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ゆっくりします。

もうすぐ20代も後半になってしまうし、あまりにも療養期間が長すぎるし、と私は焦っていた。時間の流れというのは残酷だ。大学を出たときには22歳の若い女の子だったのに、もう20代も後半にさしかかろうとしている。残酷だ。あまりにも残酷だ。

20代の頃に数年メンタルを病んだ、ならまだ救いようはあるかもしれないけどそのままアラサーになっちゃったらどうなっちゃうんだろう。それから大学院に行ったら私は何歳になっているんだろう。生涯年収でかなりの差をつけられるんじゃないかとか、そんなことまで考えていた。そもそもそんなこと、上を見たらきりがない。まあちょっと落ちついて。

私は私を養って満たされて一人で死んでいけたらそれでいいのだ。そう決めたじゃないか。

結婚にはタイムリミットはない(市場で選ばれやすいかというタイムリミットは多分あるけどいつだって結婚はできる)けど、出産はタイムリミットがある。これはもう生物学的に、仕方のないことだ。

まあどっちにしろ結婚も出産もしないから私にはタイムリミットなんか、ない……ないはずだ。そうは言っても、大学院に受かるまで回復するのに何年かかるか、卒業したときにいくつになっているかなんていうのは気になる。

そんなだから焦る。早くお金を貯めて大学院に行きたいとまだ身体が追いつきもしないのに経済的自立のための職を求めて動いて寝こんでみたりする。

そんな現状を病院で報告したら、言われたのだ。

「最低でも2, 3ヶ月はゆっくりしましょう」

と。

ゆっくりするって、何なのだろう。すぐさま私は聞き返していた。

「ゆっくりするって、何をすればいいんですか」

「何をするか書きだしていこう」

そうやってあれこれ書きだしたけど、どうしても英語や院試の勉強から離れられない。スケジュールに院試関連のものがないことに不安を覚えてしまうのだ。

院試のあれやそれやを詰めこんでしまいがちなのをブレーキをかけてもらい、どうにか最小限にしてスケジュールを作った。

それでも不安だった。こんなに勉強しないスケジュールを組んでいいのかと。ずっとやらないままなんじゃないかって。

不安に思いながら、病院を後にした。

具体的な数字とともに示された、ゆっくりすること、という課題。このことを親と友人に伝えた。そのときに友人が言った「飽きるほど好きなことをする」という提案にのってみることにした。

英語も院試も置いておいて、好きなことをする。文章を書くこと、読むこと。それから食欲が出てきたらおいしいものを食べること。

幸いにも私の趣味である読書も、そして好きでしている執筆もお金をかけずともできることだ。執筆を少しして、後はしたいことをする。そういう生活を2, 3ヶ月、続けよう。

だいたいのめやすとしては、

起床→朝食→仕事→昼食→好きなこと→夕食→入浴など→好きなこと→就寝

というのを考えている。

まずは回復につとめます。




執筆のための資料代にさせていただきます。