「やめる」という判断はとてつもなく重い

いやー、直前の公演中止&延期のトピックス、色々思うところありますね。
偶然同じ劇場で理由が偶然とはいえ同じ。しかもよくよくリリース見たら、中止になった団体の方は初日の2日前に発表、本来だったら今日の12日が千秋楽だったはずと。うーん、色々思うなあ・・・。しかも旅公演は上演するってさ・・・、炎上火だるますぎるプロジェクトにもほどがある・・・。

じゃあだからといって「公演の中止」というものが対岸の火事かと言われたら実際そうではないと思う。

「公演中止の判断をせざるを得ないシュチュエーション」

幸いにして、私が制作で入っていたプロジェクトで中止の判断をしたのは1回だけで、それは「プロデューサーのおっさんが『ここ安くて人も入るな!』と勝手に会場を抑えていたけれど出演者や演目の目処が立たずチケット販売どころか公演実施の報を出す前にバラした」というまあ会場代だけ痛い目みたパターンである。本当、会場は先行して抑えておかねばいけないところなので、企画自体を中止するタイミングによっては「そのまま企画を通した方が絶対的に赤字が小さくおさまる」というなんだか世間から炎上しているプロジェクトがなくならない理由が一つあるなあと思ってしまう。

ちなみに、観客として行く予定だったイベントが、本当に直前に中止になったことが1度だけある。2011年3月、東京で行われるはずだった世界フィギュアスケート選手権大会。いうまでもなく原因は地震のため。
他にあった例としては、出演者のインフルエンザ等病気による公演中止(「キネマと恋人」「おのれナポレオン」など)、設備トラブルによる死亡事故状況を受けての中止(「進撃の巨人」アトラクション)他にも、先日の大阪での地震、西日本の豪雨など、天候・天変地異によるもの。
知り合いの劇団で、開幕直前にメインキャストの1人が病気で入院となり、既存の台本なのでキャストも削れず、シングルキャストなので代役も立てられずという形で中止にしたことはあるらしい。人間のやることだから、予防してても限界はある。インフルエンザとかワクチン複数回複数種類打っててもかかるときはかかるらしいからね・・・。

中止に至らずとも諸々の変更や対応を余儀なくされる状況というのは意外とある。
上演中に地震が発生したことだってある。幸いにして、上演自体は続行、無事に終演したけれどはっきりいって、舞台監督判断で止まっていても決しておかしくない状況だった。意外とこう書き出してみると「たまたまうちの現場ではそういう自体が発生しなかっただけ」というものだ。父におしえてもらったのだが、阪神や楽天の監督だった野村監督が「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言っていたそうで、これも似たようなもので「無事に終わったのは偶然(何も起きなかったから)、無事に終わらなかったのは必然」だと思っている。

ただその「必然・理由」の部分が不可避か不可避じゃなかったかどうかというのは本当、重要だと思う。たとえ役者の事故で降板〜とかとなっても「おいおいそれ、自損事故かよ」みたいなのだったら同情の余地はない(自己管理も仕事のうちだ、どんな人であろうと)そしてその気軽に下せない判断をいつするのか、どういうスピード感をもってするのか、というのも同じだと思う。

本多劇場はオフィシャルには1年前から予約可能となってる。ただし、うちうちの問い合わせはそれより前から始まっているらしく実質2年待ち、という感じだ。別件で問い合わせた時の感覚からすると。

そんなに前から決まっているようなことが、どうして直前になってできませんでしたって安易に外に言えるのだろう。しかも「脚本が完成しませんでした」って、己の怠慢以外の何者でもないと思う。己の都合を観客に押し付けるな。そんなの見に来ている人間には一切関係ない。

そんなことで、中止にするという判断を下すなんて、そもそも判断が遅すぎるし、おこがましすぎる。だったら「貸りた劇場での演劇の興行」という表現を選ぶな、と私は言いたい。

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ゆかりーぬ

演劇制作とわたし

舞台・演劇の公演で「制作」と呼ばれる仕事をしている私が日々その仕事と向き合って思ったことをまとめています。 形があるようで形がないものを作る仕事は、時としてその価値が不明確になりがちなので、自分自身への振り返りとしても。
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