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星に、願いを


 聖地の奥には禁域の山があり、その頂には人知れず美しい湖がある。
 その湖のほとりで、その日、二人の少女とひとりの男が出会った。


 男のどこか超然とした様子を見て、少女のひとり、リンシャが、意を決したように尋ねた。
「あの、あなたはもしかしたら神様?」
 その唐突な問いに、男も、もうひとりの少女、アルトゥムも、一瞬呆気に取られる。そして、男が笑い出した。
「ははははは!これはまた、おそれおおい。あいにく、私は人間だよ」
 笑う男を見つめていたアルトゥムは、あることに気付く。
「あなたが身に着けているその紋章・・・もしや、あなたは神殿の方ですか?」
「ああ。ここは神殿が管理している場所でね、私は管理人のようなものだ。ところで・・・」
 男の口調が改まる。
「ここは禁域で、部外者の立ち入りは禁じられているんだよ、小さなお嬢さんたち。知らずに迷い込んだのなら、早く帰りなさい」
 アルトゥムが何か言うより早く、リンシャが言う。
「私、神様に会いに来たの!ここは聖域『星の姿見』よね?神様が降りてきて、願いをかなえてくれるんでしょ?」
 男の眉がぴくりと動く。
「禁域と知った上で来たのかね?では、見過ごすわけにはいかないな」
 アルトゥムの顔がこわばる。禁域に入り込んだことをとがめられるに違いない。だが、そんな彼女の恐れを感じ取ったのか、男は笑みを浮かべた。
「話を聞くだけだよ、お嬢さん。そんなに怖がらなくていい。さあ、こっちだ」
 男は背を向けると、歩き出す。二人は迷いながらも、後を追った。


 男の向かう先には、湖にせり出すようにして高くそびえる大岩がある。男の後について登ってみると、岩の上には簡単な炉や道具があり、たびたび使われているようだった。
 勧められるまま二人が腰を下ろすと、男は手慣れた様子でお茶を入れて、二人に差し出した。
「さっきも言ったが、私はこの禁域の管理人だ。だから、お嬢さんたちが何者で、何をしに来たのか確認しなければならない。巡礼服を着ているところを見ると、聖地の神殿の参拝者だと思うが・・・」
 その問いに、アルトゥムが口を開く。
「私はアルトゥムと申します。西の町、カサラの商人の娘です。家族と一緒に神殿参拝に参りました。この子はリンシャ。うちの使用人です」
「この場所のことは、カサラの神殿長さまに聞いたの。神様に会える場所だっていうから、どうしても来たくて、お嬢様たちの巡礼の旅に入れてもらっちゃった」
 そう言って、リンシャはにっこりと笑う。
「今日は、夜明け前に宿を出てきたのよ」
「もう午後も遅い。ずいぶん時間がかかったようだ」
「山登りは大変だったけど、がんばったの」
 そう言うリンシャの顔や手はすり傷だらけで、服も汚れ、あちこちが破れている。
「なるほど。そうまでして来たということは、よほどかなえたい願いがあるようだね」
「うん!私、神官になりたいの!ここでなら、神様にその方法を聞けると思ったんだけどなあ」
 邪気のないその様子に、男は思わずほほえんだ。
「すみません。この子、いつもこんな感じらしいんです。神官になりたい、が口癖らしくて・・・」
 アルトゥムはため息を付いた。
「暇さえあれば、神殿に入り浸っているというし。今回の旅だってそう。本当は、もっと長く勤めている者を連れて行くものなのだけど、この子がどうしてもって熱心に頼むから、特別に一行に加えたというし」
「聖地に行くなんて、次はいつ機会があるかわからないもん。駄目でもともと、と思ってお願いしてみたの」
「その上、今朝は勝手に宿を抜け出すし。ひとりでどこへ行くのかと思えば、禁域だなんて!私は途中まで知らなかったわよ!」
 怒られて、リンシャは首をすくめる。
「勝手にじゃなく、お休みと外出のお許しはもらってますよう。勝手について来たのは、お嬢様でしょう?危ないからお帰りくださいって、言ったのに」
「なに言ってるの。たまたま夜明け前に目を覚ましたら、ひとりでコソコソ出歩く子がいるんですもの。放っておけないでしょう。それに、あんな山の中で帰れって言われても、道もわからないのに無理よ。第一、あなたをひとりで置いて帰って、何かあったら大変だし!」
「・・・ごめんなさい」
 しゅん、とうなだれたリンシャを見て、アルトゥムは口調を和らげる。
「神頼みしたくなる気持ちもわかるけどね・・・あなたが神官になるなんて無理でしょうし」
「どうして、私が神官になるのは無理なの?」
 まっすぐに目を見て聞いてくるリンシャに、思わずアルトゥムは口ごもる。
「え?だって、何か特別な力がないと、神官にはなれないんじゃないかしら・・・」
「確かに、私は何の力もないただの子供だけど、それはこれからなんとかするもん!」
「なんとかって・・・その自信はどこから来るのかしら」
 根拠もないのにきっぱりと言い切られて、アルトゥムは呆れてしまう。そこへ、男が苦笑しながら口を挟んだ。
「まあまあ、神官になりたいという、お嬢さんの願いはよくわかったよ。しかし、なぜそんなに神官になりたいんだね?」
「私が小さい頃、悪い病気がはやって、お父さんとお母さんが死んじゃったの」
「えっ」
 初めて知る事実に、アルトゥムの口から驚きの声がもれる。
「私も死にかけたけど、癒しの力を持つ神官さまが助けてくれたんだって。それで、みなしごになった私は、町の神殿の孤児院に引き取られたの。神殿長さまや神官さまはとても優しくて、私が寂しかったり、辛かったりしたときは、いつも慰めてくれたの」
 わずかに悲しみをにじませて、それでもリンシャは明るく笑う。
「とっても嬉しかった・・・だから私も神官になって、誰かが辛いときに力になりたいなって。それが、私の夢!」
 リンシャの言葉にこもる、まっすぐで強い想いに圧倒されて、アルトゥムは何も言えなくなる。
「でもね、誰に聞いても、神官になる方法は教えてくれないの。説明するのは難しいって笑ってばっかり。どうしてなのかなあ。だから私、みんなに聞いて回って、自分なりに考えてがんばってるの。ここに来たのも、そのためなんだから」
 男が優しい笑顔を浮かべて、リンシャに言う。
「やれることを、精一杯がんばっているわけだ」
「うん!」
「それじゃ、そんな健気なお嬢さんにお茶のおかわりを・・・と、いかん、水がもうないな」
「あ、私、くんでくる!」
 リンシャはそう言うと、疲れた様子も見せずに下へと降りていった。その場には、男とアルトゥムが残される。
「私、知りませんでした・・・あの子にそんな過去があったなんて。でも、それだけ辛い目にあったのに、なぜ運命を恨むこともなく、あんなにいきいきと夢を語れるのかしら」
 アルトゥムがぽつりとつぶやく。
「あの子の強さは、夢あればこそ、かな。それに、同じ出来事に遭遇しても、どう反応するかは、人それぞれだよ。運命を恨むのも、乗り越えるのも、自分次第だ。そういうお嬢さんには、なにか夢があるかね?」
「私の夢?そんなこと、考えたこともなかったわ・・・」
 先ほどリンシャとやり合っていたときとは打って変わって、心許ない表情になる。
「私の家は、カサラでも有数の商家なんです。私はこれまで、家族に囲まれて、何の不自由もない生活をしてきました。周りからは、あと数年もしたら親の決めた相手に嫁ぐのだろうと言われていて、私自身もそんなものだろうと思って、親に言われるままにたしなみや教養を身につけてきました。姉もそうやって嫁いでいきましたし、父の跡は兄が継ぎますから」
「うむ」
「これまではそれでよかったんです。でも、聖地へ参拝することが決まって、あの子の、リンシャのことが耳に入りました。新参の下働きのくせに、図々しくも同行を願い出た者がいる、と。話をよく聞いてみると、神官になりたいと言って、いろいろやっているらしいと。あの子を笑う者もいましたが、応援している者もたくさんいるようでした」
「それで、お嬢さんはどう思ったのかな」
「私は・・・あの子の噂を聞くと、なぜだか落ち着かない気持ちになりました。胸の中がざわざわして・・・。いつもなら、下働きの子のことなんか気にも留めないのに、あの子のことは、イライラするのに気になるんです」
 アルトゥムは、自分の心の内を説明するという、慣れない作業にとまどいながら、少しずつ言葉をつづる。
「実は、あの子と直接言葉を交わしたのは、今日が初めてなんです。そもそも、噂でしか知らなかったあの子について来たのは、この気持ちがなんなのか知りたかったからかもしれません。でも、ああやって、目の前であの子が夢について語るのを聞いていると、いたたまれないような気持ちになります・・・。なんなんでしょうね、これ」
 うなずきながら聞いていた男が口を開いた。
「お嬢さんは、あの子がうらやましいのではないかな」
「うらやましい・・・?あの子が?」
「一心に夢を追う者は、そうでない者にとってはまぶしいものだからね・・・ああ、誤解してはいけないよ。お嬢さんのあり方を否定しているわけじゃないんだ。今の生活が心から楽しいのなら、何の問題もない。でも、お嬢さんの場合は、どうやらそうではないらしい。あの子を見て胸がざわつくということは、たぶん、これまでの自分に疑問を持ったという事ではないかね?あの子のように、夢が欲しいと」
「そう・・・なんでしょうか。私にも、何か夢があるんでしょうか?」
 困惑したように聞く少女に、男は優しく笑いかけた。
「お嬢さんの夢がわかるのは、お嬢さんだけだよ。なに、本気で考えれば、きっとわかる」
「はい・・・」
 まだ心許なげだが、ぎこちなくアルトゥムが笑顔を返した時、ちょうどリンシャが水をくんで戻ってきた。
「お嬢様、日が暮れてきましたよ」
 その言葉に見上げてみると、いつの間にか空は茜色に染まり、彼方から薄闇が迫りつつあった。
「いけない!これじゃ暗くなる前に帰れないわ!」
 あわてるアルトゥムに、男が言う。
「これから山を下りるのは危険だ。今夜はここに泊まって、明日の朝早く出発するといい」
「そのほうがよさそうですね・・・」
 二人は男の言葉に従うことにした。男の手を借りて、野営の準備を始める。なんとか準備が終わった頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。炉の火を囲んで簡単な食事を済ませた後、男が二人に声をかける。
「ほら、お嬢さんたち、見てごらん」
 男の指さす方に目をやった二人は、驚きに目を見張った。
「わあ・・・!」
「すごい!」
 そこに広がっていたのは、満天の星空を映した湖面だった。天空に瞬く光と、水面にきらめく光の競演が、言葉を失うほど美しい。この大岩の上からは、湖面と空が、どちらもよく見渡せた。
「これが、『星の姿見』という名前の由来だよ。神々が降りてこられても不思議はない美しさだろう?」
「ええ、本当に」
「願いを言ってみるかね?君たちの願いを、星々が神々に伝えてくれるかもしれないよ」
 その言葉を聞いて、早速リンシャは大岩の縁に立った。
「神様ー!私は神官になります!どうしたらいいか、私になにができるかもわからないけど、今やれることをがんばりますね!見ていてください!」
「なにそれ・・・」
「おやおや・・・」
 願い事というより、宣言だ。アルトゥムと男は思わず吹き出してしまう。
「素直に神官にしてくださいって願えばいいのに」
「願うだけでなれるなら、私はもうとっくに神官になってますよ、お嬢様。私は、私の本気を神様に見せたんです」
 えへん、と胸を張るリンシャを、アルトゥムは、呆れとも感嘆ともつかない思いで見つめた。もう胸はざわつかない。むしろ痛快だった。
「夢のためにいろいろやるのも、楽しいですもん。こうやって聖域に来たりとか!」
 リンシャは心から楽しそうに笑っている。アルトゥムはそれを見て、本当にこの子にはかなわない、と思った。
「で、お嬢さんは何を願うのかな?」
 男がアルトゥムにそう尋ねたが、彼女は笑いながらこう答えた。
「いいえ、今はまだ。自分の夢が見つかったら、その時に改めてここに来ます」
 その笑顔は、先ほどとは違う、晴れやかなものだった。


 人知れず聖域で出会った三人は、やがて、最高位の神官長と、二人の神官見習いとして、聖地で再会することになる。それは神のみぞ知る、数年先の未来のことである。


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