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~ 《悲愴》 を 密かに愛した少年 ~ベートーヴェン ピアノソナタ 第8番


 素晴らしい音楽に出会った時の喜びや感動は計り知れず、人の人生を決定づけてしまうことすらも。

 今から 200年以上も前のこと。
 イサークという名の少年が、プラハの音楽学校の図書室で、ベートーヴェン(1770~1827)の《悲愴》の楽譜を発見する。

 この曲が世に出た当時は、こんな噂がヨーロッパ中に広まっていた。
「ウィーンに現れた若き作曲家が、誰にも弾けず、理解すらできない、全ての規則に反した曲を書いているらしい。
 その名をベートーヴェン、というそうだ」

 全ての規則に反した曲など、トンデモない! ということで、イサークの学校では、ベートーヴェンの音楽は禁止されていたのだが、少年は《悲愴》に心底惚れ込み、密かに写譜して練習に励む。
 かつてモーツァルトが夢中で J.S.バッハの作品を写譜したように。

 イサーク少年の持って生まれた才能を案じた教師らが、いわゆる「健全な音楽」とされるバッハやモーツァルト、クレメンティを躍起になって勧めても、彼のベートーヴェン熱は冷めやらず。

 後年、彼は振り返っている。
「その新しい作風に、完全に魅了されてしまった。これまでのどんな作曲家からも得られなかった喜びや慰めが、そこにはあったのです」

 その後、イサークは父親を亡くしたことがきっかけで、14才でウィーンへ移住する。念願のベートーヴェンの元も来訪し、新作オペラ《フィデリオ》のピアノ譜の作成を一任されるほどの信頼を得る。既に自作のピアノ協奏曲の初演を果たしていたイサークの才能を、ベートーヴェンは高く評価していたのだ。

 少年はファーストネームをチェコ語のイサークから、ドイツ語の響きを持つイグナーツに改め、やがてはヨーロッパを股にかけて活躍する作曲家にして、偉大なピアニストとなってゆく。

 イグナーツ・モシェレス(1794~1870)。

 同じ時代に活躍した作曲家の伝記などに、何らかの形で、必ずといってよいほど、その名が登場する、当時の音楽界における重要人物であった。奥方はハイネの従姉妹シャルロッテで、彼の日記を編纂している。

 今でこそ、モシェレスの作品は、練習曲以外はさほど知られていないが、愛してやまなかったベートーヴェンの音楽を、ピアノで、あるいはオーケストラを指揮して、生涯に渡って紹介し続けた。ベートーヴェンの時代から、続くロマン派世代への橋渡しの役割を担い、ヨーロッパの楽壇に多大なる貢献を果たしていった。

 そのうちの1人、例えばシューマンは9才の時、父親に連れられてモシェレスのリサイタルを聴いて、語り尽くせないほどの感銘を受けている。それは大変な刺激となり、音楽家になる為にいっそうの勉学と研鑽に励むこととなる。

 後年、当のモシェレスからチェロソナタを献呈されたシューマンは、感謝の手紙の中で、このように述べている。
「30年以上も前のカールスバートでの演奏会のプログラムを、わたしは今でも大切な宝物として持ち続けています。当時は、それほどの大家からこうした栄誉を受ける日が来ようなどとは、まさか夢にも思いませんでした」

 ちなみに、シューマンがその演奏会でモシェレスのピアノを聞いて打ちのめされ、ヴィルトゥオーゾピアニストへの道を断念したという説がよく見られるが、それは誤りであろう。
 モシェレス作〈アレクサンダー変奏曲〉Op.32は、ピアニストを目指していた頃のシューマンの、得意なレパートリーでもあった(シューマンのミドルネームがアレクサンダーということも、格別のお気に入りとなるきっかけであったかも知れない)。

 モシェレスは病で弱りゆく晩年のベートーヴェンを経済的に支援すべく、ロンドンのフィルハーモニー協会に対し、緊急の資金援助の交渉を進めていた。ベートーヴェンは、この協会の為に第10番の交響曲を作曲する意向を示していたが、ほどなくして亡くなってしまい、実現には至らなかった。
 そうした経緯もあり、ベートーヴェンが亡くなる8日前に出した人生最期の手紙は、モシェレスに宛てたものとなる。

 音楽学校の図書室で、《悲愴》の楽譜をこっそり写しとっていた少年の頃には、その作曲家本人や彼の作品と、生涯に渡り深く関わることになろうとは、知る由もなかったろう。


~ モシェレス少年が魅了された《悲愴》について~

《悲愴》というタイトルは、ベートーヴェンが自身の心の叫びを表明したもの。数多い彼のピアノソナタ中、他に自らが名付けた曲としては──それをタイトルといえるのであれば──、ベートーヴェンのパトロンで、ピアノと作曲の弟子であったルドルフ大公に、尊敬と愛情を込めて贈った《告別》のみである。

ピアノソナタ 第8番 Op.13《悲愴》

第1楽章 ハ短調
《悲愴》の名のとおり、冒頭の深刻な和音に始まり重々しく進む序盤は、剥き出しの強く激しい感情と、内なる深刻な思いが交差する。
 長い下降音階から一転し、音楽は緊張感を保ちつつ急速な動きを展開してゆく。
 そんな中に現れる、長調による期待に満ちた上昇と、頂点からの華麗な下降音型は、闇の中だからこそひときわ耀く、一瞬の煌めきのよう。

第2楽章 変イ長調
 言わずと知れた、そのあまりに美しい旋律は、万人に愛され続ける永遠のテーマといえよう。

第3楽章 ハ短調
 第1楽章に関連する主題が哀愁をまとい、再び急速な緊張感が展開される。対位法を駆使した崇高な第3主題など、ベートーヴェンらしい毅然たる決意といった精神が、力強さを伴いながら打ち出されていく。


「音楽は人の内なる精神から炎を発するべき。美しいものにする為なら、破り得ない規則などないはずだ」

 このように明言するベートーヴェンにとって、初期の集大成に位置する《悲愴》は、その後の作曲家人生における方向性を決定づけ、今日では彼のピアノ曲を代表する作品として広く親しまれている。  



      小冊子「名曲にまつわる愛の物語」より


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