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かみさまとの対面 -『字のないはがき』刊行記念イベントに参加しました。

23年生きてきて、多大な影響を受けた人物が二人いる。

ひとりは、これまでのエッセイでもさんざ愛を語ってきた、歌手・aiko(渾身のライブレポ厳選バラード集参照)。
そしてもうひとりは、作家の角田光代さんである。

改めて説明するまでもないが、角田さんは直木賞をはじめ数々の文学賞を受賞されており、文学界に広くその名を知らしめている大作家だ。

彼女の作品をはじめて読んだのは、一体いつのことだっただろうか。
気がつけば片っ端から夢中で読みあさっており、本棚にはずらりと著作が並んでいた。

読後に重い余韻を残す『八日目の蝉』『かなたの子』『私のなかの彼女』などの長編や、軽快な読み口でありながらも胸を打つ『彼女のこんだて帖』『おまえじゃなきゃだめなんだ』『くまちゃん』などの短編集はもちろんのこと、もう何度読み返したかわからない『いつも旅のなか』『愛してるなんていうわけないだろ』『今日もごちそうさまでした』などなど珠玉のエッセイ集まで、これまでに感銘を受けた作品を挙げていったらきりがない。

中でも、わたしの人生のバイブルといっても過言ではないほど入れ込んでいる作品が、先日映画化されて大ヒットした『愛がなんだ』だ。

映画も、それはそれは素晴らしかった。
一緒に観に行った友達に爆笑をかまされるほど号泣し、鑑賞後のアツい想いをエッセイ(『愛がなんだ』が好きなんだ。参照)にぶちまけたわたしだが、元はといえば原作を熱烈に愛していたのだった。

大学では本作をテーマに論文を書いて卒業をもぎ取り、さらには主人公・テルコに執心するあまり、物語の中で彼女が住んでいる西荻窪周辺で家探しをしたほどの、若干(もとい、かなり)イタいファンである。もはや信者であるといっても差し支えない(ちなみに、西荻窪から3駅先の高円寺にて、無事居を構えることができました)。

それほど角田さんに傾倒しているわたしだが、なんと先日、満を持して対面のときがやってきたのである。

向田邦子さんの名エッセイ『字のない葉書』が「文:角田光代さん、絵:西加奈子さん」という素晴らしすぎるお二人によって絵本化されるのだという(絵本版タイトルは『字のないはがき』)。

※『字のない葉書』についてごく簡単に紹介すると、戦争中、田舎に疎開していた邦子さんの妹・和子さんと、厳格なお父さんとのエピソードを綴った作品です。
今回の絵本化の発案・企画は、物語に登場するご本人の和子さんがなさったそう。

その刊行記念トークショーが都内で行われると知るやいなや、光の速さで開催書店に電話を入れて予約した。

三年ほど前にエッセイをはじめて読み、(時代を軽々飛び越えてぐいぐい引き込むこの力、いったい……)と鮮烈な衝撃を受けて以来、大ファンとなった向田さん。

そして、「声に出してわろた本ランキング」をつけるならば堂々一位に輝くエッセイ『この話、続けてもいいですか。』や、好きすぎて三回連続で読んだ『ごはんぐるり』、途中でやめられず一気に読破した『サラバ!』『舞台』などをお書きになった西さん。

そして極めつけに角田さんである。
本当に実在するのか。かみさまである。

おそらく申し込んだ大多数の人がそう思ったのだろうが、わたしもわたしとて、(めちゃくちゃわたし得なトークショーやん……!)と、本気ですごく興奮していた。

さらにトークショーのあとは、角田さんと西さんによるサイン会があるのだという。
ほんの少しはお話する時間があるかもしれない。どきどきしながら、前日から入念にイメージトレーニングを行った。

そして迎えたイベント当日。
定時ぴったりに仕事を終えて小走りで駅に向かい、わたしは電車に飛び乗った。

会場は満員御礼。

最後列の席から見えるお二人は、距離が離れていたこともあって、やはりどこか現実離れしているように感じられた。
(あ、いる……!)と思ったくらいで、想像していたほどの激情に駆られることはなかったのである。

それにしても、トークが実におもしろい。
というのも、お二人ともあまりにも文章そのままの話し方や発言をされるからだ。

角田さんは、随所にやわらかな笑いを織り交ぜた、穏やかで淡々とした語り口調。
対して西さんは、はきはきと気持ちのいいお話しっぷり。歯に衣着せぬ物言いで、何度も会場を沸かせていらした。

ふだん作品を愛読している身からすれば、なんだかとてつもなく貴重な経験をさせてもらっているような気持ちになるというものである。

本題から逸れてしまうので内容の詳細は割愛するが、印象的なお話はいくつもあった。

そもそも、角田さん・西さん・向田和子さんのお三方は、一度も打ち合わせをすることなく、各自が粛々と作業を進めていく形で作品を完成されたというから驚きである。

中でも、西さんの「『戦争』という大きなテーマではなく、あくまでも子どもの目から見た『日常』を書きたいと思った。日常の中に戦争があるんやってことを表現したかった」というお話が、とても心に残っている。

「何もお伝えしていないのに、私が思っていたことがそのまま絵になっている。西さんの描いた絵をはじめて拝見したときは、あまりに驚いて言葉が出ませんでした」
トークショー中、サプライズで登壇された和子さんは、そう声を震わせていた。

トークショーが大盛況で幕を閉じ、さてお次はサイン会である。

最後列に座っていたので、自然まっさきに会場を出る形になった。すなわち、まっさきにサイン会場へとたどり着く。

全然心の準備ができていなかったため、ぐずぐずと2〜3名の方に順番を譲りながら、それでもすぐにわたしの番が回ってきた。

いよいよ。

その距離、わずか数十センチ。
かみさまの前に、わたしは立った。

少しでも印象に残ればと選んだ赤いスカートも、短い時間でもこれだけは伝えようと入念に練ったセリフのイメージも、ほんとうに爪の先ほども役に立たないのだった。

なんとか声を絞り出そうと二、三度は試みた気がするけれど、金魚みたいに口をぱくぱくさせることしかできず、もしかしたらお礼すら言えていなかったのではないか。

お二人とも、目を合わせて微笑みながら「ありがとうございます」と言ってくださったことは覚えている。
対してわたしは、「あ、あ、、」と腑抜けた顔をしてヘコヘコしてしまった気がするが、果たしてどうだったのであろうか。こわい。

西加奈子さんは写真でお見かけする通り、目鼻立ちのくっきりしたとてもお綺麗な方だった。笑顔がすごくチャーミングで素敵だなあと思う余裕が、まだあった。

しかし角田さんに至っては、(角田さんが、ほんとうに、いる……)というそれだけしか考えることができなかった。
というよりも、信じられないことが起こっているその状況を、ただしく認識するにはあまりに時間が短すぎた。

一瞬にしてシミュレーションが霧散し、頭が真っ白になってゆくのを感じながら、何もできずにただ見ていた。

わたしはほんとうにこの人に憧れて、焦がれて、この人が好きでやばいんだなということを、その時ようやく、はじめて体感として理解した。
好きなんですという一言すら、口にしてみようかと思いつくことができなかった。

何にせよお客さんの人数が多かったので、わたしの番はあっという間に終了。
お二人が次の方に移っていかれてはじめて、思い出したように手足ががくがく震えだした。

おもてに出ると雨がたくさん降っていて、わたしはそれを眺めながら、お店の前で少し泣いた。

笑えてくるくらい手足が震えていた。
10分間ほど、そのままじっとしていたと思う。

言いたかったことは何も言えなかったけれど、ふしぎと後悔はあまりなかった。
言葉にできない感情、もう感慨としかいいようのない感情が幾度も押し寄せて、わたしは胸がいっぱいだった。

ふらふらしたまま電車に乗り込み、自宅の最寄駅に到着すると、あんなにたくさん降っていた雨が嘘みたいに止んでいて、さっき起こった出来事がよりいっそう夢みたいに感じられた。

角田さんは、評論家にけなされ続けて書けなくなった27歳の3ヶ月間以来、一度も「やめたい」と思ったことがないのだという。

この先もずっと、飽きたりやめたりすることなく、情熱を燃やし続けられることが、果たしてわたしにもあるだろうか。

誰かの人生のバイブルになり得るような何かを、わたしも生み出すことができるだろうか。

長年抱いてきた猛烈な「憧れ」の正体は、正直今でもあやふやで、じゃあ角田さんみたいな作家になりたいのかとか、角田さんと一緒にお仕事がしたいのかとか訊かれても、わたしは返答に困ってしまう。

今はまだわからない、としか言いようがない。だって、「憧れ」のその先があるなんて、これまで考えてもみなかった。

しかし、漠然と夢見ていた対面をこうして実現した以上は、向き合ってみるのもいいかもしれないな、などと思い始めている。

彼女はもう、かみさまなんかじゃない。


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