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将棋の神でも読みたくないものはある…のか?

まったく何の意図もなく、実戦から生じたこのような局面をソフトに読んでもらった。読んでもらったというか、僕の誤操作によってぜんぜん関係ないところを読ませてしまった。

局面は大差である。
それも、ちょっとやそっとではない。何手離れているのかもよくわからないくらい差があり、通常は盤上に現れるようなものではない。

これを読んでもらった結果がこれだ。読みの深さは 16.81 段、人智を超越した領域である。
もしも人間の身体でこの水準に達した者があれば、生身で対峙した者たちは溢れ出る棋圧(棋力によるプレッシャー)に耐えられずことごとく泡を吹いて失禁し、のち発狂して苦悶のうちに死に至るであろう。
さあ見るがいい、神の一手を。
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神「龍でも入ってろ」

一段目に龍を入れば、次の21龍を受ける手が存在しない。
したがって必至であり、自玉に詰みはないので勝ち! 以上!


……うーん。
ま、そりゃいかにもその通りなのだが、とはいえこの局面は23金同香33馬などで後手玉が簡単に詰む。というか、詰みを見ずに通り過ぎるほうが難しい。
これは決して将棋ソフト(これは『やねうら王』)が見落とすわけではない――その証拠に、先手玉に詰めろがかかっているような局面に編集して渡すとちゃんと詰ます。

じゃあどうして、このド大差の局面で詰みを最善手にしてくれないのだろうか。
盤上の駒をちょっと活用して必至をかけるのは確かに優雅で気分の良いものではあるが、ソフトにも気分があるのか。あるいは、手順の途中で駒を渡すのがイヤなのだろうか。それとも、問題がつまらなさすぎて真面目に回答しなかったのか。

答はわからないが、僕の当てずっぽうとしては「自玉が安全で、かつ相手玉に短い必至を見つけられたならもうそれで良い」という設計があるのではないかと思う。
つまり、「長い詰みより短い必至」の格言を採用した、製作者の意思である。

少し前(といっても感覚的にはけっこう前だが)の将棋ソフトには、「対局がいまどのような地点(序盤/中盤/終盤)にあるのか把握しにくい」――言い換えれば「現時点での目標をはっきりつかむのが苦手」という弱点と、「メモリの関係上、長い手順を読むのが難しい」という制約があった。
結果として「中盤までの鋭さ」と、「終盤で手の選択肢が急激に広がると変な手を指しがちになる不格好さ」が同居していた時期があった。単一の思考エンジンでは「いつごろから敵玉の詰みを探し始めたら良いか」がわからないので(常時探したりすると資源がムダになる)、たぶん多くの製作者が頭を抱えた問題である。

そこでとりあえずの策として、相手の詰みを探すのは自玉に受けがなくなったときとしておき、それ以外のときには相手の玉の受けが難しい局面を探す。それも、駒を渡さなければなお良い……こういう思想があり、そのような手を先に探し、それが見つかればそこで探索を終わる。そんな感じの仕様がどこかの時点で実装されているのではないか。

という想像をした日記。


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