見出し画像

宇宙飛行士とミートボールスパゲティ

*このコンテンツは無料です。『どうせなら、楽しく生きよう』の刊行を記念したエッセイです。

*********

人類が初めて月面に着陸したアポロ11号と、重大な故障にも関わらず地球に無事期間したアポロ13号は今でも有名なのに、それ以外のアポロは人びとの記憶からほとんど消え去っています。 日本人の宇宙ファンはアポロ11号のバズ・オルドリンとアポロ13号のジム・ラヴェル船長にしか興味を抱きませんが、私が一番会いたかったのはアポロ12号の月面着陸船パイロットとして人類で4番目に月に降りたったアラン・ビーンさんだったのです(写真はビーンさん)。

なぜビーンさんに会いたかったのかというと、NASA後の彼の人生の選択が意外だったことと、アカデミー賞作品賞を受賞した映画『愛と追憶の日々』(Termsof Endearment)でジャック・ニコルソンが演じた元宇宙飛行士のモデルがビーンさんだと聞いたことがあったからです。また、「最も幸せな宇宙飛行士」という噂にも興味がありました。

2011年に、ビーンさんの自宅を訪問して本人にお会いすることになりました。シャーリー・マクレーンとデートをするジャック・ニコルソンを想像していたのですが、実物のビーンさんは礼儀正しく穏やかな人物です。恐る恐る例の映画について尋ねたところ、嫌な顔もせず、思わせぶりたっぷりの笑みを浮かべて「これは、あのときのアパートじゃありませんよ」とだけ答えました。「あのころ」に再婚された奥さんは大病院で長年患者アドボケイトを務めた方ですが、シャーリー・マクレーン顔負けの美人です。ますます想像を膨らませてしまいました。

けれどもきらびやかな映画の世界とは異なり、ビーン夫妻の生活はつつましいものでした。アポロ計画時代の同僚たちのなかにはビジネスでも持ち前の競争心を発揮して成功し、大邸宅に住んで自家用飛行機を自分で操縦している人もいますが、ビーンさんはガレージがひとつだけの小さなコンドミニアム住まいです。しかも、70代後半になってからようやく広めの家に移ったということでした。 でも、「ハッピーな宇宙飛行士」というイメージは、会うことで崩れるどころかますます強まってきました。ビーンさんは、ほんの小さなことでも、まるで子どものように目を輝かせて楽しむのです。

夕食でビーンさんが贔屓にしているイタリアンレストランに行くことになったのですが、ガレージをブロックしている私たち夫婦のレンタカーを使ったほうが簡単なので4人でその小さな車に乗り込みました。勝手がわからない地域なので、運転手役の夫がレストランへのナビゲーションをGPSに任せたところ、後部席からビーンさんが身を乗り出してじっと眺めています。そして、「僕たちが月に行くときにこういうナビゲーションがあったら便利だったのに。今の電算機より劣ったコンピュータで月に行ったなんて信じられませんよねえ!」と笑うのです。

レストランに着いたら、今度は真面目な顔で「あの、よくテレビで名前を聞く『カーダシアン一家』って何をやっている人たちなんですか?」と質問します。ずっと疑問に思ってきたけれども答えがわからなかったようです。夫と私は顔を見合わせました。「とくに何も達成していないけれど、リアリティショーに出てスキャンダルなことをすると有名になる」という現代アメリカの不思議な現象をどう説明したらいいのでしょうか?でも、その説明にも「おお、なるほど!」と感心しています。

会話はカーダシアン一家から現在のアメリカの学校での教育の傾向、最近読んだお気に入りの本、と幅広い分野にわたりましたが、いずれの話題でもビーンさんは身を乗り出して、「それは面白い。もっと詳しく知りたいので説明してください」と尋ねます。これくらい好奇心旺盛なビーンさんですが、彼が世界で一番好きな料理はずっと「ミートボールスパゲティ」だというのです。

ビーンさんがアポロ12号でも宇宙食のスパゲティを持っていったことで有名ですが、40年以上たった今でもスパゲティが好物とは驚きです。月から戻った後は全世界から招待を受けたので、ほかにもたくさん美味しいものを食べる機会はあったはずなのです。

「ここのミートボールはとっても美味しいので、試してみて」とビーンさんは私にミートボールの皿を差し出しました。そして、「ほんとに美味しいですよね」と同感すると、自分が褒められたかのように目を細めて、ビーンさんはミートボールスパゲティとの運命の出会いについて語ってくれました。「両親はテキサスに住む典型的なアングロサクソンの家系だったので、家庭でスパゲティを食べたことはなかったんですよ。大学で初めてスパゲティを食べて、『この世にこんなに美味しいものが存在したのか!』と思いました」ということは、ミートボールスパゲティとの関係は60年続いていることになります。今は亡きニール・アームストロング船長と旅先でスパゲティを探し求めてさまよった逸話も聞きました。 ビーンさんの自宅の壁にアポロ時代の宇宙食のスパゲティが飾ってありますが、変色しているので干からびたミミズにしか見えません。当時もひどい味だったようですが、それでもスパゲティを見捨てなかったビーンさんには感心しました。

この夜に交わした会話はもちろんスパゲティのことだけではありません。もちろん月のことも語り合いましたが、会話の中心は「どうすれば幸せに生きることができるのか?」というものでした。私が「人びとが幸せになる方法を伝える本を書きたいので、話を聞かせていただきたい」と持ちかけたところ、ビーンさんは「私にお手伝いできることでしたら」と快諾してくれたのでした。

夕食を終えてレストランを出ると、空には美しい月が出ていました。ビーンさんと一緒にその月を見上げ、「あなたがあそこにいらしたときに、私はこうやってそれを眺めていたんですよね」と言ったとたん、田舎の村で空を見上げる9歳の自分と現在の自分が入れ替わるような不思議な感覚に襲われました。あれから3年も経ってしまいましたが、ようやくビーンさんに約束した本を書くことができました。それが自費出版の電子書籍『どうせなら、楽しく生きよう』です。 

追記:自費出版にしたいきさつは、このブログで説明していますが、それが9月に飛鳥新社から紙媒体で刊行されました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?