阪急ファイブの思い出(HEPじゃないよ)

大阪の梅田に、70年代から80年代にかけて存在していた
ファッションビル「阪急ファイブ」。

今は「HEP FIVE」という大きなビルに建て替えられて
屋上には観覧車もあります。
HEPができたのは私が大阪を離れてからなので
行ったことはないのですが。

もう覚えている人も少なくなってきたであろう阪急ファイブ。
オープン当時、私は小学生で
テレビCMが頻繁に流れていたのを記憶しています。
締めのフレーズは「はんっきゅう ふぁ~いぶ♪」でした。

私はミナミの文化圏に住んでいたのて
キタにある阪急ファイブに行き始めたのは中学生になってから。
ミナミはのちに「なんばCITY」という巨大ショッピングモールが登場して
ミナミを若者商圏の中心にする立役者となりましたが
それまでは、「キタ>ミナミ」って感じでした。
キタはおしゃれ・洗練されていて、ミナミは泥臭い・もっちゃりしてるってイメージ。
なんせ、なんばCITYがオープンした時のキャッチコピーが
「CITYは南へ移る」でしたからねえ(笑)。

と、当時の文化事情をふまえた上での話。
初めて行った阪急ファイブは、そりゃもうおしゃれなショッピングビルでした。
確か5階建てだったから「ファイブ」という名前だったのかな。
あの頃、あんなおしゃれなビルはなかったですね。
さすが阪急グループ。

何階だったか覚えてないんですけど
時間によって天井の色が変わるフロアがありました。
時報の代わりだったのかな。
鐘の音とともにサアーッと色が変わるの。
きれいでしたねえ。

駸々堂書店という大きい本屋さんが入っていて
ここは結構マニアックな品揃えだったんですよ。
マンガの種類が豊富なことでも有名でした。
今はファッションビルに本屋さんが入ってもすぐ撤退してしまう傾向ですが
ここはよく利用しました。

大月楽器店というレコード屋さんもあって
年末にレコード買うとビートルズのカレンダーがもらえました。
ここでエアロスミスのペンダントももらいましたね。
まさかエアロスミスが時代を超えたビッグバンドになるとは予想だにしなかったです。

そして原宿発祥のレディスブランド「CABIN」。
この頃、CABINのキャラクター「アンディ」がプリントされたTシャツが全国で大流行。
大阪ではCABINの店は阪急ファイブにしかなく
全大阪女子(笑)が集結してました。
私も買いましたねえ。
アンディのシャツ着てるだけで「かわいーっ!」と賞賛された時代でした。

そして80年代になった瞬間
降って湧いたようなDCブランドブーム。
ブーム以前から阪急ファイブの地下2階はDCブランドのフロアでしたが
それまで一部のオサレ人間しか行かなかったフロアが
連日大盛況となりました。
私が覚えているだけで
コム・デ・ギャルソン
BIGI
ニコル
Y's
ピンクハウス
メルローズ
イッセイミヤケ
...........
まだあったと思います。

上の方の階に
「オレンジルーム」という小ホールがあって
劇団や落語などのイベントに使用されてました。
「オレンジルーム寄席」というラジオ番組もありましたよ。

時は流れ
大人になってからのある日
阪急ファイブへ行ったら
なにやら様子がおかしい。
いつもファイブへは地下街から入ってたんですが
中の通路の両壁が
まるで工事現場のように白い布で覆われていました。

壁には貼り紙がしてあり
「ファイブから立ち退きを要求されているが
拒否している店舗だけで営業しています」
との内容が書かれていました。

目当ての店も撤退していたので
そのまま出てきましたが
ショックでしたねえ。
そうなんやー。ファイブなくなるんかー。

初めて来た日のことから
鐘の音とともに色の変わる天井
駸々堂でアメリカの洋楽雑誌を買ったこと
大月楽器でカレンダーもらったこと
ベンチでたまたま隣に座っていた3歳ぐらいの子と遊んだこと
ニコルでド派手なワンピース勧められたこと

いろんな思い出が駆けめぐり
それからファイブに行くことは永遠にありませんでした。

ファイブを出てすぐのところにあった
「キューピット」というロック喫茶。
店頭にテレビモニターが備えてあり
海外ロックミュージシャンのPVを流していました。
いつも入りたいと思いつつ
勇気がなくて結局入らずじまい。
入ってみたかったなあ。

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