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~『まるちペインター』なんばゆきの誕生秘話~

今日は私についてご紹介します!すでに知ってるよ~!という方も『え!そうだったの?』てきな発見があると思うよ!

では・・・さっそくいってみよう!笑

家庭では主婦、表では『まるちペインター』
1988年生まれのお肉大好きな29歳!なんばゆき(ツイッターアカウント@Yuki25Nanba)です。


『まるちペインター』とは…

聞いたことがない方もいると思うんですけど、絵を描いている人というと…イラストレーターとかデザイナーとか日本画家とか洋画家とかってジャンル分けされていますよね。

私は元々、大学時代は日本画をやっていました。
しかし、「日本画家」って名乗ると「日本画(だけ)描くんだね?」っていうイメージになってしまうんです…。

私は日本画も描くしイラストも描くし、デザインもやったりするし、人物画だったり風景画だったりジャンル問わずいろんな絵を描いているし、そして描きつづけたいので、「マルチタスクな絵描き=まるちペインター」として活動をしています。

ごく一部ですが制作した作品のご紹介・・・

最近は、ジャグアタトゥーを始めました!

ではここからは、自己紹介も兼ねて、私のこれまでの人生ストーリーと、これから実現していきたい夢・目標をみなさんに理解していただければと思い、この記事を書くことにしました。少し長いかもしれませんがお付き合いください。よろしくおねがいします。


①私が絵を描くようになったきっかけ

今でこそ変顔をしたりハイテンションな私ですが、小学校4年生からはクラスで馴染めず一人で過ごしていました。
勉強も苦手で…特に算数とか全然頭に入りません。

そこで、「一人でも楽しく過ごせないかなぁ」と思いながら絵を描き始めました。
その当時の私の価値観は、「絵を描く人=漫画家」ということで、漠然と「漫画家になりたいな」と思っていました。

家で、少女漫画の『ちゃお』とか『りぼん』の漫画のキャラを印刷用の紙に写したりして描いていました。この頃は描いた絵を見られるのが恥ずかしくて・・・。「もし見られたらどう思われるんだろう…」って思っていました。でも絵を描くことで、「一人でもいても楽しい!」と思うことができるようになっていました。

【関連エピソードnote記事】
→【描く=呼吸】絵を描き始めたキッカケ

当時小学高学年~中学生のころ、母親は父親よりかは、絵を描くことに対して理解してくれていました。父親はとにかく頭ごなしに「”落書き"してないで、そんなヒマがあるなら勉強しろ」という言い方ばかりでした。

高校受験が近づくにつれ、絵を描いていたら父からこういう言葉ばかり言われるようになっていきました。(このころは家庭事情で大変な時期でもあったため、娘のことを理解する・考えるというよりもストレスをぶつけられている感じがありました。)
また、父も周りの先生たちも「絵や音楽みたいな”娯楽"と呼ばれているもので生計を立てようとするのはダメだ」という潜在的な意識があったのかもしれません。

仕事=苦しい・つらいとか、我慢したからすごいんだとか・・・、「とにかく我慢比べ、我慢した方が勝ち、正しい」みたいな風潮だった…。

でも、本当はみんな、「やりたくてもやれない」っていう感情に支配されていたんじゃないかと、今となっては思います。


②絵(業界)のルールや壁にぶちあたる

高校受験では工業高校に入り、グラフィックアーツ科に進学しました。美大生を目指している私に父は「絵で生活していけるのか」とバカにしていましたが、私は絵の道で生きていくことを諦められなくて、美大進学のために夏休みにバイトを詰め込んで手にしたバイト代で画塾に通う日々を送っていました。(高校2年生の夏講習~画塾に通い始めた)

その私の姿を見て、父親は「やりたいようにやれば」という風に変わっていきました。

小学生の頃は、ただただ絵を描くのが好きで、構図も特に考えずに自由に描いていました。絵の勉強をしてからは、いろいろ知識を得るのはすごくいいことだけど、その反面窮屈になっていました。

というのも、石膏像画だったり、人物画だったり、受験する芸大によっていろんな課題や傾向があったのです。(純粋に好きに描いていても受からないんです・・・。)テクニックがありすぎても、美大の先生に見抜かれます。「このテクニックは◯◯塾だ」と。

この頃は、人を描くのが苦手すぎて、「ウエッ」となるくらい…。
モデルさんが10分ポーズをとってくれるのでみんなでデッサンするんですが、モデルさんも見たくないと思ったくらい嫌でした。笑

人物着彩(アクリルとかで色付けする人物画)はもっと嫌でした。笑

そして嫌になった原因となった画塾講師の言葉がこれです。

「お前の色は汚えな、お前が育ってきた環境が悪いんだね」

指導のつもりだったのかもしれませんが、私はこのことを今でも忘れられません。笑


③芸大受験を乗り越え、京都精華大学日本画コースに進学

大学の時は、私だけでなく周囲も、「構図はこれがいい」「これなら先生から評価される」という一定の物差しを基準に描いていました

色んな教授の意見を受け入れていたら、自分の描きたい作品が描けなくなっていました。このことでいっとき日本画が嫌いになりかけていて、描くことすらも嫌になっていました。この感覚・経験があったから、のちにまるちペインターとしての価値観が生まれたのかもしれません。


④「人生で見つけた一番大切な人」との出会い

就職難で就職活動に失敗…。
美大の大学院に進学するも1年で中退…。

家では絵を描いていましたが、クリーニング屋さんでアルバイトを始めたり、週に一回の演技研究所で芝居を学んだり…何事にも中途半端な自分にイラついていた時期でもありました。

クリーニング屋さんでバイトをしている時、ある日、基本ひとり体制だったため、忙しくて両替にいけなくて困っていました。そこへあるメガネをかけた男性のお客さんがやってきたのです。事情を話すと、数分後にお札と小銭を持ってきてくれました。(この時はただ『優しいメガネのお兄さん』という印象で、同一人物とは思っていなかったです。笑)

また別の日に、点検していたときに、ふと『難波』という名字が気になり、「私の大好きな漫画の人物の名前と同じだぁ~!難波って名前実在してるんだぁ~!」って一人で興奮していました。(『花ざかりの君たちへ』に出てくる難波先輩のことですw)

さらにまた別の日に、そして決定的となった出来事が起こりました。

私が代金をミスしてもらい忘れていたのに、電話してお詫びしたらすぐに駆け付けてくれて、支払ってくれた上に差し入れを買って「暑い中おつかれさまです」と笑顔でねぎらいの言葉をかけてくれました。(ズキュー――ンときましたwのちにメガネのお兄さんと同一人物だと知った)

まるで少女漫画!
彼を『難波さん』と認識するようになってから、数週間で急展開!彼のきらきらした笑顔と優しい人間性に私は惹かれ交際することになり、それから2013年9月に入籍しました。
付き合い始めたころは彼が39歳で(30歳に見えるくらい若い)、私が24歳になる歳で、15歳差。年齢差婚だけど、全く年齢差を感じない日々を送っています。

以上、私が結婚することになる最愛の旦那さんとの馴れ初めでした。笑

【関連エピソード記事】
→心と国籍の不一致に悩まされた過去、そして今の”わたし"(note)

→不妊に悩む私に夫がかけてくれた言葉と私の本心(note)



⑤『まるちペインター なんばゆき』として復活!

2015年9月から夫の仕事の転勤で、福岡県北九州市で2年間過ごしました。アパレル販売員をしていたのですが、2016年11月に辞め、大学時代以来に本格的に絵の制作活動を再開しました。
旦那さんがありのままの私を受け入れてくれていたおかげで「枠にとらわれなくてもいいや!日本画家とか一つに絞らずマルチにいろんな絵を描いていきたい!」と思い、『まるちペインター』というオリジナルの肩書を作り、活動を開始しました。

【関連エピソード記事】
→私が『まるちペインター』と名乗る3つの理由。(note)

この頃は、カフェや門司赤煉瓦プレイスにある麦酒館(1階は展示スペース)などで1年に2、3回個展をしていました。


⑥2017年11月からは名古屋を拠点に活動

昨年11月に北九州から名古屋に戻り、名古屋で初めて『まるちペインター』として活動をするようになりました。

戻ってきて最初は、名古屋でのつながりがほとんどなくて不安な気持ちがあったけど、スナックキャンディ名古屋のママたち(たかや・ワカちゃん)、おっくーを通して、数年放置してたツイッターをちゃんと始めるようになってからは、プロテイン前田、康陽さん、うおしーらん、わいざん、しなやん、ナスケン、あやちゃん、みやゆう、だーーーーっと(全員書くの大変なくらいw)たくさんの方と交流する機会が増え、たくさんの出会いが名古屋で生まれ、三重や京都、大阪へとつながっていきました。(ツイッターは2年放置していて、フォロワー100人未満からありがたいことに発信して交流してからは、今は800人到達目前です)

みんなに巡り合えたことがすごく原動力になったし、新しいいろんな価値観を知ることもできました。もう感謝で胸いっぱいです。

【関連エピソード記事】
→絵を描いている時に考えること・思うこと(note)


最後までこの記事をみてくれたあなたへ


最後まで読んでいただきありがとうございました。

私はこれまでいろいろありましたが、やりたいことを反対されても、結局は自分の考え方やものの捉え方で変えられると思うんです。どんな未来になろうとどんな結果になろうと反対されようと、本気で変わろうって心底思っているのならば、変われます。そうやって変わろうと思う気持ちが行動になり、次に行動することで出会う人たちや環境が変化していきます。その変化(きっかけ)を受け入れることで自分自身も成長し変わっていきます。

本当にやりたいことを続けてもらえたら嬉しいです。

私もまるちに幅を広げて挑戦し続けていきます。
エンターテイメントで世界を豊かにしていきましょう!

****クラウドファンディング募集終了まで残り3日>

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