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5話 言語的側面から見たフィリピンの魅力

言葉を使用し会話をすることは、人間が持つ不思議な力のひとつです。世界には7,000もの言語があると言われていますが、認知科学者のレラ・ボロディツキーによると、今後100年間で世界の言語の半数が失われると見られています。

そのような潮流の中、日本よりも小さな国土に7,107もの島々が点在するフィリピンでは、120から187とも言われる言語が存在します。国語はフィリピン語ですが、これに加え英語が公用語となっています。

多くの皆さんがご存じのとおり、フィリピンは、スペインに327年間、アメリカに48年間、日本に3年間統治されてきた歴史があります。フィリピン語の基礎となるタガログ語の歴史は長いのですが、フィリピン語が国語として制定されたのは、1987年に成立したフィリピン共和国憲法においてであり、その歴史はたった30年程度です。その遥か昔、アメリカの統治(1898年~)が開始されると同時に、フィリピンに英語が導入されました。英語を習得することで社会的・経済的・知的上層階級への仲間入りが可能であると人々が感じたこと【※1】などから、英語の普及は比較的容易に行われましたが、その後、どのフィリピン諸語を国語の基礎とするかという長年の論争はあったものの、ナショナリズムの高まりと共に、国語の制定に至りました。

このような歴史を経験したフィリピンには、多様な価値観が混在しています。言い換えれば、フィリピンは「違い」に寛容であるという良さを持ち、文化的側面だけでなく言語的側面においてもその特徴は見出すことができます。以下の通り、顕著な例を2つ挙げます。

(1)語彙的特徴
和製英語同様、フィリピン独自の意味で使われる英語表現があります。
例えば、男性の店員はboss、女性の店員はmissと呼ばれます。彼らは「親分」でもなければ「未婚の女性」ばかりではありませんが、そのように呼ぶことが習慣化しています。“Miss!”と呼んで、少しお年を召した女性が接客に来ても、決して不思議がってはなりません。
また、お手洗いのことはComfort Room(略してCRとも言う)と呼びます。直訳すると「心休まる部屋」という何とも良い表現ですが、時には片手桶を使いバケツの水を汲んで流さなければならないことも覚悟しましょう。
さらに、レストランで会計をお願いする時には“Bill out, please.”(Check, please.ではない。)と言ったり、コピーのことをXeroxと言ったり、例を挙げればキリがありません。
単語だけではありません。例えば、フィリピン人はよく“Is it traffic today?”と聞いてきます。フィリピンではtrafficを、交通そのものの名詞としてだけではなく、ひどい渋滞の状態を表わす形容詞としても使います。一番興味深いのは、「電源を入れる、切る(Turn on/Turn off)」の意味で“Open/Close”という英語が使われること。これは、フィリピン語では、電源を入れることを“Buksan”(「開ける」の意)と言うことが由来しています。“Could you open the light?”と聞かれても、決して電気を分解してはいけません。

(2)コードスイッチ特徴
コードスイッチとは、発話中に一言語から他の言語への転換が起こること。タガログ語(Tagalog)に英語(English)を混ぜて話すのがTaglishです。これは国語であるフィリピン語と公用語である英語が共存しているが故に起こる現象であり、この現象は、複数の言語が話される国での言語行動の特徴の一つだと知られています。以下のとおり、例を示します。
・“The food tastes great, di ba?”(この食べ物は美味しいよね?)
・“Finishna ba yung homeworkmo?”(宿題は終わったの?)
・“Mary did not buy it kasi mahal.”(Maryは高いからそれを買いませんでした。)
・“Naka-focusako sa discussion about sentence formationkasi alam ko na ang basics.”(私は基礎知識があったので、文の構造に関する議論に集中した。)

ナショナリズムの高まりを受けて国語が制定されたにも関わらず、英語とのコードスイッチ現象が起きているのは問題なのではないか、と思う方もおられるでしょう。しかし、フィリピン語にはない用語や表現を英語が持っていたり、その逆があったりする場合、それぞれの言語がそのギャップを埋めるために活躍し、事実上Taglishの正当化につながっています。

このように、言語は私たち人間が社会生活をする上でより円滑にコミュニケーションを図るために日々変化しています。これが、言語は生き物であると言われる所以でしょう。
言語は考え方を形作ると言いますが、今回このコラムで特筆した言語的側面から見た「違い」に対する寛容さは、フィリピン人の考え方にも影響し、それがフィリピン人のホスピタリティや多様性を排除しない魅力に繋がっているのではないかと考えます。

※1 小野原信善,『フィリピンの言語政策と英語』,窓映社,1998,p.75.

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