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山の畑に行きました。

三重県の杉・ヒノキの産地を訪れました。
(実は行ったのは1年前ですが、やっとnoteに投稿します💦)

埼玉県狭山市にある加藤木材さんプロデュースで、三重県美杉の三浦林商さんと、尾鷲の畦地製材所さんを訪れました。
畦地さんは2年ぶりの再訪です。

林業は、産地からは消費者が、消費者からは産地が見えません。都会にいては川上から川下までの「全体」を見渡せません。

杉の床をいっしょに敷くと、目の前に喜ぶ人がいてやりがいを感じますが、敷く材がどうやってここにあるのか、川上の営みを知り、「全体」を自分に内在したかったのです。

・・・というのは後づけの理由で、とにかく、いかなきゃ!と思いました。。

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 三浦林商の三浦さんは、山と、木と、獣害と、何もかもに向き合っていました。

 木を伐り、植林地を管理するだけでなく、製材・加工もして、使う人に直接販売もしています。

さらには林業だけでなく、田んぼも、お茶の栽培もやり、猟犬を飼って山と里を獣害から守っています。

なんでもやっています。

驚愕です。 


昔は林業と農業を両方やるのは珍しくなかったそうです。

木は、土と太陽と水が育てていますが、自然はすごいが人の営みもすごい、と、思いました。自然の営みを理解し、尊重し、己の本能を頼りに生きています。

三浦さんが間伐する木を選ぶとき、木が、これはあなたじゃなく、次の世代が伐るんだよ、と、教えてくれるそうです。

人間は自然とつながって本能が開き、知恵が宿るんですね。

三浦さんが飼っている猟犬キュータも然りです。

彼は生後6ヶ月でシカを仕留め、ずっと山をパトロールして、森、田んぼ、茶畑などを獣害から守っています。サルを7匹一度に仕留めたこともあるそうです。

本能を開放し、自分の能力をフルに使い、生を全うしています。

三浦さんもキュータも、なんと過酷で、なんと幸せな人生だろう。

彼らの姿をみると、都会でラクに生き、知恵を失い、何もできなくなっていることを思い知らされます。

三浦さんは、人間の可能性を示してくれていて、キュータは、犬の可能性を示してくれています。

私は、川下にいて、自分で杉の床を敷くサポートしています。

自分で敷くことで、まちに居ながら巣づくりの本能が刺激され、杉(自然)とつながることができて、三浦さんや畦地さんたちに還元できる・・

もちろん、そういう意味づけはぜんぶ後付けです。

三浦さんとキュータに会えて、今は根っこの先っぼでかろうじてつながったばかりですが、それでもじわじわとすごい力をもらっています。

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美杉では、斜面の木を伐り散らかして、土砂崩れしそうな植林地をいくつも見かけました。 

三浦さんのように「伐らずに必要な分だけいただく」やり方もあれば、「一度に一定量を伐りだす」やり方もあって、それぞれ目的が違うので、間伐か皆伐かで、良し悪しを言えないのはわかります。

とはいえ、山に身を置かない人が図面で「ここからここまで」と決めて伐り散らかすのは、山のいのちを無視していると感じざるをえません。

尾鷲では、畦地さんの製材所を訪れてから、市が管理するヒノキの植林地を見学しました。尾鷲はなんと9割が林産地で、海からたった7kmで標高1000mに達します。急峻な斜面にヒノキと杉が広がっています。

 市の担当者さん(すごくいい人!)が、山をどう活用するか説明してくれました。

三浦さんは、次にどの木を伐り、400年以上伐らない木はどれかなどを自分で見極めていましたが、市が管理する森は、尾鷲に住む人たちや、開発にお金を出してくれる企業などの要求にも応えないといけなくて、「したいこと」より「正しいこと」に寄ってしまうように感じました。

でも、見学を終えて皆で感想をシェアしたときに、畦地さんが、自分が感じたとおりやる、と力強く言ってくれました。

さすが畦地さん! 

さまざまな林業の形があって、その良し悪しは見方や価値観で変わりますが、私は、三浦さんや畦地さんのように森と対話して決める人に惹かれます。

川上とも、川下とも、つながれる人とはつながれる。

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ところで、、三浦さんが言ったことで、一生忘れない言葉があります。

「よく、次の世代のために、と、言われるけど、私は自分のためにしかやっていない。次の世代も自分だから。」

 つまり、自分は生まれ変わってまたこのお役目をやるのだとわかっていて、今やることは、次の世代の自分ためだと言うのです。

三浦さんの確信に満ちた静かな口調から、それが真実じゃないとはとても思えなくて、ドキドキしています。

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