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高感度で光っていたい

わたしの身体の中には感度センサーみたいなものがあるのだが、歩いているだけで反応しまくるほどやたらめったら敏感なときと、腹立たしいほど鈍感なときが不規則にやってくる。

ここのところはずっと後者だった。

負の感情を昇華させることをもっとも得意としているゆえ、幸福な状態が続いていると、とめどなく感度が鈍る。
それでいいじゃんと思う反面、体のどこかが常に警鐘を鳴らしているような気もしていた。

生理的欲求だけに身を任せてなんとなく日々を消化し、生み出すものといえば週5日間の労働による賃金と、一向に目減りする気配のない恋人への愛くらい。

「好きな人と両想い」という悲願を達成し、さらに社会人になって環境ががらりと変わってからというもの、あんなに満ち満ちていた承認欲求が激減し、仕事でも趣味でも「あ、べつに自己実現とか大丈夫です」と思うようになっていた。

クリエイティブに活躍されている方々と会ってお話しすることすらしんどかった。
好きな人に好かれる、という信じられない出来事が起こっているというのに、それ以上何か得ようだなんてこれっぽっちも思えなかった。

日常が満たされていると、自分の感度がみるみる鈍っていくのが手に取るようによくわかる。
わたしにとって最重要事項である恋愛がすこぶる順調であり、仕事もこのうえなくストレスフリー。目下心配すべきことなど何もなく、漫然と日々は過ぎてゆく。

しかし、なんの過不足もない幸福を満喫するとともに、どこかで自分の中に靄がかかっていくような違和感に気づいてもいた。
週休2日。毎日始業ぎりぎりに出社し、定時ぴったりに仕事を切り上げているので、時間は有り余るほどある。なのにわたし、本当にこのままでいいんだろうか。

わたしは「好きな人の恋人である自分」がいちばん好きで、その思いは今もまったくぶれていない。けれども、それだけだとどうも生き心地がよくないことに気がついた。
ほんまにええのんかこれで、という思いが常につきまとう。開き直ってサイコーにハッピーな時期もあったにはあったのだけれど、それもほんの束の間であった。

そんなもやもやした違和感が顕在化したのは、シンガーソングライターである友人のライブがきっかけだった。

恋人の紹介で知り合ったその子は、偶然にもわたしと同い年で出身地がものすごく近く、さらに上京してきた時期も同じだった。
話をする中で、その飾らない人柄と真摯な考え方に惹かれ、誘われるままライブに足を運んだのが昨日のことだ。

「朗読家で物書き、そしてシンガーソングライター」の肩書きを名乗る彼女は、ライブの初めと合間に、演劇の要素も取りまぜながら自身の書いた詩を朗読していた。
そして朗読後、ギターをかき鳴らして力強い声でうたう。

そこに、押し付けがましさや自己陶酔は一切なかった。ただ伝えたい想いがあって、自分はそれを表現しているだけなのだと、まっすぐな言葉や荒削りなギターが切々とそれを訴えているように思えた。

圧倒された。涙が出た。
終演後、一緒に観ていた方とお話しする中で実にしっくりきたのだけれど、彼女のステージははまさに「独白」であった。

どうしようもなく胸に迫り、容赦なく心を揺さぶるものがあった。
否応なしに引き込まれ、気がつけば30分間のステージが瞬く間に終了していた。

彼女がうたっている間ずっと、わたしは書きたくて仕方がなかった。
書かなければいけないと思った。自分でも鳥肌が立つようなことをいうけれど、もう十分休んだだろう、と思った。

結局のところ批判されるのがこわい小心者なので、「もっとすごい人がいるのはわかっているけれど」「所詮はわたしなんぞの主観だけれど」といった枕詞を無意識のうち付けてしまう癖がある。

その思いが高じて「わたしが書いたところで」みたいな卑屈さが頭を占めてしまい、そもそもやる気がなくなったようなところも、少なからずある(と、以前から読んでくださっている方は薄々お気づきかもしれませんが、この流れもう何回めってくらい繰り返しているやつです。このへんとかこのへんとか)。

うまくないからやっちゃいけないなんて、誰が決めたんですか。
そりゃあ仕事として引き受けるぶんには、それなりのクオリティが求められるのは当然だ。しかし、金銭の授受が発生するわけでもなし、なぜそこまで卑屈になる必要があるというのか。むしろ卑屈になる方がおこがましいのではなかろうか。

鈍っている自分がきもちわるいのなら、自ら研ぎ澄ませにいけば良い。
待っていても感度は上がらない、自分から上げにいくしかないのだと、目の覚めるような思いがした。

興奮冷めやらぬまま立ち寄ったミニストップで、桃の凍ったやつに濃厚なソフトクリームが載った素敵デザートを食べながら、わたしは胸中で拳を固めていた。

自分はこれが伝えたいのだと、ステージの上からまっすぐに光を放つ人たちのことを、このうえなくまぶしく、羨ましく尊いと思う。
それは、ステージの内容だけではなく、むしろ彼ら彼女らの姿勢そのものに打たれるからだ。

享受するだけで生きていたくはない。身体がやけに熱いのは、どうやら熱帯夜のせいだけではないみたいだった。


#エッセイ

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