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役に立たないものが好き

自宅の本棚を眺めていると、最近読まないけどかつて好きだった本や、友だちと感想を語り合った本や、本そのものが様々な思い出を持っていることに驚きます。中には何処で買ったのか、何故そこにあるのかとても不明な本があったりするのも面白いです。

そういえば私の本棚には自己啓発本やハウツー本がないなあ、と思いました。
本屋さんで手に取ることもあんまりないかも。

ハウツー本がないのは、たぶんグーグル先生に替わってしまったからだと思うんですよね。

自己啓発的な本に惹かれないのは何故なのかな。

自分の頑なな性格のせいで他人のアドバイスに反発しがち、というのはありそうだけど、それだけじゃない気がします。

「役に立つ感」が溢れてること。かも。

これを読んだら役に立つ、とあからさまにわかる文章を読むことへの抵抗感。
正体不明の屈辱感。

私、面倒くさいやつなんです。笑

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たまたまnoteのおすすめに出てきた記事を眺めていたら「他人の日常や雑感に興味がある人なんか殆どいないのだから、役に立つ記事を書こう」的な内容のもので、ショックを受けてしまいました。

私はいつも、誰かの何気ない日常や雑感を探しているのに。

noteには役に立つ系の記事がとても多くて、もちろんそれが不用だとは思わないけど、そういったものは心を豊かにするものとは違う。

いつの時代も、人の心を豊かにしてくれるのは、役に立たないものでした。

意図のあるなしに関わらず、世の中の情報には書き手以外の誰かの得になるものが氾濫しています。

誰かの利益のために、他者を誘導するもの。

役に立つ情報を読むとき、私はひねくれてるので、これって誰得?って常に警戒しているんです。

役に立つ情報でない記事には、そういう要素が含まれないので、見つけたときには嬉しくなります。リラックスして楽しみます。

その人のみる風景。
その人の日常の小さな出来事。
ひとつの出来事に対する、その人の意見。
その人の思い出。
その人の世界を見せてくれる小説。

それぞれ、私の人生の中にはないものだから、全てが尊いのです。

あ。あと私は政治的な発言は嫌いではないのです。むしろ、「政治的な発言はやめよう」という意見の方が誘導を感じます。権力に近い人の言論封殺の手口ですよね。

話が少々逸れましたが、「役に立つものが好きな人ばかりではない」ということを訴えてみたい!と思ってこの記事を書きました。

そういえば私の記事も何の役に立たないものばかりですが、その言い訳ではないです。

万が一誰かにディスられても構わないんです。

私は役に立たないものを愛しています。

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