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宝塚からキャリアチェンジを重ね実現したかったものは?【MY STORY #3】

(*この記事は、2021年3月に再編集しました。)

この記事は、これまで公開していなかった赤裸々な思いも書き綴った、私のキャリアストーリーです。

MY STORY #1はこちら
宝塚で経験した幸せと挫折、そこから第二の人生を目指そうと思った心の変化

MY STORY #2はこちら
社会人からの大学受験、大学での出会い、アラサーで初の就活・どん底、就職先に出会うに至った、第二の人生を決めた大きなきっかけ


アラサーにして初の企業就職!

MY STORY #2で書いたように、児童福祉施設での実習体験を通して、

はたらく大人を元気にして、子どもたちの笑顔をふやしたい!!

そう思った私は、日本生産性本部という機関で、初めてのいわゆるOL生活をスタートすることになりました。

当時31歳。同期の新卒の子とは、約8歳の年齢差がありました。31歳で新卒新入社員・・・なかなかいないですよね?ここでもまたもや、先輩職員の方々から珍しがられ、興味の対象に。

「宝塚をやめて、なんでうちに入ったの?」

会社の職員の方はもちろん、お客様やビジネスパートナーとなる先生方にも、初めてお会いするたびに、必ず聞かれる一言。

今では、「このMY STORY #1〜2を読んでください」と言えばいいのですが。笑

当時SNSで語るすべもなく、毎回の説明に骨を折りました。(それほど、興味を持ってくださるというのは、嬉しいことでした!)

ということで、いろんな方と打ち合わせやランチ・飲み会でご一緒するたびに、何十、何百回と語ってきました。

その何百回という語り体験・・・それが後々、自分自身の宝になるとは思いもしませんでした。

自分のエピソードを、これまでやってきた思いも、これからのミッションも含め人に伝えるというのは、今までにしたことがない経験。

それを伝えていくたびに、私という人間を知ってくださり、思いに共感してくださったり、必要な助言をくださったり・・・

とにかく、会社の中で縦にも横にもつながる皆さんが、私のことを知ってくれているというのは大きな安心感になりましたし、会社経営や人材育成というビジネスのど真ん中に入り込んだ初めての環境の中でも、相談しやすい人間関係ができた、というのは私にとって大きな後ろ盾となりました。

入社時は、「私新卒だけど年齢いってるし、先輩も年下だし・・・」なんて気負っていたのですが、周囲がとても温かく迎えてくださったので、新しいキャリアを歩んでいくその先の未来が楽しみでいっぱいになりました。


スタートの仕事は、企業研修の企画と運営!

さて、日本生産性本部では、「生産性向上」という柱を目指しながら、経営コンサルなどさまざまな事業をやっている、ユニークな組織です。

その中で、私は企業向け研修を企画提案し運営する仕事、つまり「人材育成」商品をプロデュースする役割を担うことになりました。

新入社員〜経営層までの階層別教育、経営、営業、マーケティング、人材マネジメント、コーチング、カウンセリング、メンタルヘルス・・・初めて触れる言葉の洪水ばかり。大学の専門領域(社会福祉)ではなかったところへの関わり。

とにかく、勉強しなきゃついていけない!!

と、楽しみの反面、プレッシャーもかなり抱えてのスタートでした。

「はたらく大人を元気にする!」という初心を思い起こしながら、ひたすら学び始めるセカンドキャリアにになりました。

そして・・・

いつか、この中で専門領域を身につけ、プロフェッショナルになりたい。

そんな次なる夢を持つようになりました。

ところが、ワクワクと高揚感から一変、入社一年目に、突然、思いがけないライフイベントにぶつかることになります!!


入社一年目の結婚と、同時発覚の妊娠

大学の時に出会った夫とは、「私が卒業して就職したら結婚しよう」と約束していました。

30代だし、就職後すぐ結婚することも、周囲にはご理解いただけるだろう。

そう思って、仕事に没頭しながらも、週末は結婚式場めぐりなどをして、少しづつ準備をし始めました。

夫は上海出身の中国人なので、夏休みには家族で上海に挨拶に行ったり、蘇州のドレス市場にウエディングドレスを買いに行ったり。

式は、中国の国慶節で家族一同が日本に来れる10月に挙げることになりました。

国境をまたいで大変だけれども、楽しかった結婚式準備。

そして当日は、宝塚の仲間や旧友や恩師、たくさんの大切な方にお越しいただき、本当に幸せなひとときでした。

・・・ところが、式当日。いつもと何かが違う!不思議な体調変化が起きていました。

翌日、結婚式の余韻もつかの間・・・妊娠が発覚しました。

まさかの妊娠。

嬉しい。

でも、すぐに頭によぎったのは、こんなこと。

「どうしよう。新しく仕事始めたばかりなのに・・・」

喜びと不安で複雑な気持ちになり、上司にどうやって言い出したらいいのか悩む日々でした。

けれど勇気を振り絞りお伝えしてみたところ、幸いなことに上司には温かいお祝いの言葉をかけていただきました。

まずはホッと安堵しましたが、それもつかの間。

まだまだこれからなのに、来年育休をとってブランクができたら、私のキャリアはどうなるんだろう??

ちゃんと働いて仕事に貢献していけるんだろうか??

そんな不安ばかりが押し寄せてきました。

「長期的な目線で会社でのキャリアを考えていかなければならないな」

なんていうふうには落ち着いて考えられず、

「育休中も企画考えます!」

と上司に宣言しては

「いいよいいよ、仕事のことは考えずに子育てに専念しな。産後はきっとそんな余裕はないと思うからさ。慌てないで、まずは子育てがんばってきて」

と温かい励ましをいただいたにも関わらず、その言葉は左から右へ抜けていってしまいました。

(今振り返ると、上司のおっしゃるとおりです!当時は、なんてありがたい言葉をかけていただいていたのでしょう!)

そんな不安ばかりの気持ちを抱えたまま、翌年、”出産”という人生における幸福を通り越し、ダークな育休期間を迎えることになりました。


ダークすぎる育休期間

とにかく、上司にどう言われたって、復帰を視野に仕事のこと考えなきゃ!

と、本当に子育てを甘くみていた私は、「赤ちゃんが寝ている間にできることだってあるだろう。」と気楽に考えていました。

もしかしたら、そのとおりにできるお母さんもいるかもしれません。

でも、産後の状況は、人それぞれ。なってみないとわからなかった。

私の場合、産後の再入院や、母乳育児がうまく軌道に乗らないストレス、娘の激しい癇癪泣きと細切れの睡眠、細切れの授乳・・・

ひたすら体力を消耗していく毎日に、「こんなことになるなんて!」と現実がうまく受け止められず、多分産後うつ的な状態になっていたんだと思います。

何があるわけでもないのに悲しい。

子どもが「かわいい!」と実感する余裕がない。

復職のことを考えては不安。

ろくに眠れない。落ち着かない。

子どもが生まれてハッピーなはずなのに、モヤモヤして夫にも泣いて当たることが何度あったか・・・。

「この苦しさをどうにかしたい!」

と、ある日、藁をもすがる気持ちで区役所がやっている子育て心理相談会の申し込みをしてみました。

しかし、電話口で「育児というよりご自身の仕事のことで不安を抱えているのですね。そういうことでしたら、ちょっとこの講座の対象にはならないかなと思います。」と断られてしまったのです。

子育てしているママとしての心理の相談なのに!

と、ショックでさらに落ち込むも、ふと、

「そうか、私のダークなモヤモヤの原因て、キャリアの不安なんだ・・・」

はじめて人に救いを求めて、結果断られてしまったけど、返ってきた言葉に気づかされました。

しかし、当時10年前。

今でこそSNSでキャリア相談の相手をたくさん見つけられる時代になりましたが、その時はSNSさえ発達途上、そもそもそういうキャリアの専門家に相談をすればいいんだということさえ知らず、仕方なく、復職までモンモンとしたダークな育休を過ごしてしまったのでした。

そうして、翌年春に復職を迎えることになります。


これだ!私の目指したいプロの道!!

復職後は数ヶ月もしないうちに、「あなたが適任だと思って」と、新しい部署への異動が通知されました。

これから出産・育休を迎える方の後任者となる業務だったのです。

そこは、ビジネススクール事業をしている部署で、企業の人事担当者が学びに来るコースの年間運営事務局というポストでした。

「人を活かす」

「人のキャリアを応援する」

「はたらくを支援する人を支援する」

頭に浮かび上がっていた私の貢献したいワード一覧が、バーっと飛び出してきました。

これは思ってもいないチャンス!

キャリアに悩んだ育休期間を払拭できるかのような、仕事への期待感で気持ちはいっきに高揚していきました。

出産した私が、職場内でポジティブに迎えられた転機。

これは幸運でしかないと思うと同時に、復職まもない私に、そういう責任の大きいポストを任せてくださった会社へ、感謝の気持ちでいっぱいでした。

そして、人事領域について学び直そうと考えていたところ、わが社が提供しているある資格の養成プログラムがあることを知ります。

それが、「認定キャリアコンサルタント養成講座」でした。

宝塚をやめて次なるキャリアをどうしたらいいのか悩んでいた、私のような人を応援できるキャリアコンサルタント!

出産・育休後のキャリアに不安を抱えていた、私のような人を応援できるキャリアコンサルタント!

これは学ぶしかないでしょ!!

と思い立ち、子どもを家に残しての土日返上の通学も家族の協力を得て、上司の許可も得て、社内研修として講座に通わせてもらうことができました。

そこで学び、資格取得したことが、その後の独立起業につながることになるとは、この時は思ってもいませんでした。


キャリアコンサルタント養成講座で、ロールモデルとなる師匠との出会い

講座では、ある先生との出会いが、キャリアコンサルタントとして独立するきっかけの一つとなりました。

法政大学キャリアデザイン学部教授(当時)の宮城まり子先生。

講座のメイン講師として、カウンセリングとキャリア理論をじっくり教えてくださった、とても素敵で厳しく愛情あふれる先生です。

大学教授というイメージにはなかった、親しみやすさ、明るさ、楽しさ、キュートさ!そして、とにかく人を「応援」する気持ちが心からお顔に現れていらっしゃるような温かい眼差し、講義をするときに生徒を魅了する美しい伝え方やふるまい・・・

宮城先生から教えを請うすべてが、何より心地よく、ワクワクする時間になりました。

ご年齢で言えば”シニア”でいらっしゃる先生。

だけど、年を重ねてもこんなに素敵に、誰かをワクワクさせながら誰かに寄り添い、プロとして生き、そして自らも美しく魅力的にキャリアを重ね続けることができるんだ・・・

私、ロールモデルに出会ったかも!!

と、先生のお姿に自分の未来の姿を想像して重ねては、最高に”期待感”でいっぱいになる新たな気持ちが湧き上がってきました。

そして、資格取得後も先生にちょこちょこお世話になっては、「ああ、こんなステキな女性になりたい!」と刺激を受け続けるのでした。

宮城先生という存在に出会ったこと。

それは、私がキャリア支援のプロとして独立をするきっかけをもたらした、大きな転機になりました。


キャリア支援のプロとして生きたい!

宮城先生みたいなキャリア支援のプロになりたい。

漠然とそんな思いを持つようになったものの、すぐに独立とまでは気持ちが向きませんでした。

そうするうちに、二人目を出産、二度目の育休。

今度は、夜泣きが激しい息子に、睡眠時間を奪われ、日中は睡眠不足と闘い、ストレスで過呼吸にもなった育休中。

またダークな育休じゃん、私・・・。

なんて薄々感じながらも、「子育ては苦難なり」と身にしみながら、一度目の教訓もあってか、仕事の心配はあまりせずに過ごせました。

ただ、ひたすら、一日を子どもと生きるだけで精一杯。

なんとかそれを通り抜け、復職までたどり着いたら、

再び「異動」辞令がやってきました。

今度は、人材育成よりも、経営支援の側面が強い業務です。サービスの表彰プログラムをつくったり、経営発展のための事例セミナーをつくったり・・・

またゼロから学びスタートかいな!

これは長くなるぞ〜!

と、新たな転機に期待というより、足りないを埋めるべく、必死に新たな任務に食らいついていく日々でした。

しかしここでも思いが引き寄せたか?ワクワクする人材育成事業も担当させていただくことになりました。

社会人インターンシップ事業「大人の武者修行」。

ここで、キャリアコンサルティングの力を発揮できる「キャリア個別相談」をさせてもらえることになったのです!

日本全国の多種多様な企業ではたらく、多様な人たち。

その人たちの人生にも関わることができるという、責任も重い、学びの深いお仕事。

ここで何より、相談者の方が未来に対して前向きになり、笑顔でイキイキと変化していく様子を見て、心からの喜びを感じました。

人の成長に、こうやってグッと近い距離感で応援できるなんて、なんて奥深くてすばらしい仕事なんだろう!!

そんな感動体験が、「この領域のプロフェッショナルになりたい!」という気持ちを、また強く押してくれるようになりました。


二人の子どもを抱えながらの会社員としての働き方の壁

さて、キャリアコンサルティングに魅せられながらも、会社員としての仕事は続きます。

相変わらず私の仕事の柱は、人材育成、研修事業でした。

時には新入社員研修の講師なども務めながら、メインは研修企画と事務局。

当然のこと、担当する研修プログラムの責任者になりますから、当日の運営には長時間責任を持って張り付くことになります。

そうなると、一日研修の場合、準備や確認も兼ねて、研修現場へ早朝到着し、終了後も企業の担当者との振り返りで終了は19時を過ぎる、なんてことがザラにありました。

時には、遠隔地への出張もありました。

すると当然、子どもとの時間を削ることになるわけで・・・

保育園に夕食まで提供していただくようなルーティンになっていきました。

送迎は共働きの夫と協力しながらやっていましたが、二人とも会社員だから、職務によっては融通するのが難しい日もあります。

長時間保育が続くと、朝、娘に大泣きされることもしばしば。

(今、小学生になった娘にその当時のことを聞くと、「お母さんともっと一緒にいたかったんだよ〜」と言われました!!そうだよね、ゴメンね> <)

やりがいのある仕事だけど、子どもとの時間を犠牲にしているという意識。

複雑な心を抱えながら仕事することへの違和感。

このままのはたらき方をしていて本当にいいの?

「イキイキはたらく人を増やす!」と思いを持っている自分が、はたらくことにこんなに負担やストレスを感じていて、いいの??

キャリア支援者として、私、こうあるべきなの???

複雑な思いを胸につのらせながら、仕事帰りに本屋に寄ると、

一冊の本が目に飛び込んできました。

『すべての女は、自由である』

若くから女性起業家として活躍されている、経沢香保子さんの本でした。

「そうか、起業っていう道がある・・・」

本を手に取ったとたん、急に自分をとりまく世界がザワザワと動き出し、心のトキメキを抑えられませんでした。

独立してやってみたい!!

一人でやっていくことで、子どもと向き合う時間をつくりながら、私のキャリアもあきらめない。そんな生き方をしてみたい!!

本を読みながら、新しい世界を知った喜びに涙し、挑戦する勇気がフツフツと湧いてきました。

私の人生はチャレンジの連続。

それを楽しむことは厭わない。

そういう生き方をすればいい。

それが私のキャリアそのものになる。

心の動きは止められず、そうして会社を飛び出す勇気を持ち、2017年の春、会社を退職して個人事業主となりました。

はたらく人を応援していく場所、人生を豊かに過ごしたいと願う人を勇気づける場所。

そんな存在になりたいと、「Encourage House」という屋号をつけ、第三の人生、サードキャリアを歩み出して、今。

ライフスタイルも仕事も、最高に充実した今を手にすることができました。

そしてプライベートでは、2018年に第三子を出産。

自由な働き方、生き方を手に入れた私は、夫の海外駐在に着いていく決断もサラリとできて、出産後すぐに上海に渡航。

そして、コロナ禍で2020年の冬に一時帰国してから秋には本帰国が決まり、日本での起業を本腰を入れて再開しているところです。


もがき続けた。だから今の私がある。

宝塚で夢を叶えた。

でも、挫折した。

第二の人生に挑戦した。

使命に沿って働く場所を見つけた。

でも、キャリア不安を抱え、働き方に悩み尽くした。

そして、

第三の夢である、キャリア支援プロとしての道を、独立して歩み出した・・・


そんな私自身の人生に期待されていることは、

これからも挑戦し続けながら、

人生を前向きに豊かに生きたいという人たちが、変化し、新たな人生の成功を手に入れられることを、サポートすること。

そして出会った人たちとともに、すばらしい人生をつくりだしていくこと。


そんな人生を、手にしたい。

それが、私の実現したかったことなのだと、今心から実感しています。

そして、今まさにそれを実現しながら生きていることで、

いつの間にか私の歴史に深く傷を残していた後悔の念や、挫折への悔しさ、自己肯定感の低さが、嘘のように手放すことができていました。

そして、

「どうやったら、ゆかさんみたいにいつも前向きで自己肯定感高く、一歩踏み出していけるんでしょうか?」

こんなご質問をたくさんいただける自分になってしまいました^ ^

だから、確信してお伝えします。

あなたは、必ず、生まれ変われる!

かならず新しい人生を手に入れ、イキイキと生きていくことができます!!

それが、いくつになっても、どこにいても・・・。

今度こそ、人生を変えたい!私のキャリアを成功させたい!

そう感じて前に進みたいと思っていたら、ぜひ一度私に会いにきてくださいね♡

ともに、人生を味わい尽くしていきましょう!!


★私のキャリアストーリーは、本回でいったん終了となります。

が、

これからも何が起こるかわからない人生!

引き続きキャリアストーリーが幾重にも重なり成長した物語を届けられるよう、この記事を読んでくださった皆様に元気になってもらえるよう、歩み続けていきますので、

ぜひ応援してくださいね♡


最終章まで長文お読みいただき、本当にありがとうございました!!


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