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私の人生に、子どもはいらない。

一応結婚適齢期と呼ばれるものにさしかかっている年頃ではあるので、たまに「結婚しないの?」とか、「子ども欲しいよね」とかそんな話題になることがある。

私は重度のオタクで私からオタクとしての話題を取ったらほとんど何も話せることがなくなってしまう。ここで書いているようなことを話すわけにもいかない。そうすると近況や将来の話くらいしかないわけだ。オタクじゃない人と何を話したらいいか、本当にわからない。

「子どもが欲しいのは看取って欲しいから」と言った友人がいた。そんなことのために……? と思ってしまった。でもまあ子どもを作る理由なんて大半がエゴだ。そう自覚しているだけましだろうとは思ったけど、「私のこと看取ってね」と親に言われたらと想像するとおぞましい。

私自身のことはと言えば、だ。私は子どもなんていらないと思う。アルビノが遺伝するとかそもそも私自身が毒親育ちで愛し方がきっと歪んでいるだろうとか、そんな諸々より先に、面倒くさいが理由として最初にくる。

親のことここでも散々言ってるしそれは全部事実なので、親にここのことがバレても「己の過去を呪えよ」としか思わないけど、子育てって大変なんだなというのはわかる。

育つ方も大変だけど、育てる方も大変だ。何せ自分のリソースをがんがんもっていかれるのである。子どもは大雪の日でも具合悪くなるし、ふと目を離せば頭から血を流しているし、一時も休まらない。それに加えて学校だの習い事だのといった用事がある。それに加えて育てるために仕事をして稼がねばならない。

やってられるか、というのが親を見てて思った私の本音である。アルビノが遺伝するとか毒親育ちでまともに愛せないだろうとか、そんなことより何よりこれらのことをやるのが、非常に面倒くさい。私はいつだって私のことを一番に考えていたいし、誰のことも背負いたくない。仕事で負うべき責任ならともかく、プライベートでまで責任が発生するなんてやってられるか。

子育てをしたくないから子どもはいらない。というか私子ども嫌いだし。という、わかりやすい答えだ。

ああ、でも、とふと思う。アルビノの私の卵子を欲しがるカップルがいるのならだけど、卵子提供なら、してもいいかもしれないなってたまに、本当にたまにだけど思うのだ。

自分で産むのは育てるのも面倒だけど痛みが怖いから嫌だ。でも私の卵子で誰かが子どもを産むのは、悪くないな、なんて思っていたりする。

執筆のための資料代にさせていただきます。