言葉にしない方が良い時もあるかもしれない_

ZIBUNプレゼン:言葉にせずに胸にしまう方が良いかもしれない。でも、それでも僕は言葉を紡ぎたい。

2019/06/17(月)


@石井家のリビングより

ども、心の世界地図のゆうきです!


今日の投稿の内容は以下の通り

・言葉でいうのは簡単だから




・今日のミーティングの感想


あえて今日の月曜定例会後の

感想を書こうと思います。


意思決定に感情を挟まない

というのはまさに今回のこと

だと感じた。


そこには好きも嫌いもない。


感情を挟んだ意思決定では

どうしても決断がぶれてしまい

その後に悪影響を及ぼすかもしれない。


例え共感出来たとしても、

例え応援したくなっても、


YesとNoを分ける軸だけは

どんな要因があろうとも

ぶれさせてはあまり良くない。


あの数十分で一番考えてしまった

のは、どんな人が最も苦しい想い

をしたんだろうかいうこと。


それは意思決定を下す人であり。

それは長い時間共に過ごしてきた人である。


長い時間一緒に過ごしてきたからこそ

感情的になってもおかしくない。


一方で、意思決定を下さならなければ

いけない立場だからこそ、感情を排して

論理的に決めなければならない。


僕個人はそれほどしんどい想いをしなかった。

それほど絡んではいないから。

意思決定を下す立場にいないから。


同じような想いを抱いている人もいるかもしれない。


共感しろと言いたいわけではない。

何が正解かと言いたいわけでもない。

ただ、これだけは心に留めることが大切だと思う。


言葉で「意思決定に感情を挟んではいけない」と

語ることは幾らでも出来るかもしれないが、実際に

行動におこすことは大変だということ。


そして、その行動を起こす時には「覚悟」が必ず

必要になってくるということ。


僕たちはその「覚悟」の一片を見たことを

きちんと胸に刻まなければならない。これが

組織の文化となり育まれている土壌となるはずだから。


上になるということは成長できる機会も

増える一方で、下に成長させれる機会を

与えないといけないということ。


いつまでも価値を受け取る側になっていては

いけない。価値を生み出し与える意識を常に

強く持たなければいけない立場になるということ。


上になるということと

上になり続けるということは

似ているようで大きく違う。




言葉におこしてしまえば

陳腐なものになってしまいそうで

記事におこすか正直迷いもあった。


それでも、例え陳腐に見えたとしても

言葉におこして共有しなければいけない

と直感的に感じた。



これが僕なりの

覚悟に対する

気持ちです。





では、またの。

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