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世の中は片想いで溢れている

半世紀も生きていると、いわゆる恋愛の片想いとは縁遠くなってしまうものですが、それでも人間関係の中で片想いを感じることが多々あります。

例えば、誕生日メッセージは自分がそれほど親しいと思ってなかった友人から届きがちとか。
いつも自分から年賀状を送った人からは年賀状が来なくて、送らなかった人から届く、とか。(最近はくれた人に返す方式に変えたけど。)

娘のクラスでは同性の友人同士の人間関係での揉め事がよく起きるそうですが、お互い気が合わなくて喧嘩して、というのではなく、誰かを好きすぎる人が、相手に想いをぶつけ過ぎて嫌われてしまうことの方が多いのだそうです。

そもそもの原因がキライじゃなくてスキだということは、なんて悲しいんだろうと思いましたが、男女の関係でも珍しいことではなくて、向けられた愛情に応えられない時に、人はしばしば相手を拒絶してしまうのです。

そういえば片想いしていた相手のことはしょっちゅう思い出すのに、自分に片想いしてくれた人のことは殆ど思い出しません。
そして私もまた片想いの相手に忘れられているのだと思います。

本当に世の中が片想いで溢れていて、切なくなってしまいますよね。

そもそも完全なる両想いなんて幻想だという気もしてきました。

夫婦間でも、日によって、タイミングによって、相手に対する温度差があるような気がします。

一方が会話を楽しみたいのに、どちらかはソロ活動したい気分だったり。ウチの夫婦は活動のテンションがそもそも違うし。

友人であろうと、異性間であろうと、きっと世の中の大半は片想いなのかもしれません。

うまい具合に、友人として恋人として行動を共にしている場合でも、どちらかが、またはお互いに譲歩し合って成立していることがあるのだと思います。

けれども、私はそれほど悲観的なことではないと思っています。

世の中の大半が片想いなら、これはもうお互いさまだと諦めが付くというか。
いちいち傷つかなくていいんだと開き直れる気がします。

両想いに巡り逢えたら、それはもう、とんでもない奇跡なんだと思って、大切にできるのではないでしょうか。

何より人を想うことができるのは、想われることの何倍も幸せなことだから、相手の気持ちを尊重して、想いを押し付けたりするのでなければ、好きになるのは素敵なことだと思うのです。

片想いなんかにめげずにどんどん人を好きになってゆきましょう。

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