「結婚できなかったらどうすんだ」って別にどうもしないけど。

朝、起きてnoteをふわふわ漂っていたらこちらの記事を見つけた。

なつぺぃさんという方の記事だ。冒頭にマッチングアプリを再開することになった経緯として家族に結婚について焦らされた、とある。「このまま結婚できなかったらどうすんだ」とはなつぺぃさんの家族の言葉であるらしい。

どうもしませんけど!? というのが結婚しないと決めている私の感想だった。しかしなつぺぃさんのご家族はなつぺぃさんの結婚を望んでいるようだ。

「このまま結婚できなかったらどうすんだ」とは何を心配しているんだろう。結婚することによる幸せを得られない可能性? それとも、最近話題の孤独死? 本当によくわからない。

「このまま結婚できなかったらどうすんだ」には本当にえっ別にどうにもしませんけど……? 結婚できなくても死にませんし……としか返しようがない。生きるためにどうしても必要かで何かを決めることを続けると病むけど、少なくとも私の人生には結婚はいらない。

だけど私はその一文が虚しかった。結婚だけが幸せではないこの時代に、家族という距離感で結婚を押しつける人がいる。きっとこの家族は10年先も同じことを言っているのだろうと思うと、価値観のアップデートの大変さを実感する。

ところで、結婚の大切さを説く人の言うことの一つに、「孤独死」がある。結婚推進論者のなかでも孤独死を理由にする人に、私の両親の話を聞いてほしい。

私の両親はもうすぐ定年だ。ということはつまり、そろそろどう死ぬかを考えなければならない時期である。いわゆる終活ってやつである。そんなときに両親がよく言うのは「ピンピンコロリがいい」とか「二人一緒に死ねるとは限らないからね」とかいうことだ。

そう、既婚者でも二人一緒に死ねなければ残された一人は孤独死のリスクをもって生きなければならなくなるのだ。一緒に死ぬなんてことは、なかなかできるものではない。夫婦だしその後のことも考えればそのときは一緒の方がいいとは言うけど、現実はそうじゃないこともわかっている。

二人一緒に死ねたらいいけどね、という言葉の裏には現実はそうじゃないけどね、という嘆きにも似たものが隠されている。

要は結婚することは孤独死を回避する絶対的な手段にはなりえない、ということだ。

結婚できなかったらどうすんだと問われたら、私は「どうもしませんけど?」と胸を張って答える。結婚しないことで肩身が狭くなる時代は、私達から終わりにしていこう。

執筆のための資料代にさせていただきます。