見出し画像

不自由さの枠から出るワンネス的考え方

ワンネスの代表「水」

私とあなた。
それぞれ違う人間だと区別がつきやすく、それをワンネス(すべては一つ)と言われると、反って頭が混乱してきます。

目の前の他人と自分がつながっている?
どういうことだ???
と、?マークが飛び散ってしまいます。

しかし、水だとどうでしょう。
滝の水のどこかで区切って別物にすることは困難です。

それでも、私たちは、川の水、海の水、南アルプスの水、井戸水、湧き水と区別しやすく名称をつけているのです。

成分が異なっても、水の循環に支障はない

日本の水は軟水、ヨーロッパの水は硬水
川や湖の水は清水、その水が注ぎこまれる海水は塩分がある。

川の水が海に注ぎこまれても海水の塩分濃度が変わることはない。
赤道直下の海水が温度上昇して水蒸気となり台風として日本に上陸しても、雨を落ちてくるのは海水ではない。

水は常に動き続け、混ざり続けているのです。
地球を包み込む海は、海流という流れがあって海面の流れと深層海流がそれぞれ循環しつづけているのです。

ヨーロッパの硬水であろうと、日本の軟水であろうと、海水はそれを区別することなく、拒むことなく、受け入れ、混じりあい、流れ続けます。

気温によって、水は、海→水蒸気→雨→水→川→海と、姿を変え、いる場所を変え続けています。

水は全てを受け入れている

水には、どんな形状でいるとか、どの場所でなければというこだわりがなく、ただ、その自然の流れに身を委ねていると言えます。

水の美しさ、匂い、使い方、などで分類しているのは人間です。

インドのガンジス川は、聖なる河として人間の排泄物から入浴、衣類の汚れ、様々なものをすべて受け入れます。

環境汚染と言われるまで、川に工場排水を平気で垂れ流していました。
それでも、川が文句を言うことはありませんでした。

海や川が意見を言えるとしたら、文句を言うでしょうか?
いえ、言わずに全て受け入れてくれると私は思います。

と言うより、地球上の生命体で、自分の意見の正当性を主張したり、誰かに何かされたと文句を言うのは、人間だけではないでしょうか。
犬が自分のテリトリーに別の犬がやってきて吠えるというのは、狼のDNAで群れを守るための縄張り意識で、自己保存と種族保存という目的があります。

水の存在価値は地球レベル

この地球上に水がなければ、どんな生命体も存在できないでしょう。

目に見えて水の姿であるものだけでなく、雨になるための水蒸気や、空気中に含まれる湿度や、山に降った雨が土中を通り湧き水や川にたどるまでの姿を現すことがない期間や、鍾乳洞など、どんな姿であっても、水は地球上に必要な存在です。

そこには、優劣もつけられないし、国境にかかる雨雲の雨がどちらの国に属するものかと分けられるものではありません。

それを、源水だからとお金を徴収しているのは人間です。
品質管理や装置を維持するのに管理費用がかかるということでしょう。
良いとか悪いとかということではないですよ。

しかし、土地も水も本来は誰のモノではなく、地球に生存するみんなのものだという意識があってもいいのではないかと思います。

分類が私たちの存在価値を仕分けする

私たちは、それぞれ個の存在として名前を付けられます。
両親や兄弟と共に家族として苗字を持ちます。
さらに、出身地、出身校、経歴、キャリア、性別、年収、仕事、趣味、様々なジャンルに分類されます。

それらがわかると、自分との共通点が見つけやすい便利さがあります。

反面、それに優劣をつける風潮があります。

自分に自信がもてない場合、持ち物で自分を立派に見せようとします。

子供の頃から競争して勝つことを目指してきたので、プライドが生まれます。本当は自分がどうしたいかより、周囲にどう思われるか、損得勘定を優先し、一流企業に勤める、あるいはそう言う人と結婚する、毎年海外旅行に行くなど他者から羨ましがられることを選択していきます。

日本国憲法14条に、国民は法の下に平等と明文化されています。

しかし、私たちの心は、そうではない世間体や常識や習慣によって、横並びのはずが、上に立とうとしたり、下におりてしまったり、自分では判断できないと決めつけてしまったりしている。

自分らしく生きられない不自由さや、自分に存在価値ナシと無意識で感じてしまうのは、そのためです。

誰もがかけがえのない存在

すべては一つ。

水に区別がつかないように、私たちもすべては一つと思えると良いのですが・・(人だけじゃなく万物が一つ)
ワンネスは体感しないとその感覚が言葉でつかめるものではありません。

しかし、水が、どんな場所でどんな姿であっても地球には必要な存在であるように、私たち一人ひとりも、姿かたち、住む場所、何をしているかが異なっていても、そこに優劣はなく、誰一人欠くことができないのだと意識してみることはできるのではないでしょうか?

汚水を流される川より、山の清流が良いと思うかもしれません。
姿が見えない湿度より、目に見える水が良いと思うかもしれません。

でも、空気中の湿度があるから、雨上がりに虹が空に描かれるのです。
どんな存在だとしても、絶対必要なんです。
必要でないものは、この地球上に何一つないのです。

全ては絶妙なバランスの上に成り立っている。
誰かと比較するのではなく、
起点は、ありのままの自分でOKするところ始めましょう。

慣れてくると、ありのままの自分でいる選択が一つずつ増えていくことはずです。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?