見た目問題を、令和で終わりにしよう。
今日から令和だ。
そうであってもやることに変わりはないのだけど、何だか気持ちが改まる。
モチベーション高いままいろいろ書いていきたい。
そして思うのが、見た目問題を平成で終わりにしたかったということである。
平成で終わりにできたらどんなによかったことか。
障害者に対するバリアには様々なものがある。
そう大学の講義で聞いた。
見た目問題は間違いなく社会的バリア(心のバリアともいうかもしれない)の一つである。
私だって、アルビノなどのマイノリティの当事者で、ある時にはマジョリティ側に立つ。
誰かに無理解で無神経な言動や行動をしていないとは限らない。
それでも、いつかどこかでマイノリティで、またいつかどこかでマジョリティという構造を理解するまでに至った。
私にとっての見た目問題
私にとって、見た目問題はどこから始まっているだろうか。
発達障害の特性の一つ故に視線に鈍い私でもわかる明らかな差別にあったのは、親の再婚の時である。
相手方の親(私にとっては祖父母になる人)の「またそんな白い子が生まれても困る」という発言を又聞きしたのが初めての被差別経験であった。
ああ、アルビノって結婚で差別されるんだ、と子どもながら覚えている。
けれど、その時はさほど困らなかった。
結局親はその反対を押し切って再婚したから、私の暮らしは特に何も困らなかった。
困ったという実感があるのはやはりアルバイトの不採用経験だろう。
アルバイトが決まらなければ、収入が減り、生活にダイレクトに響いてくるのだから。
何がいけないのだろうと悩んだこともあった。
調べてみれば、正体は見た目による差別だった。
見た目問題は、令和で終わりにする。
見た目問題とは見た目に特徴のある当事者が見た目を理由に就職や結婚で差別される問題である。
完全に前述の社会的バリアなのである。
就職における差別は私も痛いほど経験した。
アルビノの他の症状によるものも混じっているので、全てが見た目のせいではないけれど、見た目のせいで落とされたアルバイトは数知れない。
記憶を辿っても、数えられないのだ。
多過ぎて。
電話の段階で断られ、面接に行って断られ。
結婚における差別は又聞きだけど経験した。
これは思い返すにつけて、見た目が遺伝するなら見た目問題の当事者は見た目に特徴のある人だけでなく、遺伝する見た目の保因者である家族なども当事者と言えるのではないか、などと考えている。
あの「またそんな白い子が生まれても困る」は私への侮辱でもあるけど、私を作った実の両親への侮辱でもあるのだ。
私はアルビノと別の理由があって、結婚するつもりはないから結婚における差別というのは実はこれから私の周りで私の家族に起こるかもしれない問題ということになる。
私が原因で誰かが差別されるというのも気分のいいものではないが、そもそも原因は私ではなく差別してくる人間にあるので気にしないでおこう。
問題意識は持ち続けるけども。
近い将来、「令和の初期は見た目で差別されることがあったんだよ」と過去の出来事として語れるようになっていくことを願っている。
執筆のための資料代にさせていただきます。