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今朝の森、今朝のキノコ?

*このコンテンツは無料です。9月25日発売の『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)刊行を記念した、書き下ろしエッセイです。

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私には、嫌なことがあっても「これをやると気持ちがすっきりする」という魔法のようなアクティビティがあります。それは、森を走ることです。

私にとってのジョギングは、全身マッサージと瞑想、そして心の洗濯のようなものです。ちょうどよいゆるいペースで走っているうちに、心と身体が離れていくような感じになります。すると、走っていることをすっかり忘れて、いろいろなアイディアが浮かんできます。坂道でほどよく肉体を痛めつけると、さっきまで悩んでいたことが気にならなくなるから不思議なものです。

走ることが好きだというと、よく「マラソン大会には出ないのですか?」、「毎日何キロメートル走るのですか?」、「タイムは?」と尋ねられます。

例外はありますが、私は基本的にレースには出ません。タイムもふだんは計らないし、走る距離も、その日のスケジュールや調子にあわせて長めにしたり、短くしたりします。

私には競争やタイムの記録が合わないと、失敗から悟ったのです。

何事でも、始めてすぐは、努力が目立つ結果につながります。十数年前に始めた私のジョギングも同様で、5kmを完走できるようになったときには相当な達成をした気分でした。

そのとき、好奇心でGPSと心拍数モニターをつけてみたのです。当時はiPhoneの無料アプリなどはありませんから、高価なガーミンのGPSウォッチを買って毎月の会費も払いました。そこで、全世界のジョギング愛好家と自分のタイムを比べてみたところ、驚いたことにそう遅いほうではなかったのです。

小学生のころ体育が苦手で虐められた私ですから、この結果にすっかり気を良くしてしまいました。さらに、欲も出てきました。走るたびに自己ベストタイムを出すことを狙い、距離も伸ばしていったのです。
ジョギングを終えるやいなやコンピュータにダウンロードし、その日に走った人々と比べるようになりました。「オーストラリアの30歳の男性より速かったぞ〜」と得意になったりして、最初のうちは「いいモチベーションだ」とポジティブにとらえていたのです。

でも、ある日のジョギングを境に考え方が変わりました。

ナンタケット島にある別荘から一番近いビーチまでは往復でちょうど5マイル(約8.4km)です。ボストン郊外にある自宅周辺のコースは坂が多いのですが、ナンタケット島は平坦です。「このコースならもっと良いタイムが出るだろう」と喜び勇んで最初から飛ばしていきました。
自己最高記録を出す決意が固かったので、途中で胸が苦しくなってもがまんしてスピードは落としませんでした。

結果は40分をちょっと切る39分台、1kmを約4.45分という自己最高記録です。

でも、その後が大変でした。「心臓発作を起こすんじゃないか」と心配するくらい不整脈が出て、一日中調子が悪かったのです。

その日反省したのは、記録をつけるようになってからの自分が、速く走ることばかり気にしていたことでした。
ジョギング中にぼんやり考えごとをしたり、周囲の風景を楽しんだりするのをすっかり忘れていたのです。
このまま記録をつけ続けても、老いていく私が自己最高記録を更新し続けることは無理でしょう。「こんなに努力しているのに……」と走るのが嫌になってしまう未来の自分が、そのときはっきりと目に浮かびました。

だから、走る楽しみを忘れないために、走ることそのものをやめないために、他人と比較する誘惑や向上の誘惑を切り捨てることにしたのです。 


比較の誘惑について、下記のふたつの記録をちょっと比べてみてください。 


上のほうは1kmを5.02分とまあまあのペースで、下のほうは1km7:07とスローペースです。 ベテランと初心者の差と思われたのではありませんか?

実は、同じ人間(私)の記録なんです。

人はどうしても、数字やランキングなど、わかりやすい指標で他人の能力を判断しがちです。それがわかっているから、自分がやりたいことよりも、他人の評価が良いことを選んでしまいがちです。
そういった他人と比較するときに陥りやすい罠を説明するために、iPhoneアプリMapMyRunを使って記録してみたのです。

じつは、このペースの差は、コースの差なのです。

上はまず、舗装された平坦な道路です。なだらかな下り坂が多い片道だけを計ったのでこのペースなのです。

下のほうは、ほぼ毎日私が走る森のコースです。
上級レベルのマウンテンバイク愛好家が好む場所だけあって、起伏が激しく、木の根や石などの障害物だらけのトレイルです。

地面は写真のような感じなので、一瞬でも気を緩めると、転ぶか捻挫をします(実際に何度か体験しています)。

嵐の後に大木が落ちていることもあり、走るより歩いたほうが速いような場所もけっこうあります。でも、野生の動物は出てくるし、風景は移り変わるし、根っこや石を避けて走るのもゲーム感覚で、とても楽しい場所なのです。

しかし、上記のようなアプリで毎日他人にタイムを公開し、他人と比較を始めたら、大好きな森のトレイルよりも、タイムが良くなるコースを選びたくなってしまいます。

どんなに達観したつもりでも、人は自分と他人を比べてしまうものです。
そのうえ、タイムや距離なんかを公開したら、相談もしていないのに「こうしたら速くなりますよ」、「走っても痩せませんよ」、「走るとかえって長生きできないのを知ってますか?」などと余計なアドバイスをする人が出てきます。

それをいちいち気にしたり、言い訳したりしていると、自信を失うだけでなく、「人生を楽しむ」ことまで忘れてしまうと思いました。だから、他人の目を気にしたり、言い訳したりする必要がない「ひとり遊び」に徹すると決めているのです。

日常生活で幸せを感じるためには、自分にとって心地よい生き方のペースを守る必要があります。そのために、他人と比較する(される)状況を避ける努力をしなければならないこともあると思うのです。

私が大好きな森のトレイルは、狭くて、走るのは難しく、タイムも出ません。だから、走る人が少なくて、早朝ジョギングの間にほかの人と会うことはほとんどありません。タイムではなく道中を楽しむジョギングですから、鹿が飛び出してきたら止まって見つめ合うし、面白いキノコを探して写真にも撮ります。知らない小道を試して迷うのもご愛嬌です。 

木漏れ日を浴びて深呼吸するとき、可愛い花を見つけたとき、美しい光景に出会ったとき、「ああ、なんて幸せなんだろう!」としみじみ思います。

日常に、こんなに沢山の美しいものがあるのに、十数年前に落ち込んでいたころの私は、目もくれなかったのです。なんて、もったいないことをしてきたのでしょう。

せっかく見つけた日常の小さな喜びを、二度と忘れないようにしたいものです。



私は、ほぼ毎朝「今朝の森のジョギング」と「今朝のキノコ?」を写真付きでツイートしています。

距離でもなく、タイムでもなく。

なんといっても、大切なのは、人生の道草を楽しめる心の状態なのですから。

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どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)



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