ショート動画における「〜していく」の多用について
クリエイターのYukaさんがBlueskyで「最近ショート動画で“〜していく”という表現が多いのが気になる」という話をしていました。
このことについて言語学的な観点から少し考えてみたいと思います。
前提:「〜していく」は動作の継続を表す
前提として、日本語の「〜していく」は通常、時間的な幅がある動作の継続を示します。
そして動詞には時間的な幅を持ちうる継続動詞(歩く、食べる…)と、動作が瞬時に完了する瞬間動詞(爆発する、立ち止まる…)があり、「〜していく」は基本的に継続動詞と共起します。
例えば、次の文を見てみましょう。
「読む」や「書く」は一定時間続けることができる継続動詞なので、問題なく「〜していく」をつけることができます。
では、次の文はどうでしょうか。
…
この場合、「爆破する」は瞬間動詞なので、最初は少し違和感があると思います。
そしてどうにか意味を取ろうとした結果、「木箱がたくさんあって、それを次々に爆破していった」という解釈をした人もいるかもしれません。
木箱が1個だけならば「爆破」は瞬時に終わるので、「〜していった」とは言えないはず。なのに「爆破していった」ということは、たくさんある木箱を次々に爆破することで、爆破という動作に時間的な幅が生まれたと解釈するしかない…というわけです。
このように「〜していく」には動作がしばらく継続することを示す役割があり、ある程度の時間動作が続く場合でないと使いづらいです。
ショート動画における「〜していく」の特殊性
「〜していく」がショート動画に多いという話に戻ります。
Yukaさんは「材料を入れていく」「混ぜていく」などの表現が、特にinstructionalなショート動画でよく使われているという指摘もしていました。
私はこれまで気づいていませんでしたが、言われてみれば確かにそんな気もします。
Yukaさんが感じた違和感は「“〜していく”は本来継続を示す表現なのに、大して継続しない動作に対しても多用されている」ということが原因なのかもしれません。
「混ぜる」はある程度時間的な幅を持つ継続動詞っぽいので「混ぜていく」という表現自体は問題ないものの、ショート動画ならば何分も混ぜる動作が続くことはあまりないでしょう。
「入れていく」はおそらくさらに違和感が大きいと思います。「入れる」が瞬間動詞かどうかは議論の余地がありそうですが、「混ぜる」など一般的な継続動詞に比べると短い時間で完了する動作であり、瞬間動詞に近い性質を持っていそうです。それなのに継続を表す「〜していく」をつけられると、「すぐに終わる動作なのになぜ?」と感じるのかもしれません。
ここで実際の例を見てみましょう。
こちらのおいしそうなチャーハンはたまたま見つけたショート動画です。
ちょっと聞き取りづらい部分もありますが、「卵を入れていきます」「ご飯を入れていきます」「パラパラにしていきます」と言っているように聞こえます。特に気になる例というわけではなく、こういう言い方は最近よく聞くと思います。
なぜ「卵を入れます」「ご飯を入れます」「パラパラにします」ではないのか?
「〜していく」を使うことで、これらとどのような違いが出るのか?
おそらくショート動画の特性上、区切りを感じさせずスムーズに最後まで視聴してほしいという意図から生まれた工夫なのではないかと思います。
「卵を入れます」「ご飯を入れます」「パラパラにします」と言われた場合、一つひとつの動作が完了した感じがして、その都度区切りが生まれてしまう。
しかし動画の作り手としては、切れ目なく流れるように最後まで動画を視聴してほしい。
そこで継続を示す「〜していく」を使うことで、「動作の完了」感を出さないようにしている。
こんな感じじゃないかなと思いました。
そしてそういう用例が増えた結果、動画クリエイターにとってInstructionalな動画における型のようになったのかもしれません。
こういう言い方は動画ではよく耳にするようになったので多くの日本に住む日本人にとってそれほど違和感がないと思います。しかしそこらへんの70代のおじいちゃんが「卵を入れていきます」って言ってたらちょっと変な感じがするので、やっぱりまだ動画特有の、最近出てきた言い方という感じがしますがどうでしょうか。
ちなみにこのような動作の開始・終了(完了)などに関わることは言語学では「相(アスペクト)」といって、1冊本が書けるくらいすごく奥が深いトピックです。
面白い題材をいただきありがとうございました!
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