見出し画像

sayonara

教授ロスである。もちろん、年齢的にも病歴としても覚悟しておいて当然のところだったとは言え、何かぽっかりと抉られた気分でいる。

それだけ自分の中に坂本龍一という音楽家の創作物が取り込まれていたという事なんだと思う。

音楽家、というよりも聴覚から取り入れるあらゆる作品の可能性を広げた開拓者と言った方が良いのかもしれない。最も影響を受けた作家だと思う。音楽のみならず、創作には膨大な教養が必要であるという姿勢も、この人の姿からだった。

音楽機械論は難しくて読んでも読んでも読んでも読んでも、ちっとも理解できなかったけれども、悔しくて何度も読んだ。

今日はあらゆるアカウントで思い出を書き散らしてしまった。

携帯電話が世に普及しはじめたあたり。1919の恐ろしくもジワジワ迫ってくる旋律が良かった。途中のバイオリンの弦をバンバン叩く音は本気で怖かった。

The Other Side of Loveは子供の頃に少しかじったきりで投げ出したピアノをまたやってみようと思った曲だった。当時の歌番組で一人だけNYから中継で、ピアノの上にマルボロライトがあって、それが物凄いカッコ良かった。バラエティで一緒にアホな事をやっていたダウンタウンの司会で、こなれた友情みたいなものがチラっと見えながら、一気にシリアスな演奏に入る温度差とか本当にたまらんかった。「教授、、あの、、、合コン好きですよね?」「え、合コン?ああ、好きよ」、、、なんて会話だ。

東北の冬は寒い。A Flower is Not A FlowerはCDプレーヤーで目覚ましがわりにしていた。この曲が終わるまでには布団を出るんだと頑張っていた。窓を開けると雪が積もっていて、寒い寒いと言いながら頑張ってストーブに火をつけていた。今でも灯油の匂いを嗅ぐとこの曲を思い出す。

LOST CHILDの泣き出しそうな旋律は、悲しい時は悲しいままでいいんだよとそっと寄り添って手を握ってくれるような心強さがあった。

Self Portraitは調子を崩して身体が動かなくなったとき、それでも頑張ろうと最後の一押しをくれた曲だった。動かない身体の力を振り絞って再生して這いつくばっていた。壬生義士伝で吉村貫一郎が両の手に刀を持ち突き進んでいく背中が似合う曲だった。戦場に向かう気持ちでこの曲からギリギリの力を分けてもらったと思う。

ノイズギタリスト、クリスチャンフェネスとの合作でアンビエントというジャンルに初めて触れた。音楽と音の狭間。眠れない日々に昂った神経をゆっくりと鎮めてくれたのはこのアルバムだった。今でも聴くと色々と思い出してしまう。

無人島アルバム、SUGIZO先生の1stでも2曲ほど参加しているKANONとLUNAだ。リリカルなアヴァンギャルド、と言っただけで通じ合ったという作品はカセットテープに落として何度も聴いた。見たことのないモノクロのフランス映画が勝手に想像されるような、それだけ人間の感覚を叩くような楽曲だった。

どこからでも身体にスッと取り込まれる等張液みたいな旋律だった。誰にでも取り込まれて心を修復するような旋律だった。

ありがとうございました。

ありがとうございます。頂いたサポートは消滅可能性都市に向けた仕掛けへのレバレッジにします。