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東京と電車

東京。駅のホームで、改札の前で、ときに車内で、いつも誰かが。
手にしたビニール袋の中に顔を突っ込んで、壁に手を突いて、ときに誰かに背をさすられながら。まるでこの世の終わりみたいな顔をして。

それを見て良いことなんて一つもない、むしろこっちまでつられて気分が悪くなってしまうこともしばしばなのに、何故だかいつも目を離せなくなってしまう。
自分がほとんど飲めないこと、そして大酒飲みの友達が少ないことも相まって、物珍しさが勝ってしまうのかもしれない。

少し離れた場所から、少しだけ目を細めて、わたしはいつもその様子をじっと見る。
飲み屋街ならまだしも、駅や電車の中で、しかもこれほどの高頻度でなんて、関西ではまず遭遇しなかったなと思う。

綺麗に身なりを整えたお姉さん。いかにも学生風の男の子。げっそりと痩せた年齢不詳の男性。
みな普段は何食わぬ顔で職場や学校に行き、愛想笑いや世間話を使いこなして上手に、上手にやってるんだろうからこそ思う。
理性や常識や記憶を飛ばすくらい、どうしてそうなってしまうんだ。

しかし、周囲の人間の無関心ぶりには、そんな人たちの存在以上に圧倒される。
まるでそこだけ透明になっているかのように、眉をひそめるでもなくあからさまに避けるわけでもなく、ちらりとも見ないですぐそばを通り過ぎてゆく。
床に飛び散ったモノを物ともせず、迷いなくその隣に座った人にはぎょっとした。どうやらこれが東京らしい。


月曜日から金曜日まで仕事に行く。
運が悪ければ行きも帰りも満員電車。
片手で必死に人のあいだを縫ってまで携帯を操る趣味は持ち合わせていないので、ただぼんやりと斜め上を眺めるか目を閉じる。

視線は自然と吊り革に向く。前に立つ女性の、手の爪に塗られたピンク色。
たどるように視線が下がる。ゆるやかにカールした後れ毛。うっすらと伸びた首すじの産毛。ストライプの涼やかなカットソー。

彼女が爪にピンクを塗るところを、後れ毛をていねいにカールさせるところを、むだ毛の処理の頻度を服のえらびかたを、これから向かう行き先を恋人の有無を住んでいる部屋を人生の指針を、考えるともなくぼんやり思う。

不自然なほどに人が詰まった満員電車の有様は、かつて教科書で見た奴隷船のイラストをいつもわたしに想起させる。
そこに立つ一人ひとりに生活があり、家族があり、好きな人がいて行きつけの美容院があって取るに足らない悩みがあるのだということに、いつも信じられない思いがする。

そしてわたしも、その中のひとりに過ぎないのだということにも。


にせものの鎧をまとって生く日々も
いつかわたしに還るでしょうか

#エッセイ #短歌 #日記 #散文 #東京 #電車

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