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【映画】「バーニング 劇場版」どこまでも深読みできる、1枚の絵のような映画

村上春樹の短編「納屋を焼く」を韓国の監督が映画化、しかも世界中で絶賛の嵐!と聞いて、マイ“韓国映画の聖地”シネマート心斎橋へ。

小説家を目指しながらアルバイトと実家の牛の世話をして暮らす青年ジョンスは、すっかり美しくなった幼馴染のヘミと偶然再会する。彼女はアフリカ旅行に行く間、自宅にいる猫の世話を頼みたいという。ヘミの部屋に通ううち、彼女への想いを募らせるジョンス。ところが帰国したヘミは、アフリカで知り合ったという謎めいた金持ちの青年ベンを連れていた。ある日、ベンはジョンスに「古いビニールハウスを燃やす」という秘密の趣味を打ち明ける。「そろそろまた燃やしたい」とも。そしてこの日を境に、ヘミが忽然と姿を消す。彼女を探すうち、ジョンスはある“疑惑”にたどり着くが…というストーリー。

いるはずなのに姿を見せない猫、ヘミと母だけがあると言う井戸、どこにも見つからない焼かれたビニールハウス、姿を消したヘミ。もう誰か1人が嘘をついてるだけでは辻褄が合わない。いくつもの謎が解消されないまま折り重なって、誰も、主人公すら信じられなくなる。どこにも足がつかないスリルに追い立てられる。そして、原作のさらに先を描いた完全アウトな結末に愕然とする。じっとりと居心地が悪く、容赦なく、まったく油断ならない。韓国映画のこういう所がたまらなく好きだ。

そして何より、ポスターにもなっている夕暮れのシーンが息をのむほど美しい。オレンジがかすかに混じる紫の闇の中で、ベンがジョンスに「時々ビニールハウスを燃やしている」と打ち明ける。相手の顔が見えるか見えないかギリギリの暗闇で突然なされた気味の悪い告白。現実離れしていく会話も、ベンの表情もどんどん暗闇に溶けて、物語全体がぐにゃりと歪んでいく。ヘミがいなくなる。世界が一変する。

真相を追うジョンスの目線で見れば最高にスリリングな展開が楽しめるし、1歩引いてそれぞれの発言を目印のように並べていけば、よくできた抽象画のような世界が見えてくる。発展途上のジョンス、美しい弱者ヘミ、裕福でもどこか満たされない様子のベン。どの2色を混ぜるかによってできる色は違う。3色が混じったところが一番濁った色になる。答えを探すんじゃなく、雨が降るのと同じようにただ現象があるだけ。善悪やきちんとした辻褄を持ち出す方がナンセンスだ。

パントマイムをするヘミは、「そこにミカンがあると思い込むんじゃなくて、ないことを忘れればいい」と言う。ないことを忘れるとミカンは手の中に現れるし、ないことを忘れるとヘミが消えた後は目の前にただ元通りの生活が続いている。

秋になり冬が来て、季節が巡る。
そもそも、ヘミは本当にいたのか?

深読みしようと思えばどこまでもできるし、そのまま放置してもじんわりと心に染み込んでくる。私は、原作の日常に溶けていく感じの終わりが好きなので、あれこれ意味を持たせるより、そのまま放置が好み。

©︎2018 PinehouseFilm Co., Ltd.

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