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血の滲んだ2023年の果てに

カナダに来てから、私の心は空っぽになったのだと思う。

日本社会の中で拾い集めたり、意思とは別に溜め込まれてきた、さまざまなもの。箱を逆さにひっくり返すように。あれもこれも、読みもしない教科書とメモで散乱した勉強机の上を、一気に床に押し落としてまっさらに戻すように。

綺麗に整理整頓したわけじゃない。
乱暴に、私自身の心も追いつかないまま、「これは捨ててこれは残して」なんて丁寧に分別する間もなく、静寂の中に落とされた。いま私の体内にいる、私に見える私はずいぶん幼くて、5歳の甥っ子と同じくらいの容姿だ。

真ん中に青い光が灯る、あったかいトンネルのような暗がりのなかで、「ねぇ」と声をかけると振り向いて、こちらをじっと見ている。

大人向けの映画を、ほとんど見ない2023年だった。水を得た魚のように、ジブリばかりを見ていた。カナダのNetflixでは、ジブリが解禁されている。

「軽い気持ちであんたにトトロを見せたこと、後悔したわ」と、いつだか母は言っていた。カセットビデオに録画されたトトロを初めて見た日から、3〜4歳の私は狂ったように毎日「トトロを見せろ」と母にせがみ、再生と巻き戻しを繰り返されたテープがボロボロになって、スムーズに映像が映らなくなると癇癪を起こして騒ぎ散らしていたらしい。

仕方がないから『サンホームビデオ』という、実家から一番近いレンタルビデオショップに母が車を走らせ、トトロとラスカルのビデオを入手する。次のテレビ放映(録画できるタイミング)が来るまでそんな日々の繰り返しで、母はもういい加減ノイローゼになりそうでビデオを隠したこともあるそうだ。

人生で最も多く見た映画は『となりのトトロ』。人生で一番好きな映画は『天空の城ラピュタ』というのは、ずっと変わらない。今でもそうだ。

余談だけれど、宮崎駿監督は「うちの子どもが毎日トトロを見てます!」とファンから声をかけられた際に、「あんなものを毎日見せてはいけません」と答えたらしい。監督、もう手遅れです。


異国に住居を移すという挑戦は、想像していたよりもずっと、私の心を自由にしてくれた。最初の数ヶ月は辛いことの方が多くて、そう思える日が来る兆しもなかったけれど。

友達も、家族も、誰もそばにいない。夜の居酒屋で集合したり、カラオケに行って発散したり。今まで私を救ってくれたたくさんの時間が、成立しなくなる。時差の大きさもあって、電話をかけるのも難しかったりする。

そして子どもの頃と同じように、やっぱり私は紙とペンに頼ったし、ずーーっと身近にジブリを置く生活に戻ったのだ。


文化も価値観も言語も全てが違う場所に身を置いて、1年以上。今では心の中も頭の中も、ずいぶんシンプルになった。

誰にどう評価されるかとか、どう比較されるとか、そういう目をすごく気にする性格ではなかったし、繊細でもなかったと思う。けれど今までいた社会から物理的に切り離されることで、ラクになっていく。その感覚を得て、思ったよりも多くのものを気にして生きていたことに気がついた。


私は、人を好きになることが好きだった。

好きになった人たちと仲良くなりたい!と、一方的に、わがままに思う奴だった。そうして近づいていく自分を、「好きだよ」と言ってくれる人たちの優しさと愛にずっと救われて、守られて、彼らが共に生きてくれる自分の人生を愛してきた。

愛があるから幸せを感じられるし、愛があるから頑張ろうと思えるし、愛があるから自分自身を好きだと言える。

大好きだよと心から思う人たちがいて、その人たちも私を大好きだよと言ってくれる。愛をたくさん渡したいと思うし、日々愛を受け取っている。

その温かい循環が毎日の中に存在していることが、プライオリティの最上なのだ。お金より仕事より、それがなければ喜びも喜びとして完成しない。そうでない人も、この世にたくさんいるということを知っている。けれどビートルズが歌う「ALL YOU NEED IS LOVE」はいつも、私にとっての正解だった。


好きなものも、大切なものも、今はもう何の装飾も纏っていない。そのまんまの剥き出しの、岩みたいな、鉱石みたいなゴツゴツした不恰好なままの姿で、私のトンネルに存在している。

他人から見たら過剰だったり気味が悪かったり、不憫に思われることもあるだろう。格好良くないし市場価値で測ればきっと高価でもない。だけどいいんだ。私は、このまんま、本当は大人になりたかった。

大好きな人たちをぎゅっとハグしたまんま、そこにある温もりに溺れたまんま、「幸せだね」と言いながら、その温度だけで完結する、それを豊かだと言える大人になりたかった。欲張りになりたいわけではなかった。


もうずっと遠くに離れていた、ナウシカの歌が聴こえる。流れている。私のトンネルの光が青いのは、それを灯したのがジブリだからだ。

色づく葉の色に気づいて足を止めたり、苦しい孤独のぜんぶを溶かしてくれるような大きな湖の光に泣いたり、愛を得て最強を感じたり。必要なものは多くない。誰に測られることを怯えることもなく、「これが私だよ」と見せられる。

無理やり鎧を剥がされて、体じゅう血の滲んでいた去年の冬。雪の降り積もるバンクーバーで、それでも夜空が綺麗なことに毎日救われていた。頑張らないと「ここに来てよかったんだ」と思えずにいた2023年の果てに、今日がある。

一人で強くなったなんて思っていないけれど、これまでそばにあった全てから離れること、一人で出ていくことを「あの時選べてよかったね」と声をかけてあげられる。

もうそれだけで、充分すぎるくらいだなぁと思うのだ。

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