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ヴィンテージと染工場との出会い/アランニット制作日記 8月前編

 7月はあんなに曇りが続いたのに、8月の東京は猛暑となり、空は嘘みたいに晴れ渡っていた。晴れていても曇っていても、そこにある風景は同じであるはずなのに、陽が射すかどうかで印象は変わる。すべては光の加減で決まっている。

「私はもともと色に興味があったんです」。サンプルとして染めた端切れを手に、ゆきさんが教えてくれた。色というのも、光の加減によるものだ。

「学生の頃、かわいい形のペンを使ってみると、つまんない勉強もちょっと楽しく思えたんです。そういう原体験があったから、自分が作ったもので誰かを少しでも楽しい気持ちにさせたくて、最初は雑貨のデザイナーになりたいと思っていたんです。そこから大学で布を勉強するうちに、衣服にも興味が湧いたんですよね」

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学生時代、まだYUKI FUJISAWAを始める前の作品

 ゆきさんは多摩美術大学生産デザイン学科に進んで、テキスタイルを専攻した。そこで学べることは、「織り」と「染め」と「プリント」に大きく分かれていた。

「美大の受験って、筆記の他に絵を描く試験があるんですけど、私は柄を描くより色味のほうにすごく興味があったんです。プリントを専門にしようとすると、どうしても絵柄を描かなきゃいけないし、織物は糸が絡まり過ぎちゃって、『もうイヤ!』ってなっちゃって。その中で自分に合っていると思えたのが染めで、私にとってはそれが一番自由な表現に思えたんです」

 美大を受験するずっと前から、ゆきさんは染めに興味を抱いていた。家庭科の授業で、板締め絞りを体験する機会があった。板締め絞りとは伝統的な絞り染めの技法で、素材を板で強く挟んで、染料がしみ込まないようにして、板の形に模様を作る技法だ。その模様はプリントとは異なり、どこかもやんとしていて、子供ながらに「面白い!」と思った記憶があるという。

「学生の頃は服の形に興味がなくて、染めることで素材自体が変わっていくことが面白かったんです。真っ白な布を染めると、急に鮮やかな色に変わって、魔法みたいだなと思ったんですよね。そうやってものが変わっていく様子が面白くて、大学生の頃は何でもかんでも染めてました」

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学生時代の作品「オーロラのテキスタイル /2012」

 最初のうちは買ってきた糸や布を染めていた。オーガンジーの生地を染め、キルティングの布を染め、革を染めて――そうして様々な素材を染めているうちに、ふと思い立って、ヴィンテージの古着を染めてみた。染めあがった洋服には、これまでと違う感触があった。

「糸や布を染めるのも面白かったんですけど、それは素材だから、漠然としている感じがあったんです」とゆきさんは振り返る。「服として成立しているものだと、自分の生活にも近い感覚があって、イメージが追いつく気がしたんです。それに、自分が仕立てた洋服じゃなくて、誰かが着ていた古着に対してアプローチするのも面白くて、それでどんどんヴィンテージを染めることに傾倒していったんですよね」

 学生時代は大学のラボで、卒業後は西立川にある産業技術研究センターで布を染めた。そこは中小企業によるものづくりを支援する施設で、ニットの機械や布を染めるためのコンロ、大きな乾燥室まで完備されていた。ニットを車いっぱいに積んで西立川まで出かけていたけれど、2014年からは染工場に依頼するようになる。

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YUKI FUJISAWAの染めをお願いしている、文京区にある内田染工場

「染めるのって、すごく大変な作業なんです」とゆきさん。「染めって言うと皆、色水に浸すところを思い浮かべると思うんですけど、他にも工程がたくさんあるんです。染める前にほつれているところを縫って、精錬という先洗いをして、ようやく染め、また洗って乾かして――それを何十着とやり続けるのは体力的に無理だと思って、工場さんにお願いすることにしたんです」

 当時はまだ大学を卒業して間もなく、縁のある工場もなかった。インターネットで検索して、ヒットした工場にひたすらアプローチをかけた。「まだビジネスマナーもわかってないから、たぶんめちゃくちゃなメールを送ってしまっていたと思います」とゆきさんは振り返る。ほとんどの工場からは返信がなかったけれど、唯一返信をくれたのが内田染工場だった。

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【アランニット制作日記 8月中編】 へ続く

words by 橋本倫史



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