見出し画像

遠い過去に苦手だった人と逢ってみること

何だか今年は、会うのが何十年ぶりという友人達と会う機会が妙に沢山あります。
人生半世紀の節目の年だからか、同窓会の企画も多いです。半世紀も生きると、みんな急に人恋しくなるのでしょうか。

先日会ったのは大学時代の同期です。
首都圏を離れてしまった私は同期会などにもあまり顔を出せずにいて、たまたまこちらに仕事で来る用事があった彼に、別の友人達から私の様子を見てくるようにという指令が下ったのだそう。

学生時代の彼には色々disられた記憶しかありません。何でも率直に言う毒舌くん。専攻がそのまま職業になった彼に対して、卒業して全く別の道を選んだ私は引け目みたいなものも感じていて、何となく苦手な人という過去の印象が払拭できないまま、でも他の友人の近況も気になるので会ったんです。

色んな話をしました。
首都圏にいる他の友人の近況を教えてくれたり、彼がその道を歩む上で苦労したこと、どんな風に割り切って生きてきたか、など。私も道を離れたあと別のアプローチでその世界との繋がりを持っていて、その視点からの話を。

あれ。不思議だな、と思いました。
もちろん意見が異なることがあったりするんですが、昔みたいな反発は少しも感じなかったんです。

彼が変わったのか、それとも私が変わったのか。または両方なのかな。

彼が私と全く違う意見で何か話していても、私は少しも不安になったりせずに、その意見を尊重して聞くことができている。
彼もまた異なる私の考えを毒舌で切り捨てたりせずに聞いてくれている。

そして「じゃあまたね」と別れた後、彼は私の中で、「やや苦手な人」から「普通にいい人」に昇格していたのでした。

この歳になって、人との関係が改善する、なんてことが起こるとは、考えてもみませんでした。

何か啓発本を読んだわけでもなく、そもそも関係改善も特に望んでたわけでもなく、大きな事件が起こったわけでもなく、そこに存在したのはお互いが生きてきた長い時間だけです。

人と人との関係も、お酒みたいに長い時間をかけて発酵して熟成するとまろやかになるのかもしれません。

この経験は、苦手な人を常に遠ざけてきた私の考え方を少し変えました。

人が歳をとって会うべきなのは、既に仲が良い人よりも、遠い過去に苦手だった人なのかもしれません。

苦手だった人が苦手じゃなくなる、って人生にとって結構素敵なギフトだと思うんです。

理由も忘れたけれど、何だか気まずいままになってるような人がわりといるんですが、もし機会があるなら勇気を出して会ってみたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?