大量生産への愛
親しい友人の何人かが、どういう訳か、焼き物が好きで詳しい傾向にある。知り合ったタイミングもまちまちなのに、なかなか、多い気がする。
あまりに自然にそうなったので、うっかりわたしもそうだったような錯覚を覚えることもあるのだけど、これまた何故だか、この点においては友人たちほどの熱量を持てないのだ。
どこどこの窯が、とか、作家の名前とか、○○焼が、とか耳にしても、
ワインの蘊蓄と一緒で(ワインは大好き!)、
「へぇー、そーなんだー」「何度か聞いたことがあるかもー」
な感想とともに、流れていく感じ。
好きなの。
好きなんだけど、特別コレ!っていう執着のようなものが生まれないだけなの。
言い方を換えると、
一期一会を楽しんでいる、というか、
所有や保有することよりも、出会って袖振り合う感じが、好き、
というのがしっくりくるかな。
一点ものとして、手間暇かけ、技の限りを尽くした「作品」を生み出せるスキルやセンス・技術を、到底わたしは持ち得ないから、尊敬しかない。
一方で、わたしは、大量生産されるモノに、実は興味を惹かれるのだと、ようやく最近気づいた。
大量生産され、あらゆるところに一気に普及し、言葉通り「消費」されるモノ。
日常にタフに寄り添ってくれて、ちょっとした自尊心も与えてくれる、優秀なデザインのモノ。
優秀なデザインのモノは、大量生産され、消費され尽くしても、後世に残る。
ココにものすごーーーーーく惹かれる。
MoMAのプロダクトのアーカイブなんか、ワクワクしっぱなしでテンションがあがる。
博物館で展示されるいろいろな民族の服や、服飾品、実際に使われていたいろいろも、何時間だって見ていられる。
使われて、当たり前すぎて、特別扱いされずに、そのまま消えていく。
何とも言えない感情が湧く。
大量生産への愛。
ちょっとおいしいおやつが食べたい。楽しい一杯が飲みたい。心が動く景色を見たい。誰かのお話を聞きたい。いつかあなたのお話も聞かせてください。