新規合成_2019-02-10_21-08-45

人生は夢だらけ、人生は可能性

謹啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

平成31年です、「ヨーロッパ行く日に行く風呂行く約束」って語呂合わせいまだに憶えてるから使ってるんですけどこれ意外とみんな使ってないって言うか通ってた塾ぐらいしか使ってないのね。後ろに何かつけるのかしら。そして平成も終わります。もしかしたら大正と同じで平成も20年ぐらいで終わるかも、なんて思ってたけど31年でしかも譲位という終わり方というのはなかなか日本史の勉強していた身からしたら面白いなあと思いますね。昭和63年生まれ、今年の1年は平成生まれだからと散々揶揄されてきたけど全部いる学年だし。ゆとり世代のくせに!と罵倒してきた昭和なおばさんたちもいたねえ、大人になってからだけど。私たち、全然ゆとり関係ないのにね。だって中学受験してたし中学2年の1学期で中学の学習内容だいたい数学とかは終えてる人たちには無縁の言葉よね。むしろ中学受験はほぼ中学以上の内容って感じよね。大人になって公立の子達の教材作る仕事するようになるけど、本当にびっくりするほど内容が薄くて、しかもこれを理解できないらしいから世の中の普通っていうのはすごくアホなんだなっておもった。でもそれをアホて言ったらあかんらしい。

そういえば先日掃除してたら5年生の時の作文を発見しました。子供の頃の夢なんだった?ってよく会話にあがるよね。私なんだったかなあ、本当に小さい頃はセーラームーンになりたいって言ってたけど、小児科医→獣医→外交官→弁護士→デザイナー→舞台衣装→演劇で食らいついてやる、と言う感じか。そうだそうだ、獣医の方が儲かるからって考えで北大に進学しようって考えててペットか馬かで悩んでたわ。別に「動物のお医者さん」とか読んでいたわけでもないのにね。獣医学部は受けることすら結果的にはならなかったけど。

ちなみにその頃の雑誌の付録も掃除していたらひょっこり出てきたけど、「カードキャプターさくら」はいまだに連載しているぞ、というか連載復活したぞだし、「合法ドラッグ」も続編だしでも「X」は終わってないしって言うかいろんな作品の時代設定が実際の年代を超えたぞ、である。アニメ見てた頃のコナンなんか、私とコナンとそんなに歳変わらなかったのに「工藤新一の年齢超えたな〜」とか思ってたら大人チームの方がよっぽど歳が近くなってきているよ!あと学生結婚で弁護士って無理があるだろおおおお!!!!って30にもなると思うから「オタクはアニメキャラの設定から現実のサイズ感勘違いしてる!」と言われがちだけど「むしろアニメ漫画キャラの年齢設定大人の方が非現実的だYO!!!!」と思うようになるから!でも漫画は楽しいからいいのだ。いやーでも私30だから今ハマってる作品の文ストの澁澤さんすら年下なんだぜ・・・・ちょっとおおおおお〜〜〜〜〜〜連載当初は与謝野先生とかと同い年ぐらいだったのに〜〜〜高校球児だけじゃなくてスポーツ選手もどんどん年下になって行くけれど高橋大輔は現役復帰したから!!!あ、高橋大輔ってこの数年後に私がフィギュアスケートにどハマりするんだけどそのジャンルの男子の選手で多分数年後にテレビで見るから!関西だからなんか見るから!

さて。

一応中学受験は志望校合格するけど、30歳の私は残念ながら医者じゃありません。全然違う芸能系の仕事です。
しかしせっかく希望の学校に入ったけれど学校の成績は悪いし、周りはみんな頭いいし。医学部狙いが学年の半分だよしんどいよ。塾は行かされるしまあサボってたけど。点数取ることが命題として提示されるけど、そういう勉強は嫌いなんだよね。小学生のうちの中学受験って勉強じゃなくてもはや洗脳だね。しかもハマってる間はそれが異常な光景とは思えないしそれなりに満足しているし。でも数字化するってことが一番世間的には「公平」なんだってのは大人になってからの方が理解できる。下克上しやすいやん。ゲームだから受験はある意味。

ずっと好きだった演劇は楽しかったから、そこで親の言いなりでESSに入ったけど結局演技力うまくても(本当に上手だったと思うよ中学生レベルでは。今でも多少稽古場でプロンプやれるぐらいにはだから)そういうのって人気投票というここでも不条理を受けるわけだ。人生って不条理だらけだよ。それなりの偏差値高めの学校の劣等生というのは辛いんですよ。物事は大体人気投票で決まるから実力なんて関係なかったしね。まあそれは小学校の時もそうか。学芸会の役も人気投票だったもんねえ。でもまあ大学に行く目的は高校の時にはっきりしたし、色々距離を置けたのは良かったなと。
少なくとも今は見た目には華やかな世界での仕事ができてるのは少し自慢かも。見え方としてね。いいことばかりではもちろんないけれど。

今でこそもうちょっと勉強していた方がよかったかなーって思えるけど、でも大人の社会というのは不条理で「勉強しろ勉強しろ」って「テストの点を取ること」を命題としているにも関わらず数字は社会に掘り出されたらまあ関係ないこと関係ないこと。しかも知識や教養といった頭の良さではなく、人間関係いかにうまく要領よくやるか、みたいな人の方がアホでもバカでも評価されている側面見ると勉強の価値って何?って思うからほんとーーーーに勉強の存在意義って何?ってなる。

同じことを二回書いてしまった。

でもだからこそ勉強というか教養で理論武装するのは大事だと思うし、数字で測ってもらえるのならば、受験なんてレベル上げだと思えば勉強しといた方がいいなとは思う。でも数字取りゲームが全てじゃないけど。
そして何より、あまりにもアホだと自分の人生に対して選択肢がなくなりすぎる。単純に行ける高校、行ける大学が少なくなるというのは「選べない」ってこと。選べないというのは本当に大変。そして点数を獲るということよりも「勉強をする、調べる、学ぶ」習慣を持っていない人は大人になってから苦労するということ。社会は自主的に学び取らない人間には非常に厳しい。そして学校で学ばないことがかなり世の中多くあって、税金の実際の運用の部分とか(自分に還ってくるところね)福祉制度とかそういうの。

だから「テストの点数を上げるための『勉強』」も大事だけど(人生の選択肢のために)なんか根源的な「学ぶ」というところを理解できていたらなと思った。それを説明してくれる人がいてくれたらよかったなって。

こないだ見つかった高校時代のスケブ見ながら思い出していた、あの当時に決めた目標はだいぶ射程圏内に来ているし、多分達成できると思う。

でもあくまでそれは通過点だから、さらに頑張らないとね。

20年後の私から、11歳の私へ

30歳の私から、昔の私を見ているようだった14、5歳のあなたたちに向けて、というのはおこがましいけれど、30歳の私の話を聞いて、何かを感じ取ってくれたあなたへ。

敬白 





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