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しあわせコロッケ

スーパーでコロッケを買った。

わたしはスーパーという場所が無条件に大好きなので、いつものごとく何を探すでもなく売り場をうろうろしていると、ふとその匂いが鼻に飛び込んできたのだった。

こうばしい油の、あたたかなじゃがいもとひき肉の、なんともいえない、いい匂い。
全然そんなつもりはなかったのに、吸い寄せられるように二個入りの袋を手に取った。

大雨と風の中、じゃがいものようにほくほくした気持ちで帰路につく。


ところで今日のわたしは、完全に服のチョイスを間違えたと思われる。

なんだってこんな台風の日に、地面に届く長さのワイドパンツなんて履いてきてしまったのだろう。しかもベージュ色。

すごい勢いで吹き付ける雨風のせいで、裾上10センチはびしょ濡れ&変色してしまっている。

誰かとすれ違うたび、みな申し合わせたかのように目線を足元へとスライドさせてゆく。
もはやグラデーション?てな具合にところどころ色を変えたベージュのパンツ、これはこれでオシャレなんじゃないかと思えてくるあたり、もう感覚が麻痺してしまっているとしか思えない。


部屋に帰り着くなり玄関口ですみやかにパンツ(ずぼんの方)を脱ぎ落とし、手を洗い化粧を落とし、座ってふうっと一息をつく。

そう、これからコロッケを食べるのだ。

5時間前の昼食なんて遥か彼方、わたしは申し分なく空腹になっていた。


かばんからコロッケの入ったビニール袋をを取り出し、さらに紙袋を開けたとたん、ぶわっと押し寄せてくる記憶があった。


実家で暮らしていた頃、近くに住む祖母がたまに買ってきてくれていた、お肉屋さんのコロッケだ。

それが、ものすっごくおいしかった。

さすがはお肉の専門店なだけあって、ひき肉はいいやつがたっぷりと使われているし、衣からじゅわっとしみだす油もしつこくなく、冷めていても十分においしい。

いつも紙袋いっぱいに買ってきてくれるそのコロッケを、わたしたちはお皿にあけることもせず、袋の端っこをびりっと破って包み、そのままかぶりついていた。

紙袋からしみてくる油で手が汚れるのを気にしながら、でも食べるのをやめられず、つい二つ、三つとそのまま手を伸ばしてしまう。

衣がさくさくで、じゃがいもがほくほくで、その全部にお肉のうまみがじゅうっとしみわたっていて。
あれ、本当においしいコロッケだったなあ。


なんてことを、袋を開けた瞬間いちどきに思い出したのであった。

そういえば、今日は祖母の誕生日。偶然とも呼べないささやかな繋がりだけど、なんだかちょっとだけあったかい気持ちになった。


京都市民御用達のスーパー・フレスコのコロッケは、衣しっとり、お肉ちょっぴりだったけれどもまあおいしかったし、良しとしよう。

ほくほく。


#エッセイ #記憶

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