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超・自意識過剰なおまじない

こんにちは! 日付が超えてしまいました…。今日は午後から急に寒くなりました。桜が東日本まで咲きましたね! 新年度に向けて、明日ついに最終の金曜日! がんばりましょう!(かなりヘロヘロですが…)

今日は、おまじないの言葉について書きます。昨日偶然発見して、これはいいなと思いましたので。名付けて、「超・自意識過剰なおまじない」です。

昨日のエントリーで、自分にはできないかもと思っていた仕事が何とかできて、自分に自信がついたことについて、書きました。
実際にその仕事を終えてみると、「あっ、そもそも私ってこの仕事、実はできたんだな!」と思いました。つまりそれは、自分にその仕事ができる能力が「すでに備わっていた」んだ、ということに気がついたのです。やってみると意外とできた、という感覚です。そうすると、今までその仕事が本当にできるか心配して悶々としていた自分が何だかちっぽけに思えてきてしまいました。あんなにいらぬ心配しなくても良かったんだな、なんて思い返して。

仮に、仕事はやってみたが結果は失敗に終わった、とします。
自分がその仕事を始める時点で、「私、この仕事をできる能力があるんだ」と信じ切って取り掛かるのと、「私、この仕事できないかもしれない。怖いし、心配」と思って取り掛かるのとだと、その失敗したという結果への解釈がまるで変わってくる、ということに気がつきました。
もし大前提が「私はそもそもその仕事ができたはず」であれば、失敗したのはたまたまそのときの状況や環境や体調の問題だったかもしれない。不運だったけれど、その問題を解決できれば、次はその仕事が自分は必ずできるはず。だから、その原因、問題について考えると思います。そして自分自身への自分の信頼は、崩れません。失敗したとしても、仕事もパフォーマンスも絶対こちらの方が良いと思います。
でも、これが「私はそもそもその仕事ができないかもしれない、怖い」というところからスタートしていると、結果から「ほら、やっぱり。思った通りやっぱりできなかった。だから無理しなきゃいいのに」という自分の言い訳への負のスパイラルに陥ってしまいます。自分が傷つきたくなく、可愛いから。

これはもうひとつ、仕事だけではなくて日常の自尊心についても言えることだと思いました。すごく自意識過剰なんですけれども、「あっ、私って、そもそもいい女(男)だったよね!」と思えばいいんです。
そうすると、他人と自分をきちんと分けて考えて、自分なりに思う「いい女(男)とはどういう女なのか」「いい女(男)でいるためにどうするか」という志向性になるかと思います。
もし、他人に無下にあしらわれたり、存在を軽んじられたり、「ブースブース」と言われたとしても!「私、そもそもいい女(男)だったよね! 私がその人に特に何をした訳でもない。そうであれば、そんな扱いを受けたり言われる筋合いは無いよね」と言うことで、すっぱりと割り切れるのではないでしょうか。どうでもいいような相手に、無下にあしらわれる必要自体が無いと思うのです。

もちろん、そんな「自分はいい女(男)」なんてことは口に出すことではなくて、自分の心の中だけで思うので良いのです。他人は関係なく、自分が自分で勝手に思っていればいいんです。
でも、これってすごく自分を信じて強くする、いい「おまじない」、自己暗示だと思いました。自分がぶれなくなります。
あなたも私も、本当は生まれ持って仕事も勉強もできる能力が、もともと備わっている。人としても、それぞれの魅力がとっても光っていて、備わっている。そう信じていれば、そのように自分自身がきっとなれます。

明日は3月最後の金曜日! 疲れのピークかもしれません。選挙戦も始まります。がんばりましょう。おやすみなさい。

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