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おいしいものは、ぜったい正義

授業のあとに学校でエッセイを書き、ちょっと満足してから帰路につく。
今日は外でごはんを食べて帰ろうと決めていた。
どうしてかは聞かないで。別に家に帰りたくないからとかそういうんじゃないから、決して。

の前に、ドラッグストアに立ち寄った。

どうしてかは聞かないで。と言いたいところだが、先ほど更新したエッセイを読んでくださった方なら察しがついてしまうかもしれない。
もうきっと出ないけど(言霊を信じよう!)、万が一に備えてスプレーとか、もう来ないでね♡ のための予防グッズを買おうと思ったのである。

かつて足を踏み入れたことのない領域だった。
陳列棚から少し離れた場所で、(うわーやっぱりめっちゃイラストついてる…触りたくないなァ……)なぞと思いながらそれらのグッズを凝視していると、すぐそばに女の人が立っている。

気づかぬうちに、わたしの体が通路を塞いでしまっていたのだ。
すみません、と思って避けると、その女性はスッとわたしの横に立ち、なんと同じ棚をわたしと同じくらいの熱心さで吟味しはじめたのである。

ウワーーー!!この人、絶対仲間やん!!!

心拍数は急上昇。若い女性であったその人を同志と認めたわたしはすっかり嬉しくなり、もう少しで「出たんですか?」と声をかけてしまうところであった。

さすがにぐっとこらえて、横目でその人をチラチラ見ながらわたしも吟味を再開する。
キモチワルイナァと思いながらつまむようにしてスプレーをカゴに入れ、さらに出現予防の団子も追加してレジに向かう。

レジのおじさんに「こ、これは食べてその場で死ぬやつじゃないですよね…!?食べてどっか別の場所に行くやつですよね?」と詰め寄るように確認してから会計を済ませ、店を出た。


おわった!よしごはん食べよ!

家からほど近い場所にある、お気に入りのカフェに向かう。

京都に住んで三年目にしてようやく、行きつけと言えるかもしれないお店ができた。
通いはじめたのは確か今年に入ってからだけど、いつも程よく空いていて、リーズナブルで料理も美味しく、居心地が良いのでよく足を運ぶようになったのだ。

調理過程を見ていないから実際のところはわからないけれど、そのお店のごはんは「ああ、丁寧に作られたんだろうな」と思えるものばかりなのだ。
自分で料理するようになってわかったのだが、投げやりな気持ちで作ったものはどこか雑多な味がする。
反対に、気持ちにゆとりを持ったり、大事な人を想って作れば、ふしぎなことにそれは大抵美味しく仕上がるのだ。


じっくりとメニューを眺めたのち、「焼きハヤシライス」を注文する。
しばらくして運ばれてきたそれは、ほかほかと湯気をたてていて実においしそう!

あつあつのところを、ぱくりと一口頬張った。うーん、おいしい!
びよーんと伸びるチーズの下には、たっぷりのお肉と玉ねぎが入ったハヤシライス。
カフェにありがちなケチケチした量じゃなくて、食べきれるか不安になるくらい、きちんとずっしりしている。

半分ほど食べ進めたところで、真ん中の半熟たまごをそうっと崩す。
とろりと流れ出した黄身をせきとめるようにあわててすくって口に運ぶと、濃厚なところにまろやかさが加わり、実に美味であった。


満腹の至福に包まれてスプーンを置く。

すっかり満ち足りた気持ちになって、よし明日もがんばるかとまで思えてしまうから可笑しい。


おいしいものは、人を救う。

ひいては地球も救うのではないだろうか。
愛とかそういう不確かなものより、たぶんもっと確実な方法だと思うのだ。


#エッセイ #晩ごはん

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