「相対」的に見る視点

このnoteは、
softdeviceのみんなでゆるく記事を書く。 Advent Calendar 2018
の記事です。

UX、UIのデザインをする中で、ユーザの視点でものごとを考えようとするとき、しばしば、あらまた会いましたね、となる概念に「絶対・相対」というのがあります。

私たちが何かを選ぶときは「これ」ですませたいし、探しているのは「あれ」だし、「さっきの」に戻りたい。
使う側にとっては、何がどこにあるか、正しい名称は何かなんて知ったこっちゃない。ほしいものがほしいのです。
ユーザがやりたいのは相対指示。

機器が人に寄り添うってどういうこと?を繰り返し考えることは、ユーザの状況は時々で変化することへの実感を深めることでした。

そして、それって実は、「相対」という視点について学ぶことだったかもしれないと、最近思うようになりました。

相対とは、「関係」への視点。
ユーザと機器の関係なら、ユーザの行動の文脈を機器側が配慮するということですが、「相対」という視点を持つと、ものごとの見え方が変わるということ、日常の中にもいろいろあります。

どうルールを守らせるかを考えるより、守れるルールをつくる。
気の利かない家族にイラつくのをやめて、手伝ってと自分から声をかけてみる。
無茶をいうクライアントに振り回されて文句を言うかわりに、違うアプローチを試してみる。

人って、自分の側が変わるのは面倒くさい。無意識に避けたり、文句を言ったりします。
でも、「相対」の視点を持てば、ものごとは動かしやすくなります。

「関係」で考えてみると、変え得るポイントは一つじゃない。そして、どこかが変われば、必然的に全体が変わります。

最近、自分の中でプチブームなのは、身体に「相対」の視点を持ち込むこと。
首が凝ったから首を回す、肩が凝ったから肩を回す、、でもすぐ戻るのよね、、と思いながらふと、動かすのは肩や首ではなくて、肋骨でもいいわけだ、、と思ったのでした。

今まで動くと思っていなかったものを動かすのって、思い通りに行きません。
忍耐もいるし、工夫もいる。でも、動きだしたら変化が大きい。

不器用な体を観察しながら、「相対」視点に思いを巡らすこの頃です。

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