見出し画像

ワークショップとは何か

これは博士論文を書く際に最も苦労した問いのひとつです。

安斎が大学院に進学した2009年頃、よく参照されていた定義は、中野民生先生の著書「ワークショップ―新しい学びと創造の場」(2001年、岩波新書)で紹介されている以下の定義でした。

講義などの一方的な知識伝達のスタイルではなく、参加者が自ら参加・体験して共同で何かを学びあったり創り出したりする学びと創造のスタイルである。(中野 2001)

鍵として挙げられた「参加」「体験」「相互作用」というキーワードとセットで、最も多く引用されたワークショップの定義かもしれません。さらに同書では、アート、まちづくり、社会変革、自然・環境、教育学習、精神世界など各領域のワークショップを、縦軸が「創造する↔︎学ぶ」、横軸が「個人的↔︎社会的」のマトリクスで整理されており、ワークショップの体系的整理に貢献しました。

しかしながら個人的には、ワークショップにおける「創造する」ことと「学ぶ」ことが「対立概念」になっていることに、ずっと違和感を感じておりました。実践感覚的には、創造と学習は切り離せず、むしろ表裏一体の関係にあると考えていたからです。

山内祐平先生と森玲奈さんと共に2013年に出版した共著「ワークショップデザイン論」では、この違和感を乗り越え、新たな定義を示すことがひとつの目標でした。そこで、ワークショップの理論的源流であるジョン・デューイの経験学習「Learning by doing」の考えを現代的にアップデートして、「創造的経験学習」と位置付け、ワークショップの定義をシンプルに「創ることで学ぶ活動」と定義しました。

本書では、ワークショップを「創ることで学ぶ活動」と位置付け、論を進めることにする。創ることを目的とし、学びを付随する結果としてとらえているワークショップと、学ぶことに主眼があり、創ることを方法として採用しているワークショップがあるが、これは重点の置き方の差であり、創ることと学ぶことは後述するように表裏一体の関係にある。(山内・森・安斎 2013)

翌年、2014年に安斎の単著として出版した「協創の場のデザイン―ワークショップで企業と地域が変わる」では、ワークショップデザイン論の定義をそのまま引用しても実践者にとってはわかりにくいと考え、企業と地域の課題解決に活かすことを考慮して、以下のように定義しました。

コラボレーションによってアイデアを創り出す場(安斎 2014)

他方で、さらに翌年に書き上げた安斎の博士論文「創発的コラボレーションを促すワークショップデザイン」では、アカデミックな理論の積み上げと厳密性を考慮して、以下のように定義しました。

参加者同士の双方向的かつ対面のコミュニケーションを通して新たな意味を生成することを意図した短期間のプログラム(安斎 2015)

ミミクリデザインでは、こうした議論の蓄積を踏まえながらも、実践者に対して形式とエッセンスを伝えやすい定義として、以下のように定義し、説明しています。以下、ミミクリのウェブサイトから引用。

ワークショップとは、日常とは異なるものの見方から発想するコラボレーションによる学びと創造の手法であり、100年を超える実践の歴史があります。形式はさまざまですが、一般的には10〜30名程度の参加者が集まり、4〜5名のグループに分かれて議論や対話を深め、手や身体を動かしながら気づきやアイデアを生み出す方法です。トップダウン型の近代的組織を揺さぶりボトムアップ型のイノベーションを起こす手法として、近年注目されています。(ミミクリデザイン 2019)

以上が、現時点の最新版の定義になりますが、しっくりきているようで、まだ何かを落としている気がするし、なかなか難しいです。

そもそもワークショップは、ウィトゲンシュタインの言葉を借りれば「家族的類似」であると考えられます。家族全員に共通した外延的な特徴はないけれど、父と子は似ていて、母と子は似ていて、兄弟も似ていて、母と父も似ている。...といったように、部分的な共通性でつながった集合体になっていることを、家族的類似と言います。ウィトゲンシュタインは著書「哲学探究」において、「ゲーム」の定義の困難さを家族的類似によって説明しました。ワークショップもまさにそうで、アート、デザイン、演劇、まちづくり、社会変革、学校教育、カウンセリングなど、それぞれの領域のある実践とある実践の間にはワークの形式なり道具なり思想なりに部分的な共通性があるが、外延のすべてを捉えようとすると、どこか本質を外したような定義になってしまいます。

ミミクリデザインでは、したがって、上記の定義を前提にしながらも、ワークショップの定義に内在したエッセンスを「非日常性」「民主性」「共同性」「実験性」と4つの構成素で説明し、実践の領域や目的によってそれぞれの比重は異なるが、ワークショップのような形式をとっていたとしても「4つのエッセンスのすべてが消失したら、それはもはやワークショップではない」として、ワークショップのアイデンティティを捉えようとしています。

 ---

ワークショップそのものの解説は、「きちんと言葉で定義しよう」とするたびに頭を悩ませます。それだけワークショップの特徴と意義は立体的であり、どの角度から本質を捉えようとするかによって、説明のされ方が変わってくる。だからこそ、僕はワークショップの研究を続けているのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?