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物事をもんもん・もやもや考える癖

久しぶりのnoteとなりました。
毎日バタバタと変わらずに過ごしており、今月中にすることがあと少しあり…それを今月中にせねば!と思っています。(お待たせしている方々、申し訳ございません。)
ふと、色々と思い出し大切にしていることを改めてnoteに残しておきたいなと思い書いてます。

私自身、医療機関での疑問から地域の保健室を開始したわけですが、この疑問に思う癖というのは子供のころからあり…昔から「物事をもんもん・もやもやと考える癖」というのがあったなと思います。

自立心も強く、自分の意思を伝えることをしっかりとしていたなと。
小学一年生では1人で寝ると言って、真っ暗にしないと寝れなかったので寝ていました。夜になにかをしているというよりは、夕方や土日の昼間にこもって、1人の時間が好きな子供でした。(睡眠時間がしっかりないとすぐに体調を崩す人でしたからね。)しかし、皆で公園にて遊ぶことも大好きな子供でもあり…そのギャップに自分なりに不思議だなぁと思い、私なりになにか葛藤していた時期で特に母親にはかなりぶつかっていました。(ずっと反抗期?)

いろんな環境やいろんなことを疑問に思い「なんでこうなんだろう?」と常に思っていて、一番興味深いものが「人間とはなんだろう」という疑問でした。人間について知りたくて看護の世界に入ろうってあの頃はそう思ったのを今も思い出します。人間はなぜ憎しみあうのだろう?どうして一緒に暮らせないのだろう?裏では思っていないのに表ではそんなことを言うんだろう?大人の背中を見て、そんなことをもんもんともやもやと考えていた時期。

先日、やっちろ保健室をしたときに街中を歩いた際に‥そんなことを思って母親に話した場面を思い出し、胸が切ない、なんだかキリキリした感じになりました。

その場その場で折り合いをつけながら、うまくいかなくて当たり前なんだな~とゆるく考えて「今を大切に生きよう」と思えて、このもんもんともやもや考えるのは癖で一つパターン化しているのだなと思うまでには、他者の目線や言葉が必要でした。

それから、自分の大切にしていることや思いとかを本を読んだり、SNS発信を見ながら書きながら、日記やノートとかにまとめながら…
自分の話し方を録音したりとしながら。
自分の思考癖を客観的にみれるように訓練をしています。

あの頃の、子供時代はやはりパワーやエネルギーに満ち溢れていて、、親も大変だっただろうなと思い返します。(笑)自分自身が親になって、その大変さがしっかりとわかるようになってきました。

そして親が病気になって思ったことは「自分を大切にできねば、家族を大切にできない」「家族をまずは大切に、向き合っていかなければ他人は大切にできない」ということです。

1つ1つのつながりを作っていくためには、まずは身近なつながりから大切にしたいなと、そして基礎を大切にしたいなと思って日々を過ごしています。

人間とはなにか、看護とはなにか‥
それを引き続き追及していきたいです。

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