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人が変わることも、それを自分が認めることも勘定に入れる

こんにちは! 今日は少し蒸していて暑かったですね。長袖のブラウスが、あまり着る期間がなくて、そのままクローゼットに入ってしまいました。春がなんだかすごく短かった気もします。

今日は、人が変わることも、それを自分が認めることも勘定に入れる、ということについて書きます。

最近、人と会食することがだいぶ少なくなっていました。今日打ち合わせを兼ねて、仕事で関わらなければめったに食事はしないだろうとう方たちと、ご一緒させてもらいました。お会いするのも久しぶりです。いつもちらっと会釈する程度の間柄でした。

今日は、いろんな意味でいい時間でした。話してみないと、人ってわからないんだなぁって、本当に思いました。悲しいかな、話しても人はわからないのですから、話さないともっとわからないんだなぁって思います。

もう一つ感じたのは、自分でも昔の印象や記憶で、昔会っていた、話していたから、その人のことをわかっているつもりになっているってことが結構多いのでは、とも思いました。でも、時間が経ってみたら自分はもちろん変わりますし、その人も変化してるんだなってことです。それを当たり前と思えないときがあるのかな、と。
「あの人は変わった」とか「以前はそうじゃなかった」とか。
自分の中で勝手に作り上げたイメージにとらわれているだけかも知れないのに、です。

今日いろいろ話してみて、私もその人に対して勘違いしていたり思い込みがあったんだなぁって思うことがありました。その人なりに苦労してきて、今があるんだなぁと。そして、昔会っていた、話していたから、その人のことをわかっているつもりになっているってことは、ちょっと怖いことだなぁとも思いました。

人が良い意味にも悪い意味にも変わるのは当たり前で、ブレることもあります。その振り幅も、その人が変わることもそれを自分が認めることを含め勘定に入れて、以前、私がエントリーに書いたように、時間軸を長く見て人とフラットに接することができるのが、私の理想です。

明日はデスクワークに集中できそう。頑張ります。
明日も新しい良い一日にしましょう。おやすみなさい。

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