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前進、なのかもしれない。

去年の春頃に買ったスカートを、とても久しぶりに履いた。
真っ赤な色にひとめぼれして、しゃらしゃらした生地感も気に入っていて、去年ほんとにたくさん履いていたものだ。

それなのに、鏡に映る姿を見て、わたしは呆然としてしまった。

似合わないのである。
なんか、へん。なにを合わせてもしっくりこないのだ。
道ゆく人がぎょっとするようなものではないけれど、自分の中での圧倒的違和感がどうしても拭えない。

シンプルなTシャツを合わせることでどうにか丸く収めるも、60点くらいだなあといじいじ思いながら外を歩いていると、あるキャッチコピーがふと思い起こされた。


去年の服が似合わなかった。
わたしが前進しちゃうからだ。


かの有名な博報堂のコピーライター、
尾形真理子さんの作品である。

そっか、そういうことなのか! と、いじけていた気持ちが一気にぱあっと明るくなる。

赤色をはじめ、明るい色や可愛らしいデザインのものばかりを好んでいた去年に比べ、今年は暗色やシンプルなものを選ぶことが圧倒的に多くなっていた。(それはどうしてかというと、恋をしたからに他ならない。)

そりゃわたしが変わったんだから、前似合ってた服が合わなくなることもあるよなあ。帰りにちょっと秋物見て帰ろうかな!

なんてるんるんと考えてしまったあたり、このキャッチコピーの意図するところにまんまと載せられてしまっている。

見るだけでアガる。に加えて購買意欲もさらりと刺激しちゃうんだから、ほんとうにすごいコピーだと思う。

昨日、女性コピーライター3名によるトークイベントに行ってきた。

先ほど紹介したものをはじめとしたルミネの広告や、資生堂のCMであまりにも有名な尾形真理子さん、
村田製作所の広告などを担当されている岩崎亜矢さん、
そしてラジオCMなどを制作されている正樂寺咲さんのお三方が、それぞれ質問に答えていく形式のイベントである。

1時間強という短いあいだだったけれど、隅から隅までそれはもう魅力的なお話ばっかりで、終わってしまうのが惜しいくらいだった。

それぞれが最も注力したお仕事や、広告の仕事をする中で大切にしていることの話など、どれもほんとうに興味深くて、おもしろくてたまらなかった。
メモを取る手の遅さを、あんなにもどかしく感じたことはないかもしれない笑

イベント終盤、「広告の仕事を通じて今後やりたいこと」という質問があったのだけど、
尾形さん曰く「特にないので、もし皆さんから何かご質問があればどうぞ」、なので質問コーナーみたいな感じになった。

一気に心臓が毛羽立った。
聞きたいことが、ある。しかも、ずうっと憧れていた尾形さんとお話しできるチャンスなんて、もう二度とないかもしれない。

さあ、今すぐに手をあげろ!と思うのだけど、どうにも緊張してしまってだめである。
そうこうしているうちに一人の女性の方がスッと手を挙げて指名されたので、ほうっと息をついて気持ちを鎮めようとする。

女性の質問が終わり、今度はちゃんと手を挙げることができた。
指名され、失神しそうなくらい緊張しながら、震える声で質問する。


「言葉と向き合っていて、しんどくなってしまうことはありますか。
そんな時、どうやって乗り越えているのですか」

切実に、わたしが知りたいことだった。


お三方それぞれが答えてくださった。

「ごはんを食べるときもお風呂に入っているときも、生活の一部としてずっとぶらさげて過ごす。それでも浮かばなかったら寝ちゃう」と、正樂寺さん。

「あまり仕事を真面目にやっていない人にあったり、一日中ずっと漫画を読みふけったり。コピーライターとしてではなく一生活者としての考え方や言葉をクライアントに提供するため、やりたいことをやる」と、岩崎さん。

どちらも、なるほどなあと思わせられる答えだった。

どんなに逃れようとしたって、そう簡単に忘れられることではない(趣味でもそうなのに、それがお仕事ならきっとなおさらなんだろうな)。
四六時中考えて考えて、そのうえでポッと出た案が採用される、というのはよく耳にする話である。

また、違う生き方をしている人を見るというのも確かに有効な手段である。
煮詰まっているとき、自分とは正反対の人に会うとほっとするのはそういうことだったのかと腑に落ちた。
無意識に、本能的に求めているのかもしれないな。


最後に、尾形さんが答えてくださった。

「質問の意図とはズレてしまうかもしれないのだけど、」と前置きをして続ける。


言葉は、とても不完全なものです。
持っているもののうち、いったい何割を言語化できるのか。
最近「なんでも言葉にできる人は強い」ということが言われがちですが、実はものすごく頼りないものなんですよね。

感覚値をどれだけ表現できるか、どうやって言葉にできるかということは、考え続けるしかないと思っています。


「それでもコピーが浮かばないときは、寝ますね」
尾形さんは、そう笑って締めくくった。


わたしからすると、言葉の神様みたいに思える尾形さんですら、そんなふうに考えていることは正直すこし意外だった。

でも、考えてみるとよくわかる。

言葉の力を過信していない、その弱さを熟知している人だからこそ、あんなにも多彩で、多くの人の心を動かせる言葉を生み出すことができるのだと。

伝えたい想いが強ければ強いほど、そのたびに言葉の無力さを思い知る。
度々起こるそんな経験を、裏付けられたような思いだった。

ほんとうに、ありがとうございました。

興奮さめやらぬ帰り道、大阪駅の中でふと足を止めた。

四角いスペースの上から、いろんなものをかたどった水が落ちてくる。
その時の時刻とかいろんな文字とか、いちょうの葉っぱとか。

ライトで照らされて金色に輝く水は、きらきらしていてまるで宝石みたい。
あまりに綺麗で、思わずぽかんとみとれてしまう。

ふと、考えた。

これ、どうやったら言語化できるんだろう。
こんなに綺麗だっていうこと、どうやったら伝えられるんだろう。

「大阪駅にある、上から水が落ちてきて時刻とかお花とかの形になるやつ!」と言えば、見たことがある人ならわかるだろうけど、知らない人にはまったく伝わらないだろう。

ぱしゃっと一枚写真を撮って、それを見せれば話は早い。
写真や動画なら一瞬なのに、言葉とはなんと不便なものか。早速それを体感することとなったのだった。

(ちなみにこんなやつです↓)

京都について駅を出ると、そとは雨だった。
でもすこしだけだったので、傘はささずにそのまま歩く。

信号待ちでふと空を見上げると、街灯に照らされて雨が見えた。

その瞬間、

「あ、雨ってほんとうに『降って』くるんだ」

と、思う。

夜だし暗くて見えないので、それまでは「水が体に当たる」という感覚だったのだ。
上からなのか下からなのか、前からなのかもわからないまま。

でも、確かに「降って」きているんだな。

と、子どもみたいに素直な気持ちでそう思う。
何回目の雨なのかわからないけれど、そんなふうに感じたのは初めてのことだった。

すっかり鈍っていた感性が急に研ぎ澄まされたのか、反応が過敏になっている気がして苦笑する。

贅沢きわまりない荒療治で、通常営業のわたしがちょっと戻ってきたみたいだ。


#エッセイ #言葉
#宣伝会議 #コピーライター #尾形真理子

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