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「どうやら人生に無駄なことなんてないらしい」と気付いた話。

今でこそ、へらへらとお気楽な大学生をやっているわたしであるけども、これまでの人生がずっとそうだったかと言われると、それは断じて「No!」である。

根がネガティヴ(ねがねが)であることは何度も書いてきたけれど、今回は、これまでに書いたことのなかった話をしようと思う。

お正月、実家の自室の片付けをしていたときに、小学生のときの交換ノートを発見した。
ぺらぺらとめくるうち、当時の記憶がわーっとよみがえり、それがどうにも引っかかって離れなかった。

わたしには、人間関係に悩んでばかりいる時期があったのだ。

嫌われないようにびくびくしながら、いつも相手の顔色を伺ってばかりいた。
そこから抜け出す術なんて知らなかったし、嫌われたらもうおしまいだと思っていた。


忘れもしない、あれは小学3年生のときだ。

当時、わたしには仲良しの友達が2人いた。思ったことをずばずばという勝ち気なAちゃんと、比較的穏やかな性格のBちゃん。同じクラスだったので、いつも3人でべったりくっついていた。

交換ノートをしたり、校庭の遊具で遊んだり、体育倉庫の裏に秘密基地をつくったり。およそその年の女の子がしそうなことはみんなやり、毎日楽しく過ごしていた。

しかし、ある日突然それは起こった。

教室に入り、いつものように2人のところに行こうとしたときのこと。
2人は、わたしの顔を見るや否やあからさまに目を背け、そそくさと連れ立って行ってしまったのだ。

まったく、意味がわからなかった。

それからというもの、2人はわたしのことを避けるようになった。
わたしは、1人になってしまった。
思い当たる節など何もなかった。喧嘩をしたわけでもないし、誰かに2人の悪口を言ったわけでもない。

わたしはパニック状態だった。今までずっと一緒にいて、放課後も休みの日も遊んでいた友達が、どうして急にそんな態度を取るのか本当にわからなかった。

仲良しの友達がいない教室は、まるで地獄だった。
家できちんと勉強するから学校を休みたい、と毎晩泣き、親に訴えた。

しかし、学校を休むことは許されなかった。今思えば、そのまま不登校になることを恐れたのだろうか。決して娘の話に耳を貸さない親ではなかったが、とにかく学校には行きなさいと行った。逆らうことなどできなかった。


結局、担任の先生が仲介に入ってくれたことで、わたしたちは「和解」した。

Bちゃんは「家で泣いてたなんて知らなかった。ごめんね」と謝ってくれた。
この子はわたしが「泣いてた」から謝っているんだろうか、と妙に冷めた気持ちで思ったことを覚えている。

その後は特に何もなく、というか何事もなかったかのように、また3人で過ごしていたような気がする。
10年以上も前のことだから、都合よく記憶を改変している部分もあるのかもしれない。しかしそれにしても、今考えてもまったく不可解な出来事だった。


……にも関わらず、その翌年、コピペかと思うくらい同じようなことが起こったのである。

わたしは小学4年生。同じクラスの女の子2人と、いつも仲良し3人組だった。

ある日突然、2人一緒に、わたしから離れていったのだ。

よほど鈍感なのか、今度もわたしにはその理由がさっぱりわからなかった。
なので直接聞こうとすると、2人一緒に逃げられた。物理的に、つまりは走って。

ならばと手紙を書いたりもした。なんで急に避けたりするん、と。
けれどやっぱり理由を告げられることはなくて、「仲間はずれ」状態はその後も続いた。そうするとわたしは、またも学校が嫌になった。


朝の登校時間に家を出ることができず、学校まで父に車で送ってもらったことがある。
事情を知る父は、ぐずぐずと泣いているわたしを慰めるでもなく、淡々とこう言った。

「ええか。人生にな、無駄なことなんて一つもないんや」

そんなんうそや、と思った。

こんなに苦しくてつらくて、それでも学校に行かなあかんのはなんでなん。絶対にこんなん経験せんでもいいことやん、と思った。

しかし、あれから11年経った今ならわかる。
父の言葉は、紛れもなく本当だったのだと。


4年生が終わり、5年生になっても中学生になっても、わたしは人間関係を築くのがへたくそなままだった。

一部の人に猛烈に嫌われたり、一日じゅう愛想笑いをしてどっと疲れたり、そんな生活が嫌で自分が嫌で明日が来るのが嫌で、めそめそと泣いたりもしていた。

しかし、今のわたしはそんなふうじゃない。


校区内の人間だけがすべてだった小・中学生の頃と違い、高校には、いろんなところからいろんな人たちが通ってきていた。

そして、その人たちのそれぞれには、わたしの知らないたくさんの友達がいた。というかそもそも、同学年でも顔すら知らない子だってたくさんいた。
でも、その子たちと仲良くなくたって、ちっとも困ることはなかったのだ。

なんだ、と思った。
なんだ、世界って全然広いやん、と思った。

今までなんて限られた、なんてちいさな世界で生きてきたんだろうと。
高校卒業後、大学に入ったわたしは、その思いをますます強くすることになった。


「知り合いは多いに越したことはないけれど、友達は少なくていい」というのがわたしの持論だ。

どうしたって人脈はとってもとっても大切だから、いざというとき頼れる人や、逆に自分に助けを請うてくれるような人は、きっと多い方がいい。
けれど、必ずしもその人たちと仲良くなる必要はないのだと思っている。

もちろん、相手に敬意を払うことや、共通の話題を見つけたりすることは、どんな局面においても必要だ。

でも「好かれなきゃ」「嫌われないようにしなきゃ」なんて怯える必要はきっとない。
言いたいことを言い合える関係さえ築ければ、顔が気に食わないと思われようが性格が苦手だと思われようが、スムーズに事は進んでいく。

そこで止まってしまうのならば、残念ながらそれまでの関係だったのだな、と受け入れられるような気がする。
逆に、そこから友達へと発展していくことも
あるのだから、どんな人ともまずは話してみなくちゃいけないなあ、と思う。


自分が仲良くしたくない人と、仲良くする必要はない。
自分を好いてくれない人と、無理に一緒にいる必要はない。

なんて自由で、なんて楽なことなのだろう。

しかし、これを小学生のときに言われたとしても、多分わたしは腑に落ちなかったと思う。
あのときは好いてもらうのに必死で、ちいさなちいさな人間関係を手放したらもう終わりなんだとすっかり思い込んでいたから。

今になって、ようやく、本心からそう思うことができる。
自分が友達でいたい人とだけ、友達でいればいいのだと。


あのとき、わたしを仲間はずれにした友達に、謝ってほしいとか反省してほしいなんていう気持ちはまったくない。

何しろ、向こうも子どもだったのだ。わたしも、気づいていないだけで、同じようなことを誰かにしてしまっているのかもしれないから。

あのとき感じた理不尽さや、憤りや、怒りや、途方もない悲しみがなければ、多分わたしは今のわたしではない。
屈折した思いを抱えることなく、いつも友達に囲まれてすくすくと育ってきたのであれば、今のように文章を書くこともなかっただろう。

人生に無駄なことなんてないよ、本当に。

あのときのわたしに、そう教えてあげたい。


今も、友達は多くない。
しかし、それを憂いたことは本当に一度もない。なぜならわたしは、その一人ひとりのことが本当に好きで、そして大変おこがましいながら、きっとその人たちもわたしをある程度好いてくれているのだろう、と思えるからだ。

そして、未だに人付き合いは苦手な方だ。
しかし、友達にそう話すと「え、そんなことないやろ」と言ってもらえる程度には、どうやら進歩したようだ。変に構えることが少なくなったからかもしれない。

あのとき、痛みを知れて良かった。
好きな人とだけ仲良くすればいいんだって、気づくことができて良かった。

今、つらい人もかつて辛かった人も、いつかみんながそう思えますように、と
わたしは心から思います。


20年と少し生きてきて、今がいちばん楽しいよ。
そんな「今」をつくったのは紛れもなく、これまでのわたしの人生だ。


#エッセイ #記憶 #学校 #人間関係

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