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創造性の土壌を耕すとはどういうことか:イノベーションの源泉となる創造性の3階層

ミミクリデザインの全体合宿@三浦半島が終了しました。3期目に突入し、正社員メンバーもいつの間にか10名を超え、フルタイムでない業務委託メンバーも含めれば30名弱ほどになりました。採用活動にもさらに力を入れ始め、現在進行形で新たな仲間が増え続けているため、改めて理念を問い直し、組織に求心力をもたらすための行動指針の言語化を進めています。

ミミクリデザインでは2周年を機会に「創造性の土壌を耕す|Cultivate the Creativity」という新スローガンに掲げ、これがある種のミッション(使命・企業の存在意義)として機能しています。

ミミクリデザインには解決したい特定の社会課題があって、社会的ビジョンから逆算して経営計画を立てているわけではなく、課題の解決の態度と方法にこだわりを持って”ブリコラージュ”的に価値を生み出すことを好むチームです。そのため、あえて「ここに到達したらゴール」のようなものは定義せず、世の中の課題群の向き合い方や、価値の生み出し方に照準を当てた言葉をスローガンとしています。(メンバーによっては、それぞれこのスローガンを通して創りたい世界を思い描いていたり、解決したい特定の課題意識を持っているメンバーもいます)

とはいえ、「創造性の土壌を耕す」という言葉に込めた背景や意味を紐解いていくと、それによって創り出したい社会の方向性や、「土壌が耕されていない」ことに対する問題意識はたしかに存在します。今回の記事では、「創造性の土壌を耕す」とはどういうことかについて、安斎の今の考えを整理することで、企業や地域のイノベーションプロジェクトや組織デザインにおける課題と解決の視座を整理したいと思います。

"イノベーション"の試行錯誤のなかで、無自覚に失われていく企業の創造性

これまで多くの企業様からイノベーションや、それを支える組織開発や人材育成の相談をいただき、様々なプロジェクトにご一緒させていただきました。ワークショップのような一見すると成果物がわかりにくい曖昧な手法を活用しようとしてくださる時点で、複雑な課題に対して主体的で、変化に前向きなクライアント様が多く、おかげさまで数えきれないほどのチャレンジングで魅力的なプロジェクトに伴走させていただきました。それが自分たちにとっても素晴らしい成長機会となりました。

他方で、初期依頼の段階では、課題がブレイクダウンされていないが故に、とにかく「イノベーションにつながる”良いアイデア”が欲しい」と”直球”のご相談をいただくことも少なくなく、企業の創造的活動の在り方について違和感を覚えることもありました。顕著な時は「自社では良いアイデアがでないので、代わりにそちらのチームでワークショップをやって、有望なアイデアだけを納品してもらえないか?ワークショップは良いアイデアが出るんでしょう?」と言われたこともあります。

状況を考えると、そういうニーズが生まれていることは、当たり前なのかもしれません。情報化とグローバル化により時代変化の速度が高まったことで、とにかくイノベーションの必要性だけが声高に叫ばれ、現場には上からトップダウン的に「新しいアイデアを出せ」という命令が降りてくる。初めのうちは「自分たちの力でなんとかしよう!」「新規事業を立ち上げるチャンスだ!」と奮起し、社内の有志で立ち上がるも、具体的な方法論がわからずプロジェクトが前に進まなかったり、アイデアを社内で起案しても、社内からは「それは本当に売れるのか?」と批判され、合意や具体的な支援が得られなかったりする。

次第にだんだんと弱腰になり、課題に対する主体性は失われていき、「このまま自分たちで考えても、永久に社内で承認されない」という無力感から、次第に「どうすればイノベーションが生みだせるのか?」という問いの答えを、自分たちの「外側」から探そう、と考えたくなってきます。そうしたときに、世界的に支援されている"デザイン思考"の考え方をアイデア発想フレームワーク的に導入したり、社内稟議を突破するために著名なクリエイターやデザインコンサルタントが代わりに考えてくれたアイデアを採用したりしたくなることは、自然な流れなようにも思えます。

ここで誤解いただきたくないのは、私たちはフレームワークやデザインコンサルタントそのものを批判しているわけではありません。創造のための道具や外部の知恵は、能動的にうまく活用しさえすれば、自社の創造性を何倍にも引き上げ、レバレッジを効かせてくれる可能性が十分にあるからです。

しかしながら、課題に対する主体性が奪われた状況において、フレームワーク的手法や外部コンサルタントに依存的に頼ってしまうことは、受動的な姿勢に拍車をかけ、結果として自社の創造性を奪っていくことにつながりかねません。実際に、内発的に湧き上がるモチベーションや、実現したいビジョンが何もないまま、"デザイン思考"のフレームワーク通りに「ユーザーの観察」から着手をしても、正解を外側から探す態度ばかりが助長され、主体的な創造につながるインサイトは得られません。

例えるならば、当初は自分たちの手で「美しい花」や「美味しい野菜」を育てあげ、消費者に届けたいというモチベーションのもとで生産者として事業を立ち上げたはずだったのに、気づけば「良い作物」が欲しいあまりに、腕の良い花屋もしくはスーパーから買い取ろうとしているようなものです。それでは、考え方が「消費者」とあまり変わらないように思います。極端な比喩を使いましたが、「創造的結果を求めるが故に、創造性が奪われていく」というジレンマは、大なり小なりいたる所で起きているように感じます。

創造的活動を自ら生み出すための環境と人材

成果物を他所から買い取ってくる発想は、もしかすると短期的には目先の課題を手っ取り早く解決してくれ、いっときは「凌ぐ」ことができるかもしれません。けれども、その姿勢を維持したままでは、きっとその次も、そのまた次も、また外側から答えを探し続けなければならないでしょう。それでは自分たちで事業をやっている意味がありません。中・長期的には、自らの手で納得のいく作物を生み出し続けられる状態になっていなければ、生産者としての競争優位性は保てません。

そのためには、水はけがよく有機物をよく含んだ「土」を作り直すところからはじめ、土を良い状態に保ちながらも根気強く試行錯誤しながら作物を育てる「作り手」が、やはり必要です。時に失敗を重ねながら、環境を変えてみたり、品種改良を繰り返したりしながら、ようやく「消費者に届けたい」と強く願える、納得した成果物を収穫することができるはずです。

ミミクリデザインのスローガンで示した「創造性の土壌」とは、まさにこの創造的活動の源泉である環境と人材の総体のことを指しています。

創造性の土壌が腐敗するとどうなるか?

組織にとって「創造性の土壌」とは、イノベーションを生み出す本質的な基盤です。土壌が耕されぬまま、腐敗していくと、どうなってしまうでしょうか。安斎が考えている最悪のケースは、以下のような状況です。

・組織で働く個人が、内発的なモチベーションを押し殺し、事業や組織をつくるプロセスに手触り感や納得度を感じられていない
・チームにおいて多様性やコラボレーションが面倒な「コスト」として捉えられ、コミュニケーションは効率的な情報伝達やロジカルな議論のみに終始しており、対話的なコミュニケーションがなされていない
・事業の目的が問い直されないまま、さまざまな慣習がルーチンとして形骸化し、組織がシステムとして変化するエネルギーを失っている
・結果として、組織と個人の「創りだすことで学ぶ」サイクルが回っておらず、その変化の過程を楽しむことができていない

こうした状況が増えていくことは、一企業のイノベーションや創造性の問題だけではなく、教育の問題にも関わってくると感じています。創ることで学ぶプロセスを楽しめていない大人たちや社会に囲まれた子どもはどうなるか..?想像に易いと思います。

ミミクリデザインが目指す仕事の在り方

ミミクリデザインがやっていきたい仕事とは、「良い作物」をクライアントの代わりに作ることではありません。自らの手で「良い作物」を作り上げたい(作れるようになりたい)と考えるクライアントの本質的な課題に寄り添って、創造の阻害要因となっている「土壌」を丁寧に耕すところからお手伝いさせていただき、結果として「良い作物」が生まれるまでの変化のプロセスにファシリテーターとして伴走させていただくような仕事です。

そうすることで、創造的な活動に関わるすべての人が、自分たちの内発的動機に基づいて働くことができて、チームの多様なメンバーと対話を重ねながら新しい意味を生み出し、新しいプロダクトを生み出したり、組織を変えたりしていくプロセスに手触り感を持ってコミットできること、そしてその経験から学ぶプロセスを楽しむことができること。そんな状況を増やしていきたいと考えています。

突き詰めていくと、ミミクリが掲げているサービスメニューである「商品開発」「人材育成」「組織開発」といったカテゴライズの境界線は、ほぼ意味をなさなくなり、渾然一体としていきます。新しいものが生み出される土壌を創ることは、人と組織が変化するプロセスと切り離せないからです。

創造性の3つの階層

ミミクリデザインのスローガンに込めた意味について、言いたいことは以上なのですが、もう少しだけ「創造性」の定義について、もう少し掘り下げる必要があります。「創造性の土壌」について、上記で「創造的活動の前提となる環境と人材の総体」と書きましたが、イノベーションを志向する組織の文脈に置き換えると、どのように説明が可能かを整理していきます。

繰り返しになりますが、ここでいう創造性とは、一発で社会を変えてしまうようなインパクトのあるアイデアであったり、市場にバカ売れするヒット商品のアイデアなど、「創造的な成果物」そのものを指しているわけではありません。成果物を生み出すための環境要因やトリガーのようなものを「創造性」として捉えています。

創造性の定義そのものはアカデミックに日々議論されていて、その沼にここで足を踏み入れすぎると引き返せなくなるのですが..笑、安斎は、イノベーションを推進する上で重要な創造性を「個人レベル」「グループレベル」「組織レベル」の3つの階層で捉えています。

個人レベルの創造性(1)非線形思考

まず第一に、個人レベルの創造性です。個人の創造性としてまず思い浮かべるのが、「アイデア発想スキル」とか「発散的思考」のようなものかもしれません。たしかにこうしたスキルや思考方法は重要で、無視できません。創造性に関わるスキルや思考法をすべて挙げようとするとキリはないのですが、そのなかでも企業の商品開発や組織ビジョン創造などにおいて特に重要であり、特に現場で差がつくと感じているのは「非線形思考」です。

まず線型的な思考というのは、いわゆる論理的思考を代表とする誰もが納得する直線的な考え方を指します。A→BとB→Cが成り立てば、すなわちA→Cとする考え方ですね。しかしながら、非連続的に生まれるイノベーションの現場では、なぜか成立するはずのCがうまくいかなかったり、想定外のDがブレイクスルーの解だったりするのでやっかいなわけです。そこが、面白さでもあるのですが!

非線形思考とは、論理的ではないが、意味のあるつながりを手掛かりにすることで、A→BとB→Cという前提からDを導くための思考方法です。代表的な考え方には「アナロジー思考(類推的思考)」などが挙げられます。

今回はその詳細には触れませんが、企業内の業務やコミュニケーションの大半は線型的な思考によって遂行されています。論理的思考が支配的な環境において、非線形的な発想は"論理が破綻した誤った意見"としてみなされがちです。いかに日常の線形的な思考モードに揺さぶりを与え、個人の発想を非線形的なモードに切り替えていくかは、創造性を引き出す大きな課題になります。

個人レベルの創造性(2)創造的衝動

しかしながら、アナロジー思考のような「高度なスキル」面だけでは個人の創造性は説明できません。イノベーションの成果へのインパクトを考えると、それ以上に重要なファクターとして強調したい要素があります。それは、もう少し素朴で身近な、幼少期から誰もが持っているような「衝動」を起点とした、変化のエネルギーです。内側から湧き上がる「こういうものを作ってみたい」「このやり方を試してみたい」「過去に作ったこれを思い切って壊したい」「こうしたら、どうなるんだろう?」といった、内発的な衝動を起点としながら、手触り感や納得感を持ちながら何かを作り出していく過程を指しています。そのプロセスは没入的(=フロー状態)で、葛藤や試行錯誤もありながらも楽しさに満ちており(=Hard-Fun)、発見と気づきに溢れています。結果として、初期衝動は意味のある目的に昇華していき、新たに次の衝動につながっていきます。

こうした、衝動に基づく経験学習のプロセスから何かを生み出す過程を辿らないと、小手先のテクニックやフレームワークで生み出したアイデアには、どうしても「自分が生み出した」という手触り感や、「このアイデアをなんとか実現して世に届けたい」というこだわりや納得感が薄れます。組織においてアイデアを発散するよりも収束して実行するほうがハードルがありますから、最初に衝動の火種をこめておかないと、ほとんどのアイデアは結局は日の目を浴びることはないように思います。表面的にアイデア発想の手法を取り入れて、アイデアのワークシートが100枚積み上がっても、1つも実現されないのはこのためです。

何より、衝動に基づかない経験からは、腹落ちした深い学びが得られにくいため、中長期的にみると「自分自身は何も変化していないまま、次のフレームワークを追い求める」という状況に陥りがちです。以下の記事に書いた「正解探しの病」にはまっていくパターンですね。

ミミクリデザインでは、商品開発や組織開発のプロジェクトでも、必ずクライアントチームの個々人の衝動を起点としながらプロジェクト設計をするようにしています。一見して衝動がないように見える場合でも、日々の業務においていつのまにか衝動に「蓋がされてしまっている」だけだと信じて、そもそもなぜこのプロジェクトをするのか?を問い直したり、遊び心ある活動に取り組むなかで、じわじわと「やってみたい」という感覚を耕しながら、非線形思考を引き出していくように工夫を散りばめています。

グループレベルの創造性

それでは、創造的技能が高く、衝動に満ち溢れた個人が一人いれば、イノベーションが起こるのでしょうか。もちろん、そう簡単にはいきません。同じ目的を共有する複数の個人が寄り集まったグループ、あるいはチームとして発揮する創造性も重要です。

イノベーションプロセスの最初の難関である「新たな意味の生成」は、本質的にグループの対話によって生まれます。創造における集団のコミュニケーションの重要性を説いたキース・ソーヤーの研究を引用するまでもなく、社会構成主義の立場にたてば、これは当然のことです。あらゆる現実・意味は、対話によって構成されることで、納得されるからです。

個人の衝動と非線形思考から導かれた仮説的アイデア"D"は、論理的思考でAからCを導く世界に生きている人からすれば、不可解で、到底納得のいくものではないはずです。たとえ個人の中に良いアイデアのタネが埋まっていたとしても、チームで対話(≠議論)の機会を作らなければ、チームとして納得度のあるアイデアには昇華せず、仮説が非論理的であればあるほど、合意の形成が困難になるでしょう。衝動的かつ非線形的な発想のタネを、合意された「チームのアイデア」にするためには、対話的なコミュニケーションが不可欠なのです。

このような、グループの対話的なコミュニケーションによって新たな意味が創発している状況こそが、グループにとって創造性が発揮されている状態です。この状態を実現するためには、一人ひとりの「違い」が多様性としてポジティブに認識されていることが不可欠です。「違い」がストレスやコストとして見なされている状況では、グループの創造性は引き出されません。

そして多様な観点から意見が提案され、それがときにインスピレーション(触発)の源となったり、批判的な吟味・検討へと発展しながら、グループメンバーのまなざしが交錯し、1人では生み出せなかった「新しい意味」が生成されていく。そんなコミュニケーションのサイクルがぐるぐると回っている状態が、グループレベルの創造性が活性化している状態です。安斎の博士論文では、このグループレベルの創造性に焦点を当てて、それをワークショップによって支援する方法論を検討しました。

ミミクリデザインでは、商品開発や組織開発のプロジェクトでも、グループのコラボレーションによる意味の創発のプロセスを重視しています。巷で実施されているワークショップには、グループレベルの創造性が軽視されたものが思いのほか蔓延っていると聞きます。一人ひとりに付箋やワークシートに意見を書かせたら、グループで共有をして、ファシリテーターが「色々な意見がありますね」「共通するのはこういう考え方ですね」と簡単にまとめて終わり、といったような単なるグループインタビューの域を出ない実践も少なくないようです。グループワークがあるとしても、付箋をKJ法でまとめたり、フレームワークに当てはめる程度のワークシートや付箋の編集作業に終始していて、対話的なコミュニケーションの深まりがないまま終わるものも多いようです。これでは、わざわざワークショップを実施する意味はありません。

ワークショップの醍醐味は、個々人から発揮された衝動と思考が、グループ内で対話的に混ざり合って、創発的なコミュニケーションが展開されるところにこそあるのです。

組織レベルの創造性(1)組織の風土

個人やグループが創造的になるためには、それを下支えしている組織レベルの要因も無視できません。具体的には、組織の「風土」が与える影響が、創造性に関するさまざまな先行研究によって指摘されています。具体的には「失敗が許容されている」とか「挑戦に対して周囲や上司の支援がある」とか「遊び心がある」といったものです。他にも実践的に痛感しているのは「白黒つけられないグレーゾーンの"曖昧な状態"が許容されていて、それに対するストレス耐性がある(むしろグレーであることを楽しめる)」といった風土も、組織の創造性に大きく左右する要因だと感じます。

このような創造的な風土を維持していくことは、組織レベルの「創造性の土壌」のベースラインとして重要です。このような風土が全く無いところで、付け焼き刃的にワークショップを導入して、個人の衝動の発揮を促したり、創発的なコミュニケーションを促進しようとしても、なかなかうまくいきません。そもそも、ワークショップのような得体の知れないものには予算が下りないでしょう苦笑。風土は、いわば"組織の創造性を守る"ための基盤になります。

裏を返せば、ワークショップには日常を揺さぶり、これまでと異なる文脈を創出する効果があるため、じっくりと導入すれば、組織の風土をじわじわと変えていく力を持っています。実際に、たとえば商品開発のワークショップで部下たちが衝動的にアイデアを発想し、対話を深めていく様子を見て、上司が「自分のチームにこんなポテンシャルがあったのか」と気がつき、人材を評価する前提が大きく変化し、風土変革につながっていくケースは少なくありません。

組織レベルの創造性(2)システムの変化

他方で、そうした基盤としての「風土」に加えて、組織レベルの創造性として無視できない要素は、一定のサイクルで組織の「システム」そのものの意味が問い直される機会が創られているか?システムそのものを変化させ、新たなシステムの可能性を探索する機会に開かれているか?というシステム変革の志向性も、とても重要な組織レベルの創造性です。現在の組織を破壊しかねない、"攻めの創造性"とでも言いましょうか..。

ちなみにここでいう「システム」とは、組織のミッションやビジョンに基づく「事業/業務の目的と方法」からなる構造みたいなものだと考えてください。要するに「なんのために、どのようなやり方で、利益を生むのか」についての解釈のようなものです。このことは、以前に人材育成と組織変革について議論した記事でも以下のように触れました。

(研修の)トレーニングの機会は、業務における「役割」と「目的」と「方法」が組み合わさったものを日々の仕事の「システム」のようなものだとすると、既存システムをより強くしていくための人材育成といえます。

既存のシステムを強化することは、言い換えれば、特定の慣習を繰り返し、固定観念的な考え方を強化することにほかなりません。日々の業務のなかで与えられた役割や仕事の目的は「所与のもの」となり、方法は固定化され、それ自体が問い直されることなく、惰性として「形骸化」していくリスクを孕んでいます。研修によって獲得された「上手なやり方」は、ときには組織変革における足枷にもなり得るのです。

イノベーションを生み出し、組織を変革させていくためには、既存のシステムを問い直し、システムそのものを変容させたり、新しいシステムの可能性を模索していく機会が必要です。(安斎勇樹 note「企業内人材育成にワークショップを導入する意義を2つの変化のレベルから考察する」より)

多くの場合、企業における「なんのために、どのようなやり方で、利益を生むのか」の認識は、頻繁に変わるものではありません。これが1Q毎に変化していたら、現場は大混乱です。この認識をしばらく固定化させておくことで、日々の業務のなかで「やり方」を従業員に習熟させていき、利益を生み出す「生産性」を高め、目指す「なんのために」に近づいていくことが可能になるわけです。

けれども、この認識が固定化されたまましばらくすると、上記の引用内に書いた通り、さまざまなものが惰性として「形骸化」していき、組織のシステムは硬直化していきます。

イノベーティブな組織になるためには「想定外のD」を自ら生み出し続けられなければなりませんから、1年に1回とか、数年に1回とか、適切な頻度はわかりませんが、「このままでいいんだっけ?」「なんのためにこれやってるんだっけ?」「こういう可能性もありなのでは?」と、自社組織のシステムの「別の可能性」を定期的に探索する機会を作る必要があるでしょう。

以下のビームスの事例などは、社長自ら「自社のビジネスモデルは旬が過ぎている」「既存のビームスをぶち壊してほしい」と旗を揚げ、組織の内側からシステムの変革を試みている好例ですね。

ミミクリデザインにご相談をいただく商品開発や組織開発のプロジェクトのうちの何割かは、ワークショップで自社のシステムの意味を「そもそも」から問い直すことによって、「なんのために、どのようなやり方で、利益を生むのか」自体を揺さぶり、新たなシステムへと変化させていくタイプのプロジェクトが占めています。

ミミクリデザインが依頼段階の課題のリフレーミングにこだわっているのは、このシステムレベルの変化を視野に入れるためなのです。

組織の「土壌」のどこに問題があるのか

さて、以上をまとめると、「創造性の土壌を耕す」という言葉が指し示している意味とは、いきなり創造的な成果物を近視眼的に求めるのではなく、当事者であるクライアントが自らの力で成果物を生み出せるようになるために、創造の要因となる重要なファクター(創造性)を「個人レベル」「グループレベル」「組織レベル」の3階層に切り分けて、それぞれ支援していくこと、を表しています。

<まとめ|創造的な成果物を支える土壌としての創造性>
個人:非線形的な発想が取り入れられている / 内発的衝動を活かしている
グループ:多様性を活かした対話的なコミュニケーションが行われている
組織:基盤としての風土がある / システム変革の可能性が探索されている

イノベーションが生まれなくて困っている組織は、十中八九、自社の「土壌」のどこかにイノベーションの阻害要因があります。けれども「個人」「グループ」「組織」の3階層のどこに問題があるかは、組織によって異なります。必ずしもすべてのレベルを満遍なく支援しなければいけないとは限りません。

ミミクリデザインのプロジェクトにおいても、多くの場合は最初のご相談は「閉塞感があって、新しいものが生まれない」「色々な方法を試しているつもりだが、成果がでない」「創造的な人材の育成が必要だ」などと、漠然としたものです。これに対して丁寧にヒアリングを重ねることで、土壌のどこに問題があるのか、原因を探っていく必要があります。

そうして「個々人は衝動に溢れているが、研究所とマーケの対話の機会がないんだな」とか「エビデンスを求めすぎる組織風土から、失敗を恐れ、個人の衝動に蓋がされてしまっているのだな」などと、ボトルネックになっている原因が見えてきます。

作物が育たないからといって、いちいちすべての土を入れ替え、土壌をリセットするようなことをしていては、非効率であるし、これまで積み重ねてきた経験やリソースが活かせません。土壌が悪いのは、通気性が悪いからなのか。水分が足りないのか。有機物や微生物が不足しているのか。あるいは多すぎるのか。太陽光は十分なのか。..などと、現状をメタ認知しながらフォーカスすべき問題に目を向け、適切な方法で「土壌を耕す」ことが、何よりも重要なのです。

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過去のプロジェクトの事例などはミミクリデザインのウェブサイトに掲載しています。創造性の土壌を耕すためのワークショップデザインやファシリテーションの方法についても発信していますので、お気軽にご覧ください。


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