「憐れみあいたいの?」と親に言われた話。

五月の夜更けに、ちょっときついあの日の話をしよう。よければ読んでいって欲しい。

それは遡ること数年前。高校生の私は、アルビノの人に会いたかった。

あの頃の私の気持ちは完全には思い出せていないが、多分自分より大人のアルビノの人に会いたかったのだと思う。病院で知り合ったアルビノの人は皆年下だったから、その人達に会うという発想はなかった。

多分漠然とした将来への不安があったのだと思う。年上のアルビノの人に会って、これから先を教えて欲しかった。アルビノでないし視覚障害者でもない私の親はアルビノや視覚障害者が行く先に何があるのかなんて知りはしないのだから。

でもそれを言語化できずにいた。今になってみればわかる。

それは交流会に行って、初めてわかること。こういういいことがあるんだって、行って初めてわかることだった。

高校生の私に、そんなことはわからなかった。だから、出てきた言葉は稚拙で、正直なだけだった。

「交流会に行ってみたい」

それだけだった。

私は当時人口数万人の地方都市に住んでいて、ドーナツの会(関西)やJAN(関東)が開催する交流会には行けない距離だった。

正確に言うなら、高校はバイト禁止で交流会に行くための旅費を貯める手段がなく、なおかつ交流会に行くという理由では親も旅費を出してくれはしないという状況だった。

それがすぐ近く(と言っても数時間はかかるがそれでも東京や大阪よりは断然行きやすい場所)で交流会があると知り、私は前述の、「交流会に行きたい」を親に伝えるのだった。

「行ってどうすんの。そんな、知らない人に会うためにお金も時間もかけて」

さらに続けて親は言った。

「アルビノの人同士で集まって、憐れみあいたいの?」

「そうじゃない」

私は頭をフル回転させて言葉を探していた。そうじゃない、そこにはきっと、私に必要な何かがあると思う。

でもそんな理由じゃ弱かった。高圧的でヒステリックな親を納得させるには、圧倒的な、強い理由が必要だった。親が納得させられて、言い返せなくなるような、強くて正しい理由が必要だった。

でも当時の私は交流会に行くことのメリットを圧倒的な強さでもって伝えることはできなかった。当たり前だ、交流会に行ったことがないのだから。

交流会に行ったことがなければその必要性やよさは表現しきれないだろう。

セルフヘルプグループとか当事者団体とかいう言葉すらも知らない、勉強だけそれなりにできる高校生は、そこで言葉を失った。

それにしたって、「憐れみあいたいの?」はない。私を何だと思っているのか。憐れなものと思っているならもっと大事にしてくれたらよかったのにとか、自分の娘を憐れんでいるとかひどい親だなとか、思うことはいろいろある。

憐れみあうためじゃない、私達は現状を共有し、解決策を模索し、そして安心を得るために集まるのだと今なら言える。私の来た道を次世代のアルビノの人が行く道の参考にしたり、上の世代の人の道を参考に私が行動したりするために。

今なら、そう言える。けれどあの頃の私にはわからなかった。ただアルビノの人との交流を渇望していた。何故かわからないけど、会ってみたかった。

それらがごちゃ混ぜに言葉になって、その結果が「交流会に行ってみたい」だったのだ。

親によって粉々にされたその思いは消えずに、大学生になったあの夏に初めての交流会に足を運ぶことになる。そこで私は高校生の頃の自分が交流会に行くべきだった理由を実感し、あの時行かせてくれなかった親を恨んだ。

今もその恨みは消えないが、その経験があるからこそ思う。交流会に行きたくても行けない当事者達に、あの頃の私に、必要な情報が届く環境を作る必要がある。

だからこそ形に残るように、文章を書き続けていくのだ。



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