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家事なんか「女の」「わたし」がする仕事じゃない

世の中には「扶養」の意味を履き違えている私の弟の様な一刻も早く死ねばいいクソ人間がいるのだけれど、私が結婚とか育児のようなことに一切の憧れなんて持ってないのは、「結婚したら家事をするのは女」「子供を育てるのは女」という自分個人である前に自分では選びようのない性別というもので仕事や役割を押し付けてくる社会においてはそんなこと選ぶのは愚の骨頂だからである。

(私がいわゆる結婚適齢期の年齢になってるのにも関わらず、時代は進んできていると思っていたけれど、人の考えはそうそう変わらない)

まず女であるとかという以前に、私は私自身であるので、何よりも自分の人生そのものである仕事で成功することを考えると結婚、というか夫という名ばかりの実は家政婦扱いさせられるような結婚という現代の奴隷制度や(無論、そうではない関係の人がいるのは知ってるが結婚したら家事をするのは女、家のことをちゃんとやったら仕事していいよとか当たり前に思ってるんだから)物理的な身動きがとれなくなる出産育児なんてやってたらタダでさえ進みにくいキャリアから乗り遅れるのは間違いないのだ。ていうか、今でこそそれなりに色々と声をあげるべき人が上げてきてくれて流れが徐々に変わってきていると・は・い・え!!!「家のことをちゃんとやるなら仕事やっても『いいよ』」と他人の人生に何を働く許可を与えられると思っとんのか、女は夫に働いていいよと言われなくちゃ働いたらあかんのかー!!!!

(完全に直近に見たアニメがバレる)

今でこそ時代は徐々に変わってきたけれど、私が子供の頃、家から一歩外に出た世界での当たり前(まあ主に、公立の小学校の先生などが当たり前のように子供達に話す内容として)は

女の子は将来結婚してお母さんになる
女の子は結婚したら仕事をやめて専業主婦になる
女の子は結婚したら家事は全部やる

という考えで育ててきてるからじゃあ大人になってさあ変われと言われても男女ともにそうそう変われないだろうね、私は違和感しかなかったけど。

なぜか

だって、うちの家にとって家事はアウトソーシングしたいけどできないものであったから

子供の頃一緒に住んでいた祖父母の家で、家事を取り仕切っていたのは祖母だったが、祖母は90になった今でも「家事なんか大嫌い」と話している。

祖母にとって、子供の頃からの当たり前のことだったのは、家事をするのは女中、お台所の仕事と、家のモノの身の回りのことをする女中はそれぞれ別にいて、家のモノは自分のことだけに集中できる、ということ。
それで20年以上育ってきた人間が戦争が終わって家でお手伝いさんを住み込みで雇えなくなったから、仕方なく自分でやっている、だから効率的にする。それだけの話だったのである。まあ90年代前半から全自動食洗機も床暖房もあったからなー(合理化先走り)

なので。

家事って、男とか女とか関係なく家の人間がやる必要なくね?と思ってる。

だってそうじゃない、誰がやっても変わりないし、そもそも業務量の全体量に対して今いる人間のリソースが足りないのであれば、仕事であれば業務量を圧縮・・・・と言いたいところだが世間で蔓延っているのは人間やる気でなんとか乗り切れ方式だな・・・、いや、本来であれば、

業務の全体量の見直し:無駄の削除
優先順位づけ
アウトソーシング:外部に完全委託(法人であれば会計・人事など)、課金して解決または機械などで自動化

と、中にいる人間でしかできないことに注力するために「誰でもできる」部分は削るのだ。それをやれ、金がない、委託しなくても自分たちの手作業でもできるとやたら世の中には手作業原理主義のアホが多い。仕事も家事も本当に同じ。ただし、自分が実際に手を動かさないからといって、全体の内容を把握しないというのは別問題。というか、誰かに任せようとすれば実際は二度手間になることもあるし、監督者・指示出し側の責任だって発生する。でもそれを考慮しても、自分が本当にやるべきことに集中するためにだったら、仕事は任せるものだ。

私は「自分」の人生を歩んでいるのである。

社会的な「女」としての人生なんて、真っ平御免だわ。


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