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ドリームキラーかミカタ予備軍か

高次脳機能障害者が書いた手記を出版し、それを足場に彼の社会復帰を支援する活動が始まった。キャンプファイヤでのクラウドファンディングだ。

『障がい者の社会復帰支援 第一弾プロジェクト!出版費用を集めたい!』https://camp-fire.jp/projects/view/54833

いやあ、ほんと、いろいろあった。そのネタでも本が1冊書けそう。実際、障がい者の彼について取材に来た新聞社の記者が「あなた方がしていることも相当面白い」と言ったくらいだ。

色々な言葉が私たちに向けられた。あなたなら、どう思う?ちょっと考えてほしい。

・障がい者を見世物にするつもりか?
・ハッピーエンドじゃない本なんて売れっこない
・この人が貧乏じゃないなら、本人が自費出版したらいいじゃないか
・高次脳機能障害なんて知らない。だから売れないよ
・他にも障がい者はいっぱいいるのに助けないのか?
・障がい者の講演会なんてリスキーだ
・本の値段が決まっていないのに、なんでリターンの価格設定ができる?
・恵まれない障がい者が恵まれた障がい者を羨むことにならないか?

これらはほんの一部だ。おそらく、普通の女性なら泣き出すレベルかもしれない。しかし、私たちはもう腹が据わっている。「判断後」の「決断後」なのだ。もう行くと判断し、何が何でも行くと決断した。どんなに周りがとやかく言おうと「辞める」ことはしない。せいぜい、方向を微調整するレベルだ。

ドリームキラーという言葉がある。夢を潰す人という意味で使われる。人が何かを始めようとした時に、周りでとやかく言う人らしい。ところが、私は生まれてこのかた、ドリームキラーというものに会ったことがない。「無理なんじゃ?」と言われたことはあるけれど、たいてい「もっとこうしたらうまく行くよ」という代替案とセットだ。そういう人はドリームキラーとは言わない。

例えば私は若い頃、ミュージシャンを目指して上京した。しかもきちんと4年生の国立大学を卒業した後だ。誰一人として「無理なんじゃ?」とは言わなかった。ほとんどの人が、呆れていた。私の情熱の前に、誰もそんなことは言えなかったという方が正しいかもしれない(違)
唯一反対していた父親も、最後には「好きにしなさい」と言ってくれた。その後も仲は悪くない。結婚をしてからも、PTAを運営したり、子供会の理事になったり、音楽を再開したり、突然個人事業主になったり、新しい事業を始めたり、失敗したり、色々なことをしたが、家族は反対しなかった。

「それじゃ、うまく行かないよ。いい人がいるから紹介するよ。話を聞いてみたらどうかな?」「その方法じゃダメだよ。前にこんな本を読んだよ。役に立つと思うよ」そんな感じだ。「ダメだ」「うまく行かない」という言葉と、愛がセットになっている。

ところが、今回のNPOに関しては、まあ、色々言われた。それでも、運命を邪魔されているとはちっとも思わない。なぜなら、私たちがこの活動をすることはもうとっくの昔に決まっていた気がするからだ。強烈にそんな気がするから。妄想かもしれないけれど、それを邪魔して得になる人がこの世にいるとは思えない。もしいるとしたら、私のことを「嫌いだから」の一点でサゲ評価する人だ。そんな人は誰がどう見ても相手にする必要はない。「愛」がセットになっていない人は、実は「愛」に飢えている可愛そうな人だ。きっと、私が救うべき人。後述。

私はもう、代替案なしでも全ての助言を受け入れられる。代替案は自分たちで考えれば良いとさえ思える。

そして、もう一つ自分との葛藤があった。私は「教育者」なのに、どうして「障がい者」のNPO活動なのか?ということだった。こればかりはどうにもならない。引き留めようとしている相手が自分自身だからだ。

ちょうどそんなタイミングで、大熊雅士さんの研修会を受講し、発達障害について学んだ。大熊さんは東京学芸大学付属世田谷小学校教諭、東京学芸大学教職大学院特命教授などを経て、今は現場で働いている。研究もするし、実際に引きこもりの子どもたちを次々に学校に戻している人だ。実際、あまりに復学するので、NPOの収入が途絶えそうだと、これまた名前の通り、熊のような顔をして笑いとばしていた。
私はもっと現場に出なくちゃだめだ。そうだ、学習相談を再開しようと思い立った時、私は「社会が多様性を認めない為に苦しんでいる人を助けたい」という思いに至った。ただし、方法は私のオリジナルになる。そんな妄想をした

カギになるのは母親だ。大熊さんは、バブルがはじけた時期に多大なストレス、社会的不安を受けた世代に母親が妊娠していた子どもたちに、センシティブな子が急増したデータを見せてくれた。「これだ!」と思った。もし、この法則が正しいのなら、救うべき人は二人いる。子どもと、そして母親だ。

ストレスを感じた母親から生まれる子どもは過敏になる。なんだかラットの世界では当たり前のように感じるような結論に、私は自分の使命を見たような気がした。こんな結論では、余計母親に全ての責任が覆い被さってしまう!
そのことについては、もっと、考察と、現場の数を踏まないといけない。

ところが、この決断は、なんだか、初めて考えたようじゃない気がしてきた。そう、一緒にNPOを立ち上げる西村さんとは、ここ2年、会う度にしていた話につながっていた。「有香さん、母親やで、母親。最後には母親を助けなくちゃいかん」

そのタイミングで理事が一人抜けた。もう設立申請書も提出し、設立総会の日程も決まったこの段階で、信じられないできごとだった。そう、私はそれまで理事ではなく、猛烈にお節介をやくただの友人だった。このクラファンに関する文章を全部書き、ホームページ(https://www.re-job-osaka.org/)をこさえ、SNSのアカウントを作り、動画を編集し、まあ、色々用意した。「畑が違うから理事はやれない」私はそうして断っていたのだ。理事はギリギリの人数で構成していたので、残りの二人だけでは、もうNPOとして成立しなくなる。また、一からやりなおしか? マジか? やっぱり最初から出直した方がええんか?

でも、私は何もかもが運命だと思った。「畑が違うってなんだ?」根底に流れている思いは一緒なんじゃないか?

「私、理事になろうと思てん」

エセの関西弁で二人の理事に話した。Skypeの向こうで二人は絶対泣いていたと思う(笑)

そこからがすごかった。腹を決めた女たちは強い(笑)
すると不思議なことに今度はミカタがどんどん出てきた。手売りで本を売る人も出てきた。これは実は会計がややこしい。でもそれが何だというのだ? 一緒に活動していこうという人も出てきた。まだまだ申請中なので口約束しかできない。でもそれが何だというのだ?

そして、様々な反対意見を全部丸っと飲み込み、一応(笑)対策を立て、私たちは出航した。

つづく

追記
写真左、言語聴覚士の西村さんが書いた同じ内容のブログです。医療側からの言葉も読んでおいてください^^
http://chienowa80.net/archives/1606

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