりという概念がないのです。
一瞬は始まりであり、終わりであり、永遠なのです。
そしていま私たちのいるこの世界は有限を味わえる夢の世界。
私たちは形のない世界に形を創って遊んでいるのです。

私たちすべての人間はそれぞれの人生というシナリオに導かれ豊なる心への道をたどります。
例えその道のりが厳しいものであってもあえて突き進む愛しい存在なのです。
もしいまあなたが「自分は取るに足りないちっぽけな人間であり、なんてひどい人生なんだろう」と思っているならちょっと視線を変えてみてください。
あなたこそ苦難の道をあえて突き進む勇者であると。
あなたは今の人生を使ってこの世界の真理を探す旅に挑んできたのですから。
あなたは今のそのままで世界の中心であり指導者なのです。
何故ならあなたの経験している世界に、意味をつけられるのはあなただけなのですから。
無限の世界それが宇宙意識の世界、そして有限を感じられる世界それがいま私たちのいる地球意識の世界。
私たちは地球の子であり、宇宙の子。
すべては一つであり、別れていないものを形にして分けて遊んでいるだけなのです。
実は私たちは途方もなく大きいのです。
今この時代を迎え、私たちはこのことに気づき豊かな心に目覚め、自分という一本の木を大きく育てたいという思いから解放され、森、大地もまた自分であることに気づき、美しき世でありたいと願い始めたのです。(SDGs)
私たちは自分という枠から抜け出し、我を開放することで本当の世界に出会うことができるのです。
この世界は宇宙からのプレゼント。
笑うもよし、泣くもよし、すべてを信じ、心と感じるままに進むことは愛ある姿です。
そして生きている喜びを優しく感じる心は愛そのものです。
生きるとは豊かさへの限りない挑戦。
すべての心の源は豊かなる心です。




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