私、性欲がないし恋愛もしません、今のところ。
自身がセクシャルマイノリティであることについてあまり語っていなかったなとふと思い立ち、語ってみようと書く次第。
何故語ってこなかったのか、についても考えてみる。
模索中の性自認
性自認を模索中である。具体的にどんな状態なのか自分でも本当によくわからない。
ただ、体の性が女性であることは知っているし受け入れている。嫌ではない。男性になりたいとも思わない。
でも、女性であり続けるのも嫌だ。正直に言うなら性別のないものになりたい。
ところがフェミニンな洋服に魅せられて、女性であることが楽しいときもある。何なんだ、自分は結局何になりたいんだ……? と思う。
またある夜はユニセックスの服が似合うようになりたいと思う。特に黒の。そういうのが似合うと格好いいと感じる。
こうして書いていくと、私にとっての"性別"とは性器でもなければ産む性か否かでもなければ、服であるらしいということがわかる。
男装もしてみたいと思う。何故なら格好よくなりたいから。残念ながら様になる顔ではないんだけどね。
性自認は、おそらく女性寄りの無性か中性かなあとのんびり考えている。私は性別欄で女に丸をするのに抵抗はないしこのまま定まらなくてもそれはそれで私なのかなと考えている。
ノンセクシャルとアセクシャル
性的指向の話に移ろう。
私はノンセクシャルとアセクシャルを揺れ動いている、とshanoさんのプロフィールに書いたが、そのどちらでもあるのかもしれない。
ノンセクシャルとは性欲を持たないセクシャリティだ。そしてアセクシャルは他人に対して恋愛感情を抱かない。どちらも"ない"セクシャリティである。
性欲を抱いていないと気づかされたのはある友人との会話だ。いわゆる"したい"、"一人でした"という友人の話に、私は首を傾げる他なかったのである。しなければ何だか満たされないから一人でもするのだという友人に、そこまでして……? と驚いた。
この友人ほどではないにしろ、大抵の人は性欲を抱き、それを満たすために性行為をしているようだった。でも私には、そんな感情も発想も"ない"。
私がアセクシャルであることに気づいたのはずいぶんと遅い。気づいたのは、それまで自分をレズビアンだと思ってきて、心底好きな友人からの告白を受けたときだった。
彼女のことは好きだ。でも、向けられる"好き"と私からの"好き"は違う。彼女が求めているものと私が返せるものは全く違う。
そこで初めて私は異性にも同性にも恋愛感情を抱かないのではないかと気づいた。
カレーを食べないことを書き続けられますか
こうしてノンセクシャルとアセクシャルにたどり着いたわけだが、ノンセクシャルとアセクシャルを"書く"ことは非常に難しい。
例えばこれを読んでいるあなたがカレーを好きだとする。毎日どこかの店に行ってカレーを食べているくらいのカレー好き。
そんなあなたにカレーについて書いてくださいと言えば、毎日でも書けることだろう。
でもカレーに興味がなくて、ではカレーに興味がないということを書いてくださいと言われたらどうだろうか。私はカレーを食べない、ということを延々書き続ける。できるだろうか。できなくはないと思う。でも難しい。
性欲が"ない"、恋愛を"しない"ということを書くのは難しい。"ある"ことを書く何倍もの難易度だ。
それでも、綴る必要がある
だけど、だからこそ、書き続けたいと思う。たしかに性欲がないことや恋愛をしないことを書くのは難しい。至難のわざである。
でも、書かなかったら、発信しなかったら、性欲がない人も恋愛をしない人もいないことにされてしまう。本当は、いるのに。
そして今、"誰かに性欲を抱き、誰かと恋愛するのが当然"という価値観が浸透してしまいつつある。"そうじゃない人もいるよ"ということを伝えていかなくては生きづらいままだ。
性自認もセクシャリティも流動的なものなので、明日素敵な人に出会って恋に落ちているかもしれないけれど、今の私は、こんな感じだ。
執筆のための資料代にさせていただきます。